第27話『あたたかいですねぇ。』
第27話『あたたかいですねぇ。』
前の授業で治療に使う魔法について教わったあと、リリナはイスターニャの前に座っていた。
今日は実際に《ヒール》を教えてもらうことになっている。
「では始める前に、まず《ヒール》がきちんと使えた時にどうなるのか見ておきましょう」
「成功した時ですか?」
「ええ。先に正しい状態を知っていた方が分かりやすいですから」
イスターニャはそう言って、リリナの身体へ目を向けた。
「どこかに小さな傷はありませんか?」
「傷……」
リリナは自分の手や腕を見てから、少し考える。
すると膝に小さな擦り傷があることを思い出した。
「ここにあります」
「見せてもらえますか?」
リリナが膝を見せると、そこには薄く赤くなった小さな傷があった。
いつの間にかできていた程度のもので、痛みもほとんどない。
「これならちょうどいいですね」
「これを治すんですか?」
「はい」
イスターニャがリリナの前へしゃがみ、傷の近くへそっと手を添える。
「よく見ていてください」
「はい」
リリナは自分の膝をじっと見つめた。
「ヒール」
その言葉とともに、膝の辺りに何かが触れたような感覚がした。
次の瞬間、赤くなっていた皮膚から小さな光がいくつか浮かび上がる。
「わっ……」
一つ。
二つ。
小さな光が傷の周りからふわりと現れ、淡く揺れている。
《ライティ》の時とは違う。
イスターニャの手から光が出ているのではない。
光は、治されている自分の皮膚から出ていた。
「ここから光が出るんですね」
「ええ。きちんと治療が始まると、このように傷のある場所から小さな光が現れます」
リリナは膝へ目を向けたまま、もう一つの変化に気づいた。
痛くはない。
むしろ、その場所がほんのりと温かい。
「あたたかいですねぇ」
その言葉を口にした瞬間、遠い昔の記憶がふっと浮かんだ。
まだ松竹ウメだった頃。
今よりずっと幼かった自分が、外で転んで膝を擦りむいたことがある。
泣きながら家へ帰ると、母が膝を見てくれた。
傷口を水で洗われた時は、ひどくしみた。
痛くて足を引こうとすると、母は逃げないように膝をそっと押さえていた。
洗って取っておいた古い布を傷へ当て、その上から丁寧に包んでくれた。
傷はひりひりしていたのに、膝へ触れていた母の手だけは温かかった。
(懐かしいですねぇ……)
あの時も、こうして誰かに傷を治してもらっていた。
やり方はまるで違う。
あの頃には魔法などなかった。
それでも、誰かが傷へ手を添えてくれている時の温かさはよく覚えている。
「リリナ様?」
イスターニャの声で、リリナは今へ戻った。
「あ、すみません」
「何か気になることがありましたか?」
「いえ。昔のことを少し思い出していただけです」
「そうでしたか」
イスターニャはそれ以上聞かず、治療を続ける。
膝から浮かんでいた小さな光は、少しずつ数を減らしていった。
一つが消え。
また一つが消える。
最後の光が消えた頃には、赤かった擦り傷も見えなくなっていた。
「治っています」
「これが《ヒール》が正しく作用した状態です」
リリナは傷のあった場所へ指を当てる。
痛みもなく、触っても先ほどまでの傷は分からない。
「本当に消えてしまいましたねぇ」
「《ヒール》で治せる程度の傷なら、このように治療できます」
イスターニャは立ち上がると、今度は自分の手をリリナへ差し出した。
「では次は、リリナ様の番です」
「もう《ヒール》を使うんですか?」
「まだ傷は治しませんよ」
リリナは差し出された手を見る。
「まずは、自分の魔力を相手へ作用させる練習です」
「先生にですか?」
「ええ。私の手を使いましょう」
リリナは少し緊張しながら、イスターニャの手へ自分の手を重ねた。
「《ライティ》の時と同じように、まず魔力を感じてください」
「はい」
自分の中へ意識を向ける。
以前のように、魔力を探すだけで長い時間がかかることはなくなった。
(ここにありますねぇ)
「次に、手の方へ動かします」
「はい」
ゆっくりと魔力を動かす。
ここまでは何度も繰り返してきた。
「そして身体の外へ出すところまでは、《ライティ》と同じです」
「そのあとですね」
「そうです」
リリナは魔力を手の先まで動かし、身体の外へ出そうとする。
そこまではできる。
けれど、その先。
(先生に……)
イスターニャの手を意識する。
自分の手と触れ合っている、別の人の手。
そこへ魔力を届かせようとすると、急にどうすればいいのか分からなくなった。
「……難しいです」
「どこまでできましたか?」
「外へ出すところまでは分かります。でも、そのあとが分かりません」
「それで大丈夫ですよ」
イスターニャは手を動かさず、そのまま待っている。
「《ライティ》は、身体の外へ出した魔力をそこで光にすればよかったですね」
「はい」
「ですが治療魔法は、そこからさらに相手へ働きかけます」
「外へ出したあとに、もう一つあるんですねぇ」
「ええ」
リリナはもう一度、自分の魔力へ意識を向けた。
感じる。
動かす。
外へ出す。
そこから、イスターニャの手へ。
そう考えてみる。
けれど何も変わらない。
イスターニャの手から光が出ることもなければ、先ほど自分が感じたような温かさがある様子もない。
「もう一度やってみてもいいですか?」
「もちろんです」
リリナは再び集中した。
今度は《ライティ》を出す時のように、自分の手の上だけを考えない。
手の向こう側にいるイスターニャを意識する。
(先生へ……)
魔力を外へ出す。
そこから先へ。
少しだけ進んだような気がした。
「……今、少し違いました」
「リリナ様も分かりましたか?」
「はい。でも、よく分かりません」
「それで十分です」
イスターニャが微笑む。
「今はまだ《ヒール》ではありません。ただ、先ほどより少しだけ私の方へ魔力が向きました」
「届いたんですか?」
「ほんの少しだけですけれどね」
リリナは自分の手と、イスターニャの手を見る。
光は出ていない。
温かくなった様子もない。
先ほど自分の膝から浮かんだ、小さな光とはほど遠かった。
(まだまだですねぇ)
それでも、最初から何も分からなかったわけではない。
《ライティ》を覚えるまでにも、少しずつできることが増えていった。
治療魔法も、きっと同じなのだろう。
「先生」
「はい?」
「もう一回お願いします」
「ええ。何度でもやってみましょう」
リリナはもう一度、イスターニャの手へ意識を向ける。
傷から浮かんだ小さな光。
ほんのりとした温かさ。
そして遠い昔、膝へ触れてくれた母の手。
(あんなふうに、誰かの傷を治せるようになりたいですねぇ)
そう思いながら、リリナはゆっくりと魔力を動かし始めた。




