第34話『少しやってみたいですねぇ。』
第34話『少しやってみたいですねぇ。』
数日後、リリナはいつものようにイスターニャの授業を受けていた。
机の上には開いた本と、書き終えたばかりの紙が置かれている。
今日の授業が一区切りついたところで、イスターニャが紙をまとめた。
「今日はここまでにしましょう」
「はい」
リリナも筆記具を置いた。
けれど席を立つことはなく、少しだけ迷ってからイスターニャを見た。
「先生」
「はい」
「少し聞いてもいいですか?」
「もちろんです」
リリナは膝の上で手を重ねた。
「イスターニャ先生は、剣も使えるんですか?」
「使えますよ」
「やっぱり使えるんですねぇ」
「聖騎士として必要な訓練は受けていましたから」
イスターニャはそう答えると、リリナの顔を見た。
「どうして剣のことを?」
「この前、お父様に木剣を持たせてもらったんです」
「そうだったのですね」
「構えてみたんですけど、全然うまくできませんでした」
「初めてなら、それが普通ですよ」
リリナは少しだけ黙った。
(普通なんですねぇ)
ガイウスにも、最初からできたわけではないと言われた。
それでも実際に木剣を持ってみるまでは、あれほど難しいとは思っていなかった。
「先生」
「はい」
「私も少し、やってみたいんです」
イスターニャはすぐには答えなかった。
驚いた様子もなく、ただリリナを見ている。
「剣を、ですか?」
「はい」
「では、一つ聞いてもいいですか?」
「はい」
「なぜ、やってみたいと思ったのですか?」
聞かれる気はしていた。
けれどリリナの中には、まだ綺麗にまとまった答えがない。
「強くなりたいから……ではないと思います」
「はい」
「騎士になりたいのかも、まだ分かりません」
「そうですか」
「剣は、今でも少し怖いです」
魔物を斬った刃を思い出すと、胸の奥がわずかに縮む。
けれど同時に、その剣が自分たちを守ってくれたことも思い出す。
「お母様とマーシアが、剣で私たちを守ってくれました」
「はい」
「それで剣を見せてもらって、お父様にも木剣を持たせてもらいました」
「でも、見ているだけの時と、自分で持った時では全然違ったんです」
「だから……」
リリナは自分の手を見る。
「もう少しやってみないと、まだ分からない気がするんです」
イスターニャは少しだけ目を細めた。
「分からないから、実際に確かめてみたいのですね」
「はい」
「使えるようになりたいのかも、まだ分かりませんけど」
「それでも構いませんよ」
リリナが顔を上げる。
「いいんですか?」
「何かを始める時に、最後の答えまで決まっている必要はありません」
「やってみてから分かることもあります」
「やってみて、違うと思うこともあります」
「それを確かめることも、学ぶことの一つです」
リリナはゆっくり頷いた。
「では、教えてもらえますか?」
「はい」
「ただし、最初から剣を振り回すようなことはしませんよ」
「分かりました」
「まずは持つところからです」
「お父様にも言われましたねぇ」
思わずそう言うと、イスターニャが小さく笑った。
「それなら、少し復習になりそうですね」
◇
修練場へ移ると、イスターニャは壁際に置かれていた木剣の中から一本を選んだ。
リリナにも扱えそうなものを確かめてから、両手で差し出す。
「持ってみてください」
「はい」
リリナは木剣を受け取った。
以前ガイウスから渡された時の感覚を思い出しながら、両手を柄へ置く。
足も少し開いた。
「こうでしょうか?」
イスターニャはすぐには直さなかった。
「今、どこに一番力が入っていますか?」
「どこに、ですか?」
言われて初めて、自分の身体へ意識を向ける。
手。
腕。
肩。
どこも少し固い。
「手と……肩でしょうか」
「では、そのまま少しだけ持っていてください」
リリナは言われた通りにする。
少しすると、やはり腕が疲れてきた。
「疲れてきました」
「どこが疲れましたか?」
「腕です」
「肩は?」
「少し固い感じがしますねぇ」
「では、肩の力を少し抜いてみましょう」
「木剣は落とさないようにしてくださいね」
「それが難しいです」
力を抜こうとすると、今度は手まで緩めそうになる。
慌てて握り直すと、また肩に力が入った。
「先生」
「はい」
「ちょうどいいところが分かりません」
「最初はそれでいいのです」
「今、自分が力を入れすぎていると分かったでしょう?」
「はい」
「まずは、それに気づければ十分です」
リリナはもう一度肩を動かした。
少しずつ力を抜いてみる。
「お父様にも、力を入れすぎるなと言われました」
「では、今はどうでしょう?」
「前よりは入っていないと思います」
「本当に?」
「たぶんですねぇ」
「では、その『たぶん』を少しずつ減らしていきましょう」
イスターニャはリリナの足元を見る。
「次は足です」
「はい」
「その立ち方で、前へ一歩動けそうですか?」
リリナは木剣を持ったまま、少しだけ前へ動こうとした。
けれど足がもつれそうになり、慌てて止まる。
「動きにくいです」
「どうしてだと思いますか?」
「足が近すぎるんでしょうか」
「そうですね」
「少しだけ開いてみましょう」
言われた通りに足を置き直す。
もう一度前へ動いてみると、さっきよりは動きやすかった。
「少し違います」
「何が違いましたか?」
「前より動きやすいです」
「それを覚えておいてください」
リリナは自分の足元を見た。
(立つだけでも考えることがたくさんありますねぇ)
ガイウスに木剣を持たされた時にも難しいと思った。
けれどイスターニャと一つずつ確かめていくと、難しさの中にもいくつか種類があるらしい。
「では、今日は一度だけゆっくり振ってみましょうか」
「いいんですか?」
「速く振る必要はありません」
「真っすぐ下ろすつもりで動かしてみてください」
「はい」
リリナは木剣を少し持ち上げた。
そのままゆっくり前へ下ろす。
「……どうでしょう?」
自分では真っすぐのつもりだった。
けれど木剣の先は途中から少し横へずれていた。
「少し斜めになりましたね」
「やっぱりですか」
「もう一度やってみますか?」
「はい」
二度目は木剣の先を意識しすぎた。
今度は腕が固くなり、動きそのものがぎこちなくなる。
「あれ?」
「何が起きましたか?」
「真っすぐにしようとしたら、今度は動かしにくくなりました」
「力が入ったのかもしれませんね」
「またですねぇ」
リリナは苦笑した。
「では、もう一度だけ」
「はい」
三度目。
少しだけ肩の力を抜く。
足の位置も確かめる。
木剣をゆっくり持ち上げ、下ろした。
先ほどよりはまっすぐ動いた。
けれど戻そうとした時に剣先がふらつく。
「あ」
「今のは分かりましたか?」
「戻す時に揺れました」
「はい」
「振ることだけではなく、戻すところまでが動きです」
「戻すのもですか?」
「もちろんです」
リリナは木剣を見た。
(終わったと思ったところにも、まだ続きがあるんですねぇ)
もう一度やってみたいと思った。
けれど腕には少しずつ疲れが溜まっている。
それを見ていたのか、イスターニャが手を差し出した。
「今日はここまでにしましょう」
「もうですか?」
「もう、ですよ」
「まだ少しできそうです」
「できそうな時に止めることも大切です」
「疲れて形が崩れたまま続ければ、違う動きを覚えてしまいますから」
「そういうものなんですねぇ」
リリナは木剣を返した。
両手が軽くなった途端、腕が思っていたより疲れていたことに気づく。
「どうでしたか?」
イスターニャに聞かれ、リリナは少し考えた。
「難しいです」
「はい」
「持つだけでも難しいですし、立つのも難しいです」
「振ったら真っすぐになりませんでした」
「戻す時にも揺れました」
「そうですね」
リリナは自分の手を開いたり閉じたりした。
難しい。
昨日までより、それがよく分かった。
けれど嫌だったかと聞かれれば、そうではない。
「先生」
「はい」
「また教えてもらえますか?」
「もちろんです」
リリナは小さく頷いた。
「難しいですけど、もう少しやってみたいです」
イスターニャは穏やかに笑った。
「では、少しずつ続けていきましょう」
リリナは壁際へ戻された木剣を見た。
まだ上手く振ることもできない。
何のために使えるようになりたいのかも、はっきりとは決まっていない。
それでも今は、それでいいような気がした。
(難しいですけど、もう少しやってみたいですねぇ)




