第38話『動く相手は難しいですねぇ。』
第38話『動く相手は難しいですねぇ。』
数日後、リリナはイスターニャと修練場にいた。
手には、いつもの木剣を持っている。
今日も最初に立ち方と足の動きを確かめ、それからゆっくり木剣を振った。
前より少しだけ迷わず動けるようにはなったが、まだ考えながらでなければ形は崩れてしまう。
ひと通り確認を終えると、イスターニャも壁際から一本の木剣を取った。
「今日は、少し違う練習をしてみましょう」
「先生も木剣を使うんですか?」
「はい」
「ですが、打ち合うわけではありませんよ」
「そうなんですねぇ」
リリナは少し安心した。
木剣を持ったイスターニャと向かい合うだけでも、いつもの目印とはずいぶん違って見える。
「まずは、私の木剣へリリナ様の木剣を軽く触れさせてみてください」
「剣にですか?」
「はい」
「身体を狙う必要はありません」
「分かりました」
イスターニャは木剣を身体の前へ静かに構えた。
そのまま動かない。
リリナは自分とイスターニャの間を見た。
(このくらいなら届きそうですねぇ)
目印を使った練習の時と同じように、自分の立つ位置を確かめる。
前へ一歩出るところも思い浮かべた。
「やってみます」
「どうぞ」
リリナは一歩前へ出た。
それと一緒に木剣を振る。
剣先は少しだけ横へずれたが、イスターニャの木剣へ軽く触れた。
乾いた小さな音がする。
「届きました」
「はい」
「目印の時と少し似ていますねぇ」
「今は私が動いていませんからね」
リリナは一度元の位置へ戻った。
「もう一度やってみましょうか」
「はい」
同じように距離を見る。
足を出す。
木剣を振る。
今度も少しずれながら、木剣同士が軽く触れた。
「二回目も届きました」
「前より立つ位置を見るのが早くなりましたね」
「少しだけ分かってきた気がします」
「では、次へ進んでみましょう」
「次ですか?」
「今度は、私も少し動きます」
「動くんですねぇ」
イスターニャは構えたまま、リリナを見る。
「大きくは動きません」
「半歩ほど下がるか、少し横へ動くだけです」
「それでもいいんですか?」
「まずはそれで十分です」
リリナは木剣を握り直した。
先ほどと同じように距離を見る。
(ここなら届きます)
「では、どうぞ」
「はい」
リリナが足を出そうとした。
その瞬間、イスターニャが半歩だけ後ろへ下がった。
「あ」
そのまま木剣を振る。
けれど剣先は届かない。
イスターニャの木剣の手前を通り過ぎた。
「届きませんでした」
「そうですね」
「さっきと同じところから動いたんですけど」
「私は同じ場所にいましたか?」
「あ」
リリナはイスターニャの足元を見る。
先ほどより少し後ろにいる。
「下がりました」
「はい」
「相手が動けば、距離も変わります」
「そうでしたねぇ」
前の練習でも聞いたことだった。
目印は動かない。
人や魔物なら動く。
頭では分かっていたつもりだったが、実際にやってみるとずいぶん違った。
「もう一度やってみます」
「どうぞ」
リリナは今度こそイスターニャを見る。
距離を確かめる。
足を出そうとする。
イスターニャが少し横へ動いた。
「こっちですね」
リリナも慌てて向きを変えた。
足を動かす。
木剣も振ろうとする。
けれど足の方へ意識が向きすぎて、木剣が遅れた。
「あれ?」
剣先はまた届かなかった。
「今度は足を動かすことに意識が向きましたね」
「はい」
「先生が動いた方へ行こうと思ったら、剣が遅れました」
「では、もう一度です」
「はい」
三度目。
今度は木剣を遅らせないように意識する。
イスターニャが少し後ろへ動いた。
リリナも前へ出る。
木剣を振る。
今度は剣は動いた。
けれど、自分とイスターニャの距離を見る余裕がなくなっていた。
「届きませんねぇ」
「今は何を見ていましたか?」
「剣をちゃんと振ることです」
「相手は見えていましたか?」
「見ていたつもりなんですけど……」
「どこまで下がったか分かりましたか?」
「分かりませんでした」
リリナは木剣を下ろした。
「見るものが増えましたねぇ」
「増えましたね」
「足も見ないといけません」
「はい」
「剣も動かさないといけません」
「はい」
「先生がどこにいるのかも見ないといけません」
「そうですね」
リリナは少し考えた。
「考えることがまた増えましたねぇ」
「一度に全部できる必要はありませんよ」
「そうなんですか?」
「はい」
「今は、当てることより相手が動いた時に距離がどう変わるかを見ることから始めましょう」
「見ることからですか?」
「はい」
イスターニャは木剣を少し下げた。
「私が動いたら、すぐに追いかけなくて大丈夫です」
「まずは、どこへ動いたのか見てください」
「それからですか?」
「それから、自分がどう動けば届きそうか考えてみましょう」
リリナは頷いた。
「分かりました」
「では、今度は木剣を振らなくて構いません」
「振らないんですか?」
「まずは私の動きを見るだけです」
「それならできそうです」
イスターニャが構える。
リリナも木剣を持ったまま向かい合った。
「いきますよ」
「はい」
イスターニャが半歩下がる。
「後ろです」
「はい」
今度は少し右へ動く。
「右です」
「では、距離はどうなりましたか?」
「少し遠くなりました」
「そうですね」
左へ戻る。
少し前へ出る。
「今は近くなりました」
「はい」
「同じ場所に立っているのに、先生が動くだけで変わるんですねぇ」
「相手との距離ですからね」
「自分だけで決まるものではないんですね」
「その通りです」
リリナはイスターニャとの間を見る。
自分が止まっていても、相手が動けば間合いは変わる。
目印を相手にしていた時には、自分の足だけを動かせばよかった。
今はそうではない。
(自分だけ見ていても駄目なんですねぇ)
「では、もう一度木剣を届かせてみましょう」
「はい」
リリナは構えた。
今度はすぐには動かない。
イスターニャを見る。
「どうぞ」
イスターニャが半歩後ろへ下がった。
リリナはその動きを見た。
どこまで離れたのかを確かめる。
それから一歩前へ出た。
木剣をゆっくり振る。
剣先がイスターニャの木剣へ軽く触れた。
「あ」
小さな音が響く。
「届きました」
「今は、私が動いてから見ましたね」
「はい」
「すぐ追いかけなかったのが良かったです」
「少し待った方が分かりやすかったです」
「今はそれで十分ですよ」
リリナは少し嬉しくなった。
「もう一度やってみたいです」
「では、もう一度だけ」
元の位置へ戻る。
今度もイスターニャを見る。
イスターニャが少し横へ動いた。
「今度は横ですね」
リリナも向きを変える。
足を出す。
木剣を振る。
けれど今度は動きを見ることに時間をかけすぎて、振る頃にはイスターニャが少し離れていた。
「あれ?」
木剣はまた届かなかった。
「さっきはできたんですけどねぇ」
「一度できたから、もうできるようになったわけではありませんよ」
「前にもありましたね」
「ありましたね」
リリナは自分の木剣を見る。
足と剣を一緒に動かした時もそうだった。
一度うまくできても、次には崩れた。
間合いを確かめた時も、同じ場所へ立ったつもりで少しずれていた。
「剣は、一回できても安心できませんねぇ」
「身体で覚えることも、見ることも繰り返しが必要です」
「また練習ですね」
「はい」
イスターニャが木剣を下ろした。
「今日はここまでにしましょう」
「もうですか?」
「もう、です」
「やっぱりですねぇ」
リリナは少し笑った。
自分の木剣も下ろす。
「止まっている目印なら、自分の立つ場所を考えればよかったです」
「そうですね」
「でも先生が動くと、先生がどこにいるのかも見ないといけません」
「はい」
「間合いって、ずっと同じではないんですねぇ」
「相手が動けば変わります」
「自分が動いても変わります」
「そういうことです」
リリナはイスターニャとの間をもう一度見た。
さっきまで何度も変わっていた距離だ。
止まって見れば簡単に思えるのに、動き始めると途端に分からなくなる。
(動く相手は難しいですねぇ)
剣を振ることだけではなく、相手を見ることまで覚えなければならないらしい。
また一つ、知らなかった難しさが増えていた。




