第33話『木の剣も難しいですねぇ。』
第33話『木の剣も難しいですねぇ。』
それから数日後、リリナは屋敷の廊下を歩いていた。
窓の外から、乾いた音が聞こえてくる。
木と木がぶつかる音ではない。
何かが空気を切るような、短い音だった。
リリナは足を止めた。
(修練場でしょうか)
アルクスが家にいた頃は、よく聞いていた音だった。
けれど兄が騎士学校へ行ってからは、修練場もずいぶん静かになっている。
フォ月になってもアルクスは結局帰ってこず、今も騎士学校にいる。
リリナは音のする方へ向かった。
◇
修練場を覗くと、ガイウスが一人で木剣を振っていた。
一度振るうたびに、鋭い音がする。
速い。
けれど大きく振り回しているようには見えない。
足も身体も一緒に動き、木剣だけが勝手に動いているような感じはなかった。
リリナは入口のところで立ち止まった。
以前なら、アルクスが怪我をしないか気になって見ていた。
今は違う。
ガイウスの手にある木剣そのものを見ている。
(どうやって動かしているんでしょうねぇ)
エレノアに見せてもらった剣は重かった。
鞘に入ったまま持っただけでも、少しすると腕が疲れた。
今ガイウスが持っているのは木剣だ。
それでも、ただ腕だけで振っているようには見えない。
何度か木剣を振ったあと、ガイウスが動きを止めた。
そのまま顔だけをリリナの方へ向ける。
「どうした」
見つかってしまった。
隠れていたつもりはなかったので、リリナはそのまま中へ入った。
「少し見ていました」
「そうか」
ガイウスは木剣を下ろした。
それ以上は聞いてこない。
リリナの方から口を開いた。
「お父様」
「なんだ」
「剣のことを、もう少し知りたいんです」
ガイウスの目が少しだけリリナへ向く。
「何を知りたい」
返ってきたのは、それだけだった。
リリナは少し考える。
昨日までに気になったことはいくつもある。
その中で、まず浮かんだのは剣を持った時の重さだった。
「剣は重かったです」
「そうだな」
「では、力が強ければ使えるんですか?」
ガイウスはすぐに首を横へ振った。
「力だけでは使えん」
「そうなんですか?」
「強く振れば剣になるわけではない」
「持ち方、立ち方、足の運び、身体の使い方」
「全部が必要だ」
リリナはガイウスの足元を見た。
先ほど剣を振っていた時も、腕だけが動いていたわけではない。
「腕の力だけではないんですねぇ」
「ない」
「力だけで振れば、すぐに疲れる」
「それに遅い」
「遅くなるんですか?」
「余計な力が入ればな」
リリナは自分の腕を見た。
エレノアの剣を持った時は、落とさないように必死で力を入れていた。
(あれでは駄目だったんでしょうか)
ガイウスが壁際へ歩いていく。
並べられている木剣の中から一本を手に取ると、リリナのところへ戻ってきた。
「持ってみろ」
「いいんですか?」
「持つだけだ」
差し出された木剣を、リリナは両手で受け取った。
本物の剣ほど重くはない。
けれど軽々と扱えるほどでもなかった。
「昨日の剣よりは軽いですねぇ」
「木だからな」
「でも、思っていたより重いです」
「構えてみろ」
「構えるんですか?」
「見ていただろう」
確かに何度も見ている。
アルクスもガイウスも、剣を持つ時には似たような立ち方をしていた。
リリナは記憶を頼りに木剣を前へ出した。
「こうでしょうか?」
ガイウスが黙って見ている。
その沈黙だけで、たぶん違うのだと分かった。
「手が違う」
「手ですか?」
「右をもう少し上だ」
「はい」
言われた通りにずらす。
「足を揃えるな」
「あ」
気づけば両足がほとんど横に並んでいた。
リリナは慌てて片足を前へ出す。
「出しすぎだ」
「難しいですねぇ」
「まだ何もしていないぞ」
その通りだった。
まだ木剣を持って立っているだけだ。
リリナは少しだけ頬を膨らませながら足を戻した。
「これくらいですか?」
「そのくらいだ」
「次は?」
「力を抜け」
「抜くんですか?」
落とさないように木剣を握っているのに、力を抜けと言われた。
リリナは困って自分の手を見る。
「でも、力を抜いたら落としそうです」
「全部抜けとは言っていない」
「握り潰すように持つな」
「そんなに力が入っていますか?」
「入っている」
言われてみれば、指まで固くなっていた。
少しだけ力を緩めてみる。
けれど緩めすぎると不安になり、また強く握ってしまう。
(ちょうどいいところが分かりませんねぇ)
さらに腕が疲れてくると、木剣の先が少しずつ下がった。
「下がっている」
「重くなってきました」
「木剣は重くなっていない」
「私が疲れただけですねぇ」
「そういうことだ」
ガイウスが手を伸ばす。
リリナは木剣を返した。
受け取ったガイウスは、そのまま同じ場所に立つ。
足を置き、木剣を構えた。
それだけだった。
さっきまで自分が持っていたものと同じ木剣なのに、まるで違って見える。
剣先は揺れず、肩にも無駄な力が入っているようには見えない。
「同じ木剣ですよねぇ」
「そうだ」
「ずいぶん違って見えます」
「使い方が違う」
ガイウスが木剣を一度だけ振った。
短い風切り音が鳴る。
すぐに元の位置へ戻った。
リリナはその動きをじっと見ていた。
(ただ振っているわけではないんですねぇ)
持ってみるまでは、剣は腕で動かすものだと思っていた。
けれど自分で立ってみると、手の位置だけでも迷った。
足をどこへ置くのかも分からない。
力を入れればいいわけでもない。
ガイウスが何気なくやっていることの中に、自分にはまだ分からないものがいくつもある。
「お父様」
「なんだ」
「お父様も、最初からこんなふうにできたんですか?」
ガイウスがリリナを見る。
「そんなわけがない」
返事はあまりにも早かった。
「そうなんですか?」
「俺にも最初はある」
「今みたいにはできなかったんですねぇ」
「できなかったから覚えた」
ガイウスは木剣を壁際へ戻した。
「何度も練習したんですか?」
「当然だ」
「お父様でもですか?」
「俺を何だと思っている」
リリナは少し考えた。
「お父様ですねぇ」
「そうだ」
それで会話が終わった。
あまりにもそのままだったので、リリナは少し笑ってしまった。
ガイウスは何も言わず、もう一本の木剣を手に取る。
どうやら鍛錬を続けるらしい。
「少し分かりました」
「そうか」
「剣は持てば使えるわけではないんですねぇ」
「ああ」
「力が強ければいいわけでもない」
「そうだ」
リリナは先ほど木剣を握っていた手を開いたり閉じたりした。
ほんの少し持っていただけなのに、腕にはまだ重さの感覚が残っている。
「思っていたより、ずっと難しいですねぇ」
「簡単なら鍛錬はいらん」
ガイウスらしい答えだった。
リリナは修練場を出る前に、壁際の木剣をもう一度見た。
魔物から自分たちを守った剣。
怖いと思った剣。
もっと知りたいと思った剣。
そして今日は、持つだけでも簡単ではないことを知った。
(見るのと、自分で持つのではずいぶん違いますねぇ)
まだ使えるようになりたいのかは分からない。
それでも、昨日までより剣のことを少しだけ知ることができた。




