第28話『これがヒールですねぇ。』
第28話『これがヒールですねぇ。』
それからもリリナは、イスターニャの手を借りて魔力を相手へ向ける練習を続けていた。
魔力を感じることも、手まで動かすことも、身体の外へ出すことも今ではそれほど迷わない。
けれど、その先だけはまだ少し難しかった。
「では、もう一度やってみましょう」
「はい」
リリナはイスターニャの手へ自分の手を重ねる。
目を閉じ、自分の中にある魔力へ意識を向けた。
(まずは、ここですねぇ)
魔力を感じる。
手の方へ動かす。
身体の外へ出す。
ここまではいつも通りだ。
そこから、自分の手の向こうにあるイスターニャの手を意識する。
(先生の方へ……)
魔力を少しだけ先へ向ける。
「どうですか?」
「先ほどより、はっきり届いていますよ」
リリナは目を開いた。
「できましたか?」
「ええ。では一度手を離して、もう一度やってみましょう」
リリナは頷き、手を離す。
一度できただけでは、まだ偶然かもしれない。
もう一度イスターニャの手へ触れる。
魔力を感じる。
動かす。
外へ出す。
その先へ。
「……どうでしょう」
「届いています」
もう一度。
今度も届いた。
さらにもう一度。
「ええ。先ほどから同じようにできていますね」
イスターニャが穏やかに頷いた。
「相手へ魔力を向けるところまでは、だいぶ安定してきました」
「よかったです」
リリナは小さく息を吐いた。
最初は外へ出したところで、どうすればいいのか分からなくなっていた。
けれど今なら、自分の魔力をどちらへ向ければいいのか少し分かる。
「では、次へ進んでみましょうか」
「次ですか?」
イスターニャは重ねていた手を離すと、自分の左手の甲をリリナへ見せた。
「ここを見てください」
言われた場所を見る。
手の甲に小さな傷があった。
もう血は出ておらず、細いかさぶたが残っている。
「怪我していたんですか?」
「もうほとんど治っていますよ」
「かさぶたになっていますね」
「ええ。ですから、最初の練習にはちょうどいいでしょう」
リリナは傷をじっと見る。
「これを《ヒール》で治すんですか?」
「やってみましょう」
とうとう実際の傷を治すらしい。
そう思うと、少しだけ緊張した。
「ただし、慌てなくて大丈夫ですよ」
「はい」
「まずは今までと同じです。魔力を相手へ届かせてください」
「そのあとに傷を治すんですね」
「ええ。傷を治すつもりで魔法を使います」
リリナは以前、自分の膝を治してもらった時のことを思い出す。
皮膚から浮かんだ小さな光。
ほんのりとした温かさ。
そして最後には消えていた擦り傷。
(あの時みたいにするんですねぇ)
リリナはイスターニャの手をそっと取った。
かさぶたの近くへ指を添える。
「では、やってみてください」
「はい」
魔力を感じる。
動かす。
身体の外へ出す。
イスターニャの手へ向ける。
そこまではできた。
今度は、目の前の傷を見る。
(この傷を治す……)
意識を傷へ向ける。
「ヒール」
何も起こらなかった。
かさぶたはそのまま。
小さな光も出ていない。
「……出ませんでした」
「魔力は私のところまで届いていましたよ」
「でも《ヒール》にはならなかったんですね」
「ええ。相手へ魔力を届かせることと、その魔力を治療として作用させることは、また別です」
リリナはかさぶたを見る。
(まだ先がありましたねぇ)
「もう一度やってもいいですか?」
「もちろんです」
リリナはもう一度、傷へ意識を向ける。
魔力を感じて。
動かして。
外へ出して。
相手へ届かせる。
そして傷を治す。
「ヒール」
やはり何も変わらない。
「難しいです」
「どうしようとしましたか?」
「先生の傷に魔力を入れようとしました」
「なるほど」
イスターニャは少し考える。
「魔力を入れることだけを考えなくても大丈夫ですよ」
「入れなくてもいいんですか?」
「リリナ様は何をしたいのですか?」
リリナは目の前の傷を見る。
「この傷を治したいです」
「では、まずはそれを忘れないでください」
傷を治したい。
そのために魔力を使う。
リリナはもう一度、イスターニャの手へ触れる。
(治すんですねぇ)
かさぶたを見る。
その下にある傷が、もう必要のないものになるように。
魔力を動かす。
「ヒール」
しばらく何も起こらなかった。
また失敗したのかと思った、その時だった。
「あ……」
かさぶたの脇から、小さな光が一つ浮かんだ。
「光が出ました」
もう一つ。
今度は反対側から、小さな光がふわりと現れる。
「そのまま続けてください」
「はい」
リリナは傷から目を離さない。
小さな光がいくつか、皮膚の上で淡く揺れている。
自分の膝を治してもらった時に見たものと同じだ。
(できている……?)
けれど、そこで気を抜かない。
まだ傷は残っている。
魔力を傷へ向け続ける。
一つの光が消えた。
少しして、もう一つ消える。
その時、かさぶたの端がわずかに浮いた。
「あれ?」
リリナが見ている前で、かさぶたが少しずつ皮膚から離れていく。
無理に引っ張られた様子はない。
ぽろり。
小さな欠片が一つ落ちた。
続いてもう一つ。
「取れました」
「ええ」
イスターニャは動かず、リリナに続けさせる。
残っていた光も少しずつ消えていく。
最後の一つが消える頃には、かさぶたもほとんど落ちていた。
その下には新しい皮膚が見えている。
まだ少し赤みはある。
けれど傷口はもう開いていない。
「……治っています」
リリナは思わず顔を上げた。
「先生、治っています」
「ええ」
イスターニャが自分の手の甲を確認する。
「きちんと塞がっていますね」
「今のは……」
「《ヒール》です」
リリナはもう一度、イスターニャの手を見る。
「本当にできたんですか?」
「はい。今のはちゃんと治療として作用していましたよ」
その言葉を聞いて、リリナは落ちたかさぶたへ目を向けた。
ほんの小さな傷だった。
すでに自分でも治り始めていた傷だ。
それでも、自分が魔力を使う前にはそこにかさぶたがあった。
今は傷が塞がり、その役目を終えたかさぶたが床へ落ちている。
(私が治したんですねぇ)
《ライティ》を初めて出せた時とは、少し違う気持ちだった。
あの時は、自分の手の上に光が浮かんだことが嬉しかった。
今回は、自分ではない誰かの身体が変わった。
「先生」
「はい?」
「痛くありませんか?」
「大丈夫ですよ。むしろ、先ほどより楽になりました」
リリナはほっとする。
「よかったです」
「ただし、これで何でも治せるようになったわけではありませんよ」
「はい」
そこはリリナにも分かっている。
今日治したのは、すでに治りかけていた小さな傷だ。
それでも最初の一歩には違いない。
「これからも練習すれば、もっとちゃんと使えるようになりますか?」
「ええ。まずは今の《ヒール》を安定して使えるようにしましょう」
リリナは頷いた。
感じることから始まった魔力。
動かせるようになり。
身体の外へ出せるようになり。
光にできるようになった。
そして今度は、誰かへ届けて傷を治した。
落ちた小さなかさぶたを見ながら、リリナはもう一度イスターニャの手を見る。
(本当に、治せたんですねぇ)
まだ少し赤い新しい皮膚が、そこに残っていた。




