第26話『傷を治す魔法ですねぇ。』
第26話『傷を治す魔法ですねぇ。』
アルクスが訓練場から戻ってきた時、リリナはその右手に気づいた。
手のひらの一部が赤く擦れている。
「兄様、手を怪我しています」
「これ?」
「痛くないんですか?」
「少し擦っただけだから平気だよ」
そう言って笑うアルクスの手を、リリナはもう一度見る。
血が流れているわけでもなく、大きな傷でもない。
放っておいても、そのうち治る程度のものなのだろう。
(そういえば……)
以前、イスターニャから聞いた魔法を思い出す。
光魔法には暗い場所を照らす《ライティ》のほかに、小さな傷を治す《ヒール》という魔法があった。
「兄様」
「なに?」
「こういう傷も、魔法で治せるんでしょうか」
「魔法で?」
「《ヒール》という魔法があるそうです」
「傷を治せるの?」
「小さな傷なら治せると聞きました」
アルクスが自分の手を眺める。
「それも光魔法なんだ」
「はい」
「光るだけじゃないんだな」
その言葉に、リリナも頷く。
自分が初めて覚えた《ライティ》は明かりを作る魔法だった。
けれど同じ光魔法には、人の傷を治せるものもある。
(傷を治せる魔法ですか……)
戦争の頃には怪我をした人を何人も見た。
薬も包帯も足りず、痛みに耐えるしかなかった人もいる。
あの頃にこんな力があればと思いかけて、リリナはそこで考えるのをやめた。
ここはあの頃とは違う世界だ。
まずはこの世界にあるものを、一つずつ知ればいい。
「今度、先生に聞いてみます」
「覚えたら僕にもやってよ」
「その傷は、それまでに治ってしまうと思いますよ」
「あ、そっか」
アルクスが笑う。
リリナもつられて少し笑った。
◇
次の授業の日、リリナはイスターニャへ尋ねた。
「先生、《ヒール》を教えてもらえますか?」
イスターニャはすぐには答えず、リリナを見る。
「《ヒール》に興味を持ったのですか?」
「兄様が稽古で手を擦っていたんです」
「なるほど」
「先生が、小さな傷を治せる魔法だと言っていましたよね」
「ええ。その通りです」
イスターニャは静かに頷いた。
「では今日は、治療に使う魔法について少しお話ししましょう」
「《ヒール》以外にもあるんですか?」
「もちろんあります」
リリナは少し姿勢を正した。
「まずは傷を直接治す魔法です」
「はい」
「もっとも基本になるのが《ヒール》。軽い傷を治します」
「それは前に聞きました」
「その上に《ミヒール》があります。こちらは中程度の傷に使う魔法です」
「では、その次もあるんですか?」
「ええ。《ラヒール》です。さらに重い傷を治すために使います」
リリナは三つの名前を頭の中で並べる。
(ヒール、ミヒール、ラヒール……)
「それより重い傷はどうするんですか?」
「そういった時に使われるのが《リストア》です」
「どんな魔法なんですか?」
「瀕死の人を治療するための、とても高度な魔法です」
リリナは目を瞬いた。
「そんなことまでできるんですか」
「できます。ただし《リストア》を使えば、誰でも必ず助けられるという意味ではありません」
「間に合わないこともあるんですね」
「ええ」
その返事に、リリナは小さく頷いた。
魔法があれば何もかも助かるわけではない。
それは覚えておいた方がいいのだろう。
「傷を治す魔法は、それだけではありませんよ」
「まだあるんですか?」
イスターニャが少し笑う。
「一人ではなく、周りにいる何人かをまとめて治療する魔法もあります」
「まとめて?」
「《ヒーラル》《ミヒーラル》《ラヒーラル》です」
聞いたことのない名前が続き、リリナは指を折りながら覚えようとする。
「《ヒーラル》は、自分の周囲およそ二メートルほど」
「はい」
「《ミヒーラル》は、およそ五メートル」
「はい」
「《ラヒーラル》は、およそ十メートルほどを治療できます」
リリナは少し考える。
「広くなるほど、治せる傷も大きくなるんですか?」
「いいえ。そこは別です」
イスターニャは首を横に振った。
「この三つは範囲が変わりますが、治療できる傷は《ミヒール》ほどだと考えてください」
「広く治す魔法と、深く治す魔法は違うんですね」
「そういうことです」
リリナは感心しながら頷く。
一人の重い傷を治すことと、何人もの傷を同時に治すこと。
同じ治療でも、必要になる魔法は違うらしい。
「傷以外を治す魔法もあります」
「傷以外?」
「毒や麻痺、混乱などですね」
イスターニャが順に説明していく。
「毒に使うのが《キュナ》」
「《キュナ》」
「麻痺には《キュル》」
「《キュル》」
「混乱には《キュワ》です」
「《キュワ》」
リリナは何度か口の中で繰り返す。
「そして毒や麻痺、混乱など、そういった異常を同時にまとめて解除できるのが《キュアラル》です」
「一つずつではなく、まとめて治せるんですね」
「ええ。複数の異常が重なっている時に使う魔法です」
傷を治す魔法とは、また違う役割らしい。
「ほかにも《リジェール》という魔法があります」
「それは何をするんですか?」
「一度に治すのではなく、しばらくの間、回復を続ける魔法です」
「少しずつ治していくんですね」
「そう考えて構いません」
リリナは机の上を見ながら、今聞いた名前を頭の中で整理する。
軽い傷。
中程度の傷。
重い傷。
瀕死の人。
何人もの傷。
毒や麻痺や混乱。
そして時間をかけて治していく魔法。
(光魔法だけでも、こんなにあるんですねぇ)
《ライティ》一つを覚えただけで、少し魔法が分かったような気になっていた。
けれどまだ入口に立ったばかりだったらしい。
「先生」
「はい?」
「全部、人を治す魔法なんですよね」
「そうです」
「それなら《ライティ》みたいに、魔力を外へ出せば使えるんですか?」
イスターニャは首を横に振った。
「そこが、治療系の魔法の難しいところです」
「違うんですか?」
「《ライティ》は、自分の魔力を身体の外へ出して、そこで光にします」
「はい」
「ですが治療系の魔法は、それだけでは足りません」
リリナはイスターニャを見る。
「身体の外へ出した自分の魔力を、治したい相手へ作用させなければなりません」
「相手に……」
「ええ」
イスターニャは自分の手を示す。
「魔力を感じる」
「はい」
「動かす」
「はい」
「身体の外へ出す」
「そこまでは《ライティ》と同じですね」
「そうです。その先で、相手へ作用させる必要があります」
リリナは自分の手のひらを見る。
少し前まで、その身体の外へ魔力を出すことだけでも難しかった。
今度はそこからさらに誰かへ働きかけなければならない。
「《ヒール》だけですか?」
「いいえ。今お話しした治療系の魔法は、すべて同じです」
傷を治す魔法も。
毒や麻痺を取り除く魔法も。
何人もの人を治す魔法も。
自分の魔力を相手へ作用させなければ、治療にはならない。
(だから難しいんですねぇ)
「《ライティ》が使えたから、《ヒール》もすぐ使えるわけではないんですね」
「ええ。ですが《ライティ》まで覚えたことは無駄ではありませんよ」
「身体の外へ魔力を出すところまでは、できるようになりましたから?」
「その通りです」
イスターニャが微笑む。
「では、私も《ヒール》を練習できますか?」
「できます。ただし、いきなり誰かの傷を治そうとはしません」
「人の身体に使う魔法だからですね」
「ええ。順番に覚えていきましょう」
リリナは頷いた。
兄の小さな傷から始まった疑問だった。
けれどその先には、自分が思っていたよりずっと広い治療の魔法があった。
そして、それを使うには《ライティ》とは違うことを覚えなければならない。
(知っただけでは、まだ治せませんねぇ)
それでも、いつか自分の魔法で誰かの傷を治せるようになりたい。
そう思いながら、リリナは次の説明を待った。




