第36話『届かせるのも難しいですねぇ。』
第36話『届かせるのも難しいですねぇ。』
イスターニャとの剣の練習を続けるうちに、リリナは少しずつ木剣の重さにも慣れてきていた。
足だけなら、以前ほど迷わず前へ出られる。
木剣だけなら、ゆっくり振れば大きく斜めになることも減ってきた。
足と剣を一緒に動かすとまだ崩れることはあるが、それでも最初の頃よりは少しだけ動けるようになっている。
今日もリリナは修練場へ来ていた。
けれどいつもと違い、イスターニャの近くには一本の細い木の棒が置かれている。
棒の先には、目印になるよう小さな布が巻かれていた。
「今日は少し違う練習をしてみましょう」
「この棒を使うんですか?」
「はい」
「今日は、あの布まで木剣を届かせてみてください」
イスターニャは木の棒を修練場の地面へ立てた。
リリナは棒と自分の間を見比べる。
「当てるんですか?」
「強く打つ必要はありません」
「木剣の先が触れるくらいで十分ですよ」
「分かりました」
リリナはいつもの木剣を受け取った。
両手を柄へ置き、足の位置を確かめる。
肩に力が入りすぎていないかも確認した。
(今日は届かせるんですねぇ)
これまでは、形を崩さずに動くことばかり考えていた。
今日はその先に目印がある。
リリナは布を見ながら木剣を構えた。
「では、一度やってみましょう」
「はい」
前へ一歩出る。
それと一緒に木剣を振る。
足は止まらなかった。
木剣も大きく斜めにはならない。
けれど剣先は布の少し手前を通り過ぎた。
「あれ?」
リリナは木剣を止めた。
「届きませんでした」
「そうですね」
「動き方は間違っていましたか?」
「今の動きは、前より安定していましたよ」
「では、どうして届かなかったんでしょう?」
イスターニャはすぐには答えなかった。
「今いる場所から、あの布まではどれくらいありますか?」
「どれくらい……ですか?」
リリナは木剣と目印を見比べる。
木剣を振る前には届きそうに見えていた。
けれど実際には少し足りなかった。
「少し遠いんでしょうか」
「そう思いますか?」
「はい」
「では、どうしますか?」
リリナは少し考えた。
「もう少し近くからやってみます」
「やってみましょう」
リリナは一歩前へ移動した。
もう一度構える。
(今度は届きそうですねぇ)
さっきより布が近い。
これなら届くだろうと思った。
「いきます」
「はい」
前へ一歩。
木剣を振る。
今度は剣先が布の近くまで来た。
けれどリリナの腕が途中で窮屈になり、木剣の動きが小さくなった。
「あれ?」
木剣を止める。
布には触れている。
けれど、さっきまでのようには振れなかった。
「届きましたけど……」
「どうでしたか?」
「振りにくかったです」
「どのあたりが?」
「腕が詰まるような感じがしました」
「では、今度は近すぎたのかもしれませんね」
「近くても駄目なんですか?」
「近ければ近いほど使いやすいわけではありません」
リリナは目印を見る。
遠ければ届かない。
近すぎれば振りにくい。
(ちょうどいいところがあるんでしょうか)
イスターニャが少しだけ横へ移動した。
「先ほどの二つの場所を覚えていますか?」
「はい」
「最初は遠かった」
「今度は近すぎた」
「では、その間には何がありますか?」
リリナは最初に立っていた場所と、今いる場所を見比べた。
「ちょうどいい場所……でしょうか」
「探してみましょう」
リリナは少しだけ後ろへ下がった。
大きく一歩ではなく、ほんの少しだけだ。
「このくらいでしょうか?」
「やってみないと分かりませんね」
「そうですねぇ」
木剣を構える。
前へ一歩出るところを頭の中で思い浮かべる。
布までの距離を見る。
「いきます」
「はい」
前へ動く。
木剣を振る。
剣先は今度も布へ届かなかった。
ほんの少し手前だった。
「もう少しですねぇ」
「そうですね」
リリナはまた少しだけ前へ出た。
「ここならどうでしょう」
「確かめてみましょう」
もう一度。
足を出す。
木剣を振る。
今度は剣先が布へ軽く触れた。
「あ」
布がわずかに揺れた。
リリナは木剣を止める。
「届きました」
「届きましたね」
リリナは自分の足元を見る。
それから目印を見る。
「さっきより近いですけど、近すぎないです」
「そうですね」
「同じように振ったつもりなのに、立つ場所で変わるんですねぇ」
「剣には、使いやすい距離があります」
「距離ですか?」
「はい」
「遠すぎれば届きませんし、近すぎれば動かしにくくなります」
イスターニャは木の棒を指した。
「こうした相手との距離を、剣では間合いと呼びます」
「間合い……」
「今は言葉だけ覚えておけば十分ですよ」
リリナはもう一度、目印までの距離を見る。
「剣を振るだけではないんですねぇ」
「そうですね」
「どこから動くのかも大切です」
リリナは少し考えた。
これまでは自分の手や足ばかり見ていた。
けれど剣を何かへ届かせようと思えば、自分だけを見ていても足りないらしい。
「もう一度やってみてもいいですか?」
「もちろんです」
リリナは元の位置へ戻った。
先ほど届いた場所を思い出しながら立つ。
けれど今度は少しだけ後ろだったらしく、剣先は布へ届かなかった。
「また届きませんでした」
「先ほどと同じ場所でしたか?」
「同じつもりだったんですけどねぇ」
リリナは足元を見る。
よく見ると、ほんの少しだけ後ろにいる。
「少し違います」
「その少しでも変わります」
「難しいですねぇ」
「だから何度も確かめます」
リリナは小さく頷いた。
少し前へ立ち直す。
今度は木剣を振る前に、目印と自分の位置を何度か見比べた。
「ここだと思います」
「では、確かめてみましょう」
前へ一歩。
木剣を振る。
剣先が布へ軽く触れた。
「届きました」
「はい」
リリナは少し嬉しくなった。
けれどイスターニャは目印を見たまま続ける。
「ただし、今は一つ簡単なことがあります」
「簡単なことですか?」
「この目印は動きません」
リリナも木の棒を見る。
当然、棒はその場に立ったままだ。
「リリナ様が近づいても逃げません」
「はい」
「木剣を振っても、こちらへ近づいてくることもありません」
「あ……」
リリナは目印を見た。
魔物なら動く。
人でも動く。
自分が近づいたからといって、その場で待っていてくれるわけではない。
「本当の相手なら、動くんですね」
「そうですね」
「今日はそこまで考えなくて大丈夫です」
「まずは、自分の剣がどのくらいの距離まで届くのかを知りましょう」
「はい」
リリナは木剣を構え直そうとした。
けれどイスターニャが手を上げた。
「今日はここまでにしましょう」
「もうですか?」
「もう、です」
「またですねぇ」
リリナは思わず笑った。
木剣をイスターニャへ返す。
それから、修練場に立つ目印をもう一度見た。
木剣を振るだけでも難しかった。
足と一緒に動かすのも難しかった。
今度は、どこから動けば届くのかまで考えなければならない。
(剣は、立つ場所まで考えないといけないんですねぇ)
同じ木剣でも、立つ場所が少し変わるだけで届いたり届かなかったりする。
剣の難しいところは、まだまだ他にもありそうだった。




