第41話『お兄様の剣術ですねぇ。』
第41話『お兄様の剣術ですねぇ。』
翌日の午前、リリナはアルクスと一緒に修練場へ向かっていた。
昨日の約束どおり、自分がどんなことを習っているのか見せるためだった。
修練場にはすでにイスターニャが来ていて、いつもの木剣を準備してくれている。
「先生、おはようございます」
「おはようございます、リリナ様」
「先生、今日は兄様も一緒です」
「ええ、聞いておりますよ」
アルクスが軽く頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
イスターニャはアルクスの方を見てから、リリナへ木剣を差し出した。
「今日は普段どおりで構いません」
「はい」
リリナは木剣を両手で受け取った。
「本当に見るだけだからな」
「昨日そう言っていましたねぇ」
「変なところ見せるなよ」
「それは私が決めることではないですねぇ」
「確かにそうだな」
アルクスが笑った。
リリナはいつもの位置へ立つ。
足の向きを確かめ、木剣を持つ。
力を入れすぎないように肩を少し落とした。
「最初は立ち方からです」
「そこからなのか?」
「そこからですよ」
「もっとすぐ振るのかと思ってた」
「先生に怒られますよ」
アルクスがイスターニャを見る。
イスターニャは穏やかに微笑んでいた。
「大切なところですよ」
「はい」
アルクスが少し姿勢を正した。
リリナは足だけを動かす。
一歩出て止まり、また戻る。
次に木剣をゆっくり振る。
それから足と剣を合わせる。
一度目は、剣が少し遅れた。
二度目は、足が先に止まった。
三度目は、今までより少しだけ自然に動けた。
「まだ難しいですねぇ」
リリナが元の位置へ戻る。
「でも前よりは動けていますよ」
「はい」
イスターニャの言葉に頷いてから、リリナはアルクスを見る。
「こんな感じです」
「思ってたよりちゃんとやってるんだな」
「どういう意味ですか?」
「もっと木剣を振って終わりかと思ってた」
「それは剣を習っていることになりますか?」
「ならないな」
アルクスは少し考えるように、リリナの足元を見る。
「立ち方も結構言われるだろ」
「はい」
「手もです」
「肩もです」
「足もですねぇ」
「多いな」
「覚えることがいっぱいですよ」
「それは学校も同じだな」
昨日聞いた話を思い出し、リリナは少し笑った。
「最近は、人が動いた時の距離も見ています」
「人が動いた時?」
「先生が少し下がったり横へ動いたりするんです」
「そこに届かせるのか?」
「はい」
「じゃあ俺がやってみようか?」
リリナはアルクスを見た。
「お兄様がですか?」
「見るだけより分かりやすいだろ」
「私は構いませんけど……」
リリナはイスターニャを見る。
「先生、いいですか?」
「ええ」
「ただし、いつもの練習と同じにしましょう」
「身体は狙わないんですね」
「はい」
「アルクス様の木剣へ届かせるだけです」
「分かりました」
アルクスも壁際から木剣を一本取った。
手の中で軽く動かしてから、リリナの前へ立つ。
「これくらいか?」
「もう少し離れてください」
「結構離れるんだな」
「近すぎると動きにくいんです」
「そうだったな」
アルクスが一歩下がった。
「では、始めます」
「おう」
リリナはアルクスを見る。
木剣の位置を見る。
距離を見る。
今なら一歩出れば届きそうだった。
リリナが足を出す。
アルクスが少しだけ後ろへ動いた。
(下がりましたね)
慌てずにもう一歩進む。
木剣を振る。
剣先がアルクスの木剣へ触れた。
軽い音が鳴った。
「おっ」
「届きました」
「ちゃんと見てるんだな」
「最近は少しだけです」
リリナは元の位置へ戻る。
「もう一度いいか?」
「はい」
今度はアルクスが横へ動いた。
リリナも位置を見て向きを変える。
一歩出す。
木剣を振る。
今度は届かなかった。
「あっ」
「惜しいな」
「お兄様、今少し速くなりませんでした?」
「少しだけ」
「ずるいですねぇ」
「練習だろ?」
「そうですけど」
リリナが頬を少し膨らませると、アルクスが笑った。
「もう一回やろう」
「はい」
何度か繰り返す。
届く時もあれば、届かない時もある。
アルクスがどちらへ動くかを見てから足を出せることも増えていた。
「先生」
「はい」
「前より慌てなくなりました」
「そうですね」
イスターニャが頷く。
「相手が動くこと自体には少し慣れてきています」
「でも、全部は届きませんねぇ」
「全部届く必要はありませんよ」
「はい」
アルクスは自分の木剣を見ながら、少し考えていた。
「リリナ」
「はい?」
「もう少し普通にやってみるか?」
「普通に、ですか?」
リリナは首を傾げた。
「今は俺が逃げてるだけだろ」
「逃げているんですか?」
「言い方が悪かったな」
「動いてるだけだ」
「はい」
「今度は、リリナの剣を俺の剣で受けてみる」
「受ける……」
リリナはアルクスの木剣を見る。
「木剣同士を当てるんですか?」
「軽くな」
「先生、いいですか?」
イスターニャはすぐには答えず、アルクスを見る。
「アルクス様」
「はい」
「強く打たないこと」
「はい」
「リリナ様の身体を狙わないこと」
「分かっています」
「リリナ様も、強く振ろうとしないでください」
「はい」
イスターニャは二人の距離を確かめた。
「一度ずつにしましょう」
「分かりました」
リリナは木剣を構え直す。
(木剣を当てるだけなら、さっきと似ていますねぇ)
アルクスも木剣を前に出した。
「いつでもいいぞ」
「はい」
リリナが一歩出る。
木剣を振る。
アルクスの木剣が動いた。
カンッ、と乾いた音が修練場に響いた。
「わっ」
リリナの両手へ今までとは違う感触が返ってきた。
木剣が少し横へ押された。
「大丈夫か?」
「はい」
リリナは自分の木剣を見る。
「今、押されました」
「受けただけだぞ」
「でも、手まで来ました」
「剣が当たればそうなるだろ」
「初めてなので不思議ですねぇ」
もう一度構える。
「もう一回やるか?」
「やります」
今度はさっきより力を入れないようにする。
足を出し、木剣を振る。
またアルクスの木剣が合わさった。
カンッ。
今度は木剣の向きが少し下へずれた。
「あれ?」
「力入れすぎたか?」
「いえ」
リリナは首を振った。
「お兄様の剣が当たると、私の剣が違うところへ行きます」
「そういうもんだよ」
「届かせるだけとは違いますねぇ」
今まで相手の木剣は、そこにあるものだった。
動いて逃げることはあっても、自分の木剣へ向かってくることはなかった。
相手の剣が動くだけで、自分の木剣の行き先まで変わってしまう。
(また見るものが増えましたねぇ)
「難しそうだな」
「難しいですよ」
「楽しそうだけど」
「それは少しありますねぇ」
アルクスが笑った。
「じゃあ今度は、俺から少し動かすぞ」
「お兄様からですか?」
「ゆっくりやる」
「身体には当てませんよね?」
「当てないよ」
「お願いします」
リリナは木剣を構える。
「行くぞ」
「はい」
アルクスの木剣が動いた。
リリナはそれを見て、自分の木剣を持ち上げようとする。
間に合わない。
アルクスの木剣が、リリナの肩へ届く少し前で止まった。
「……」
リリナは止まった木剣を見る。
「終わり」
「今の、全然間に合いませんでしたねぇ」
「最初だからな」
「速いです」
「かなり遅くしたぞ」
「それは聞きたくなかったですねぇ」
アルクスが吹き出した。
「笑わないでください」
「ごめんごめん」
「もう一回です」
「今日は一回って先生が言ってただろ」
リリナがイスターニャを見る。
イスターニャはにこやかに首を横へ振った。
「今日はここまでにしましょう」
「はい……」
リリナは少し残念に思いながらも、木剣を下ろした。
「受けるのは難しいですねぇ」
「剣が動いてくるからな」
「見てから動いたら遅いんでしょうか?」
「それもこれからですね」
イスターニャが答える。
「今日は初めて木剣同士を合わせました」
「まずは、その感覚を覚えておけば十分ですよ」
「はい」
アルクスも木剣を下ろした。
「でも、思ってたよりちゃんとやってるな」
「またそれですか」
「褒めてるんだぞ」
「本当ですか?」
「本当だ」
「では、受け取っておきますねぇ」
リリナは少し笑った。
「でも、お兄様」
「ん?」
「今度は私が見たいです」
「何を?」
「お兄様の剣です」
「俺の?」
「はい」
「学校で色々覚えたんですよね?」
「昨日そう言っていました」
「少しだけな」
「見せてください」
アルクスは木剣を肩へ乗せた。
「じゃあ少しだけだぞ」
「はい」
リリナとイスターニャが少し離れる。
アルクスは修練場の中央へ立った。
さっきまでリリナの相手をしていた時とは、立ち方が少し違った。
足の位置を決める。
木剣を構える。
それだけなのに、リリナにはいつもより兄が大きく見えた。
アルクスが一歩踏み込む。
木剣を振る。
止める。
戻る。
動きは速かった。
けれど、エレノアの時とは違って何をしているのかは少し分かった。
一歩出て、身体を動かして、剣を振っている。
自分が習っているものと同じものが、ずっと滑らかにつながっていた。
(お兄様も、前より上手になったんですねぇ)
昨日、学校の話を聞いた時にもそう思った。
けれど実際に見ると、もっとよく分かる。
難しいと言いながら、それでもアルクスは前へ進んでいた。
「どうだ?」
「速いですねぇ」
「そこかよ」
「それと、動きが止まりません」
「止まったら変だろ」
「私はよく止まりますよ」
「それは知ってる」
「まだ少ししか見ていないじゃないですか」
「さっき見たからな」
リリナは少し頬を膨らませた。
アルクスがまた笑う。
見せるだけだったはずなのに、気がつけば木剣まで合わせていた。
自分とは違う動きも、初めて返ってきた剣の感触も、まだよく分からないことばかりだった。
(お兄様の剣術も、もっと見てみたいですねぇ)
帰ってきた兄から、また新しく知りたいことが増えていた。




