第17話『新しい先生ですねぇ。』
第17話『新しい先生ですねぇ。』
朝食を終えてしばらくすると、リリナはエレノアに呼ばれて屋敷の一室へ向かった。
部屋の中央には机が置かれ、その向こう側に見知らぬ女性が立っている。
姿勢はきれいに伸びていたが、かしこまりすぎた雰囲気はなく、リリナを見る目も穏やかだった。
「リリナ、こちらが今日からあなたにいろいろ教えてくださる方よ」
「イスターニャ・マトルシヤと申します」
イスターニャは軽く頭を下げた。
「よろしくお願いいたします、リリナ様」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
リリナも真似をするように頭を下げる。
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ」
「緊張しているように見えましたか?」
「少しだけ」
「それは困りましたねぇ」
イスターニャが小さく笑った。
どうやら話しにくい人ではなさそうだ。
「イスターニャには、文字や数だけではなく、国のことや歴史についても教えていただく予定なの」
「歴史もですか?」
「ええ。興味があるのでしょう?」
昨日広げてもらった地図を思い出す。
知らない国の名前がいくつも並び、そのどこにも自分と同じように暮らしている人がいる。
それを考え始めてから、聞きたいことはむしろ増えていた。
「はい。知りたいです」
リリナが答えると、イスターニャは少しだけ目を細めた。
「では、教えることが多そうですね」
「多いと思います」
「自覚があるのですね」
また笑われた。
エレノアが二人を見ながら微笑んでいる。
「それとね、リリナ」
「はい?」
「イスターニャは以前、聖騎士だったのよ」
リリナはイスターニャを見る。
「聖騎士だったんですか?」
「昔の話ですよ」
それだけ言うと、イスターニャは特に続けようとはしなかった。
以前、母から聞いたことのある名前だった。
人を守る道の一つ。
けれど、まだ自分にはよく分からないものでもある。
「気になりますか?」
「少し」
「では、それもいつかお話ししましょう」
「今日は教えてくれないんですか?」
「今日はあなたが何を知っているのか、私が知る日ですから」
なるほど、とリリナは頷いた。
エレノアが部屋を出たあと、イスターニャは机の上に何枚かの紙を並べた。
「まず、難しいことはしません」
「はい」
「今まで何を見たり、聞いたりしたのかを教えてください」
文字。
数。
町。
国。
イスターニャは次々に質問してきたが、答えられなかったからといって困った顔をすることはなかった。
「分かりません」
「では、それはこれからですね」
ただそれだけだった。
知っていることには少し先の質問を重ね、知らないことには印をつけて次へ進む。
しばらくして、イスターニャが地図を机に広げた。
「これは見たことがありますか?」
「昨日、お母様に見せてもらいました」
リリナはアルトレシアを指さす。
「ここが私たちの国です」
「ええ」
「それから、ユーダリナ共和国」
指を少し動かす。
「ほかにもラティナス王国や、ゼッドラス帝国があります」
「よく覚えていますね」
「名前だけですけど」
リリナは地図を見る。
「共和国という言葉は知っています。でも、ユーダリナがどういう国なのかは知りません」
「なるほど」
イスターニャがリリナを見る。
「では、共和国とは何だと思いますか?」
聞かれて、リリナは少し考えた。
「王様がいない国……でしょうか」
「間違いではありません。ただ、それだけでもありません」
「やっぱり違うんですねぇ」
「違うというより、足りないのです」
イスターニャが地図の端を指で軽く押さえる。
「言葉を知っていても、その国を知っているとは限りません」
「はい」
それはよく分かる。
前の人生で知っていた言葉と同じだからといって、同じ仕組みとは限らない。
「ですから、今日は覚えることよりも、どこまで知っていて、どこから知らないのかを見ていきましょう」
リリナは頷いた。
しばらく国の話を聞いているうちに、先ほど聞いたことがまた気になってきた。
「先生」
「はい?」
「聖騎士も、国を守る騎士なんですよね?」
イスターニャは少しだけ考えてから答えた。
「そうですね。ただ、普通の騎士とは違うところもあります」
「どこが違うんですか?」
「いろいろありますが、一つ大きな違いがあります」
イスターニャは自分の手を机の上に置いた。
「聖騎士になるには、魔法の適性が必要です」
「魔法?」
「ええ」
リリナは少し首を傾げる。
「では、魔法が使えない人は聖騎士にはなれないんですか?」
「なれません」
「普通の騎士には?」
「なれますよ」
それなら、とリリナは父と兄を思い浮かべた。
「お父様も魔法を使えるんですか?」
部屋の端で二人の様子を見ていたエレノアが口を開いた。
「お父様には魔法の適性はないわよ」
「ないんですか?」
思わず聞き返す。
「ええ」
「でも、騎士団長だったんですよね?」
「そうよ」
リリナは少し黙った。
魔法が使えなくても、父は騎士団を率いるところまで進んだらしい。
「では、お兄様は?」
「アルクスにもないわ」
「そうなんですねぇ」
庭の向こうで木剣を振っていた兄の姿を思い出す。
毎日のように鍛えているのは知っている。
魔法がないからといって、あの努力が変わるわけではないらしい。
「お母様は?」
「私は使えるわよ」
「どんな魔法ですか?」
「身体を強くする魔法ね」
リリナはエレノアを見る。
穏やかに笑っている今の姿からは、剣を持って戦っていた頃の姿はまだうまく想像できない。
「先生も使えるんですよね?」
「ええ」
「どんな魔法ですか?」
イスターニャが答える。
「私は光の魔法を使います」
「光……」
聞いたことのない魔法だった。
「どんなことができるんですか?」
「それも気になりますか?」
「気になります」
イスターニャが笑う。
「やはり質問が多いですね」
「駄目ですか?」
「いいえ。先生としては助かります」
そう言ってから、イスターニャは広げていた地図へ視線を戻した。
「ですが、光魔法についてはまた今度にしましょう」
「今度ですか」
「一日に全部知ってしまったら、明日聞くことがなくなりますから」
それはないと思う。
むしろ今日だけでも、聞きたいことは増えている。
「なくならないと思いますよ」
「私もそんな気がしてきました」
二人で少し笑ったあと、授業は再び地図へ戻った。
国の名前を一つ覚えると、その国がどうしてその名前なのかが気になる。
昔の出来事を一つ聞けば、その前に何があったのか知りたくなる。
知れば知るほど、知らないことが増えていく。
それなのに嫌にはならなかった。
むしろ次に何を聞こうかと考えている自分がいる。
(先生に教えてもらうというのも、なかなか楽しいものですねぇ)
リリナは地図を見ながら、次の質問を考え始めた。




