第3話『転生手続きですねぇ。』
第3話『転生手続きですねぇ。』
次に目を開けた時、ウメは真っ白な場所に立っていた。天井も壁も見当たらず、どこまで続いているのかも分からない。それでも足元には何かがあるらしく、立っている感覚だけは妙にはっきりしていた。
「はて。死んだと思ったんだけどねぇ」
「はい。亡くなられております」
すぐ近くから返事があり、ウメは声のした方へ顔を向けた。そこには白を基調とした衣をまとった女性が一人立っている。どう見ても普通の人間には見えないのだが、その表情は神々しいというより、仕事中の役所の人に近かった。
「南江ウメ様でお間違いありませんか?」
「はい。南江ウメですよ」
「旧姓は松竹」
「そうです」
「1920年生まれ、2010年没。享年90歳。こちらもお間違いありませんね?」
「ありませんよ」
「ありがとうございます。本人確認完了です」
女性は手元に浮かぶ薄い板のようなものへ指を滑らせ、小さく頷いた。死んだ後にまで氏名と生年月日を確認されるとは思っていなかったウメは、その様子をしばらく眺める。
「死んだ後にも本人確認があるんですねぇ」
「ございます」
「そういうものですか」
「別の方を転生させてしまうと大問題ですので」
「それはそうですねぇ」
「ご理解いただけて助かります」
ウメがあっさり納得すると、女性はほんの少しだけ拍子抜けしたような顔をした。
「では改めまして。私は女神エレクリアと申します。地球支店で転生を担当しております」
「地球支店?」
「はい」
「支店なんですねぇ」
「……そこが気になりますか?」
「本店もあるのかなと思いまして」
「ございますが、今回のお手続きには関係ありません」
「そうですか」
エレクリアは一度だけ間を置き、何事もなかったように話を戻した。
「それでは転生手続きを開始いたします。途中で分からないことがございましたら、その都度ご質問ください」
「お願いします」
「まず、転生の仕組みについて簡単にご説明します。亡くなられた方の魂が、全てそのまま地球の人間として生まれ変わるわけではございません」
「そうなんですか?」
「はい。新しく生まれる命には、新たに生まれる魂が宿る場合と、以前生きていた魂が転生する場合があります」
ウメは少し首を傾げた。
「じゃあ、赤ん坊が生まれたからといって、必ず誰かの生まれ変わりというわけではないんですねぇ」
「その通りです」
「新しい魂もあるんですか」
「ございます。それらは命の誕生とともに自然に生じるもので、私どもが増やしたり止めたりしているわけではありません」
なるほど、とウメは頷いた。神様が一つずつ魂を作って赤ん坊へ入れているようなものを何となく想像していたが、どうもそんな単純な話ではないらしい。
「では、亡くなった人が人間として生まれ変われる数には限りがあるんですか?」
「ございます。地球の人間として再転生できる魂の数は、出生数そのものとは別に管理されています」
「別なんですねぇ」
「はい。地球上の人口が増えているからといって、亡くなられた方全員を人間として戻せるわけではありません」
「なるほど。そこは同じ数じゃないと」
エレクリアは少しだけ満足そうに頷いた。
「さらに近年は、地域によって出生率が低下している一方で、人間の寿命は以前より長くなっています。そのため、人間として再転生できる枠の回転も昔より遅くなっております」
「長生きする人が増えれば、一度生まれた人が長くそこにいるわけですものねぇ」
「はい。そして新しい命には新しい魂が自然に生まれる場合もございますので、亡くなった魂を全て地球の人間へ戻すことはできません」
「それで順番待ちになると」
「簡単に申し上げれば、そのような状態です」
エレクリアの説明を聞きながら、ウメは何となく病院の待合室を思い出した。死んだ後にまで順番待ちがあるとは、世の中というものはなかなか忙しい。
「待っていれば、いつかまた人間になれるんですか?」
「可能性はございます。ただし、いつになるかは分かりません」
「何年くらい?」
「お答えできません」
「百年?」
「分かりません」
「千年?」
「分かりません」
「随分気の長い話ですねぇ」
「魂に寿命はございませんので」
「こちらはもう九十年生きたんですけどねぇ」
エレクリアは何とも言えない顔をしたあと、次の項目へ進んだ。
「また、地球内で転生する場合、人間以外の生物へ転生していただくこともございます」
「人間以外?」
「はい」
「例えば?」
「犬、猫、鳥などですね」
「ほう」
そこまではウメも普通に聞いていた。
「ほかにも魚類、爬虫類、昆虫などがございます」
「虫もですか?」
「ございます」
「ゴキブリなんかも?」
「可能性としては否定できません」
「それはちょっと嫌ですねぇ」
「種類の指定は原則として承っておりません」
「猫なら少し考えたんですけどねぇ」
「猫を希望される方は多いです」
「でしょうねぇ」
初めてエレクリアの返事に、妙な実感がこもっていた。
「ただし今回は、南江ウメ様には別の選択肢がございます」
「何でしょう」
「他世界への人間としての転生です」
「他世界?」
「地球とは異なる世界です。地球側で人間への再転生枠を長期間お待ちいただく代わりに、人間を受け入れられる別世界へ魂を移す制度がございます」
「それで地球支店なんですねぇ」
「そういうことです」
「やっと支店らしくなってきましたね」
「最初から支店です」
少しだけむっとしたように答えたエレクリアを見て、ウメは笑った。
「その別世界なら、人間として生まれられるんですか?」
「今回ご案内している枠では、人間です」
「犬や猫ではなく?」
「人間です」
「虫でもなく?」
「人間です」
「では、そちらの話を聞きましょうか」
「承知しました」
エレクリアは手元へ何かを記録した。
「転生先候補の世界名はイシャリードです。複数の大陸が存在し、その中で最も大きいものがファードロス大陸。南江ウメ様には、そのファードロス大陸にあるアルトレシア王国への転生をご案内しております」
「国まで決まってるんですねぇ」
「現段階では国までです」
「家は?」
「最終処理後に決定されます」
「まだ分からないんですね」
「はい」
「貧乏かもしれない?」
「可能性はございます」
「お金持ちかもしれない?」
「可能性はございます」
「随分と幅がありますねぇ」
「人生ですので」
「それを言われると何も言えませんね」
九十年も生きてきたウメには、その言葉には妙な説得力があった。
「続きまして、前世の記憶について確認いたします」
「はい」
「地球で過ごされた記憶は、残したまま転生することも、消して転生することもできます。どちらになさいますか?」
「選べるんですか?」
「はい」
「嫌なことだけ消すことは?」
「できません」
「そううまくはいきませんねぇ」
エレクリアは答えを急かさず、静かに待っている。
ウメはこれまでの人生を思い返した。父と母、一つの饅頭を三人で分けた日のこと。戦争へ行ったまま帰ってこなかった人。焼けた町と、あの日握った小さな手。戦争が終わった日の夕飯。そして夫と出会い、子供を育て、孫が生まれ、曾孫まで抱いた長い年月。
良いことばかりではなかった。忘れられるのなら忘れたい夜もあったし、思い出せば今でも胸の奥が痛む別れもある。それでも最後に、自分は確かに言ったのだ。
「残してください」
「全てですか?」
「全部です」
「戦争の記憶も、大切な方を亡くされた記憶も残ります」
「ええ」
「消去を選ばれる方もいらっしゃいます」
「そうでしょうねぇ」
ウメは少し考えてから、穏やかに笑った。
「でも、それも私の人生ですから」
「辛かったことまでですか?」
「辛かったことだけ取ってしまったら、私が生きた九十年とは違うものになってしまうでしょう。良いことも悪いこともあって、それで最後に良い人生だったと思えたんですから」
エレクリアはしばらくウメを見ていたが、やがて小さく頷いた。
「承知しました。前世記憶、保持で登録いたします」
「登録するんですねぇ」
「します」
「今ちょっと良い話をした気がするんですけど」
「手続きは手続きですので」
「そうですか」
しんみりした空気は、あっという間にどこかへ行った。
「続いて、転生先についての注意事項をご説明します。イシャリードは地球とは大きく異なる世界です。まず、魔法が存在します」
「魔法?」
「はい」
「本当に?」
「本当にございます」
ここへ来て初めて、ウメが少し目を丸くした。
「九十年生きましたけど、魔法は見たことありませんねぇ」
「地球には存在しませんので」
「それなら見ないでしょうね」
エレクリアは淡々と説明を続ける。
「魔法のほかにも、地球には存在しない生物や魔物が存在します。また、地域によっては身分制度もございます」
「随分違うところへ行くんですねぇ」
「生活様式や文化も異なります。地球での常識がそのまま通じるとは限りませんので、その点はご注意ください」
「分かりました」
そこでエレクリアは一度だけ手元へ視線を落とし、少し声の調子を変えた。
「また、国や地域によっては戦争も発生しております」
ウメの表情から、わずかに笑みが消えた。
「……戦争もあるんですねぇ」
「はい」
エレクリアはそれ以上、何も言わなかった。
戦争という言葉の向こうに何があるのかを、ウメは知っている。焼けた家も、帰ってこなかった人も、泣いていた子供も知っている。そして戦争が終わったからといって、失ったものまで元に戻るわけではないことも知っていた。
「どこの世界でも、そういうことはあるんですねぇ」
「残念ながら」
「そうですか」
ウメは少し黙ったあと、またエレクリアを見る。
「続きをお願いします」
「転生後は、現地で使用される会話を理解できるよう調整されます。ただし、ご自身で話すことや読み書きについては、身体の成長と学習が必要です」
「また勉強ですか」
「必要です」
「九十歳まで生きて、また学校へ行くことになるかもしれませんねぇ」
「出生からですので」
「そうでした」
エレクリアは次の項目へ進んだ。
「なお、今回の転生に伴う特殊能力等の追加付与はございません」
「特別な力はないんですか?」
「ありません」
「魔法の世界なのに?」
「魔法については現地の方々と同じです。どの程度扱えるかは、出生後の資質や成長によります」
「特別な武器とかは?」
「ございません」
「ものすごい魔法が使えたりは?」
「保証いたしません」
「随分普通なんですねぇ」
「通常の転生ですので」
ウメは可笑しそうに笑った。
「その方がいいですよ。最初から何でもできたら、せっかくもう一度生きる意味も薄くなりそうですから」
「そういう考え方をされる方は珍しいですね」
「九十年も生きるとねぇ。何でも急げばいいってものじゃないと分かるんですよ」
エレクリアは一瞬だけウメを見たが、すぐにまた仕事の顔へ戻った。
「それでは最終確認を行います。南江ウメ様。地球で人間への再転生を待つのではなく、別世界イシャリードへの転生を希望。転生先はファードロス大陸、アルトレシア王国。種族は人間。前世記憶は保持。新しい人生は出生から開始。特殊能力等の追加付与なし。以上の内容でよろしいでしょうか?」
「はい」
「転生に同意されますか?」
「同意します」
「承りました」
エレクリアが手元へ触れると、周囲の白い空間が少しずつ明るさを増していった。
「これで全部ですか?」
「主要なお手続きは以上となります」
「判子はいらないんですか?」
「魂に判子は押せません」
「そうですか」
「口頭で問題ございません」
「便利ですねぇ」
「便利という問題でしょうか……」
光が強くなり、ウメの身体が少しずつ軽くなっていく。眠りへ落ちる直前のように意識が遠ざかり、エレクリアの姿も白い光の向こうへ霞み始めた。
「それでは南江ウメ様。転生処理を開始いたします」
「はい。よろしくお願いします」
「……最後まで随分落ち着いていらっしゃいますね」
「九十年生きましたからねぇ」
「転生は九十年生きても普通は経験しないと思いますが」
「それもそうですねぇ」
ウメは笑った。
もう一度、人生が始まる。誰の子供になるのかも、どんな人と出会うのかもまだ分からない。魔法という見たこともないものがあり、戦争もあるという世界で、自分がどんな人生を送るのかも分からなかった。
けれど、まだ見てもいない世界のことを今から決めつけても仕方がない。
「さて。今度はどんな人生になりますかねぇ」
そう呟いたところで、南江ウメの意識は白い光の中へ溶けていった。




