3
結論から申し上げますと、山賊の皆さんには同情の余地しかなかった。
馬車の外で上がった「ヒャッハー!」という威勢のいい声は、ギルバート様が外へ踏み出してからわずか三秒で「ヒュッ……」という短い風鳴りのような悲鳴へと変わった。
戦いというのもおこがましい。ただの、絶対零度による強制凍結処分だった。
パキパキパキ、と小気味よい音を立てて山道全体がガラス細工のように凍りつき、身動きの取れなくなった山賊たちが、まるで彫刻のように美しいポーズのまま静止している。
彼らの頭上に浮かんだ「真実の眼」のウィンドウが、一斉に『戦闘不能:氷漬け(命に別状はないが、精神的トラウマ甚大)』と表示され、次々と灰色に暗転していくのが馬車の窓から見えた。
「――終わった。騒がせてすまない」
ギルバート様が馬車に戻ってきたときには、外の冷気など嘘のように、その手で私の身体を再びそっと抱きしめてくれた。
頭上のログには、まだ『レティシアに怪我はないか』『怖がらせていないか』『俺を嫌いにならないでくれ』という懇願が弾幕のように流れていたけれど、私はただ、その不器用な優しさに胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
そうして、幾多の(主にギルバート様の脳内での)危機を乗り越え、特級馬車はついに目的地へと滑り込んだ。
ヴェルダール王国の最北端、ヴォルフィード辺境伯領の領都――『フロストヘイム』。
馬車の窓を開けると、王都のそれとは全く異なる、凛と張り詰めた空気が肌を刺した。
遠くに見える連峰は、初夏だというのに万年雪を冠して白銀に輝いている。街並みは頑強な石造りで、窓辺には寒さに強い色鮮やかな冬薔薇が咲き誇り、どこか幻想的な美しさを湛えていた。王都で「凍てつく地獄」と悪名高かった領地は、その実、驚くほど手入れの行き届いた、気高い氷の都だった。
「……着いたぞ。ここが、俺の、いや、今日からはお前の家だ」
馬車が巨大な城館の前で止まる。
ギルバート様はやはり、彫刻のように整った冷徹な顔で、短くそう告げた。
(……素晴らしいわ。家事動線もしっかりしてそうだし、何より敷地内のセキュリティが文字通り物理的に鉄壁ね)
私が内心でコスパと実用性を兼ね備えた100点満点のレビューを下していると、馬車の扉が静かに開け放たれた。
そこに待っていたのは、二列に整然と並んだ、総勢数十名に及ぶ使用人たちだった。
先頭に立つのは、執事長のセバスと、メイド長のマーサだ。
「お帰りなさいませ、旦那様。そして、心より歓迎いたします、レティシア奥様」
セバスが完璧な角度の礼を執る。
王都での噂によれば、ヴォルフィード公爵邸の使用人たちは「氷の処刑人」に怯え、生きた心地のしない日々を送っている……はずだった。
だが、私の「真実の眼」を解放した瞬間、並み居る使用人たちの頭上に、とんでもない表示が一斉にポップアップした。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
【ヴォルフィード邸・使用人一同】
総合評価:★4.8(忠誠心の塊・限界オタクの集まり)
属性:若夫婦尊い・早く孫の顔が見たい・旦那様が心配
本音:『ついに、ついに若が女連れで帰ってきたぞォォォ!!』
『しかも王宮で手を繋いで失神したあの伝説の令嬢様だ!』
『拝め! 心の中で奥様を拝め! 我が家に光が差した!』
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
(……ちょっと待って。全員の頭上に浮かんだ本音が、完全に一つの狂熱的な思想で統率されているんだけど!?)
一糸乱れぬ忠誠心の裏で、使用人たちの脳内は「若夫婦尊い」という限界オタクの掲示板のようになっていた。
口元を完璧に引き締め、恭しく頭を垂れているセバスの頭上で、凄まじい速度の歓喜ログが流れている。マーサにいたっては、すでに感動のあまりポケットからハンカチを取り出して目元を抑えている。
「セバス、部屋の準備はできているか。レティシアは長旅で疲れている」
ギルバート様が低く、威圧的な声で命じる。
その一言に、使用人たちが一瞬、ピシッと背筋を伸ばした。普通の人間なら「怒らせた」と怯える場面だ。
しかし、ギルバート様の頭上はこれである。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
ログ:『セバス頼むから最高の部屋を用意していてくれ
レティシアが少しでも不快に思ったら俺は今日中にこの屋敷を
建て直すしベッドの寝心地が悪ければ俺が一生背中で背負う』
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
(人間をベッド代わりにさせる気はないから安心して)
「もちろんでございます、旦那様。奥様のために、日当たりの良い最高級の客室を用意してございます」
セバスが完璧なタイミングで応じた、その時。
ギルバート様の頭上のウィンドウに、ピキッ、と鋭いエラーの亀裂が入った。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
【エラー:ワード選択ミス】
『客室……? 客室だと……? なぜレティシアが「客」なのだ。
半分無理やりとはいえ、俺についてきてくれた大切な妻だぞ?
籍の入れ方はこれからセバスに法律を調べさせるが、気持ちの上では
もう千年前から俺の妻だぞ!?』
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
「客室、だと?」
ギルバート様の深紅の瞳が、ギラリと冷たく光った。
その瞬間、彼の足元からぶわっと冷気が噴き出し、玄関ホールの美しい大理石の床に薄い氷の膜が張り始める。
「ひっ……!」
若いメイドの一人が、その威圧感に小さく悲鳴をあげた。
世間の噂通りの、恐怖の瞬間。だが、私には見えている。彼の感情ゲージが「寂しさと焦燥:92%」で大炎上しているのを。
「俺の、部屋を使え」
ギルバート様は、私の手をぎゅっと握り締め、世界を滅ぼしそうな深刻な顔で言った。
「俺の寝所を、レティシアに明け渡す。俺は……執務室の床で寝ればいい」
「「「……は?」」」
セバス、マーサ、そして若いメイドたちの声が完璧にハモった。
誰もが「妻を自分の部屋に監禁する」という意味の冷酷な命令だと思ったのだろう。まさか、主人が自分の寝室を差し出して、自分は床で寝ると言い出す奴隷のような提案だとは誰も予想していなかったのだ。
使用人たちの頭上のウィンドウが、一斉に処理落ちを起こして砂嵐のようになっている。
(……あはは。本当にこの人、自己評価が底辺の★1.2だわ。完全に購入手続きを済ませた私の旦那様なんだから、これ以上格を落とさせちゃダメね)
私は小さくため息をつくと、握られた彼の大きな手を、両手でそっと包み込んだ。
ひんやりとしていた彼の肌に、私の体温が伝わると、大理石の床の氷が、すーっと嘘のように溶けて消えていく。
【ステータス:感情暴走(冷気)⇒ 妻の愛(物理)により強制シャットダウン】
「いいえ、ギルバート様。旦那様を床で寝かせるような不届きな妻に、私はなりたくありませんわ」
私はギルバート様の深紅の瞳を真っ直ぐに見つめ、いたずらっぽく微笑んだ。
「せっかくの、夫婦としての『初めての夜』ですもの。……同じお部屋で、過ごさせていただけますか?」
「――ッ!!」
ドッゴォォォォン!!!
ギルバート様の頭上で、前代未聞の規模の「黄金のビッグバン」が炸裂した。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
【現在の感情ゲージ:想定可能域を超越(神話の始まり)】
ログ:『同じ部屋同じ部屋同じ部屋同じ部屋同じ部屋同じ部屋
同じ部屋同じ部屋同じ部屋同じ部屋同じ部屋同じ部屋同じ部屋
初夜初夜初夜初夜初夜初夜初夜初夜初夜初夜初夜初夜初夜初夜
死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ』
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
(「死ぬ」の文字数が多すぎて画面が真っ赤よ、ギルバート様!)
ギルバート様は、今度こそ完全に動きを止めた。
白目こそ剥かなかったものの、顔面を耳まで真っ赤に染め上げ、精巧な彫刻のように硬直している。
その背後で、セバスとマーサが、まるで極上の名画を鑑賞したかのような至高の笑みを浮かべ、無言で胸の前で十字を切っていた。使用人一同の頭上には『奥様、ナイスハントです』『我が若を手懐ける聖女様が君臨された』という祝福の口コミレビューが、秒間数百件のスピードで流れている。
「……セバス、マーサ。案内を」
私は硬直した旦那様の手を引いたまま、困ったように、けれど最高に満ち足りた気分で使用人たちに微笑みかけた。
「かしこまりました、奥様。ただいま、旦那様と奥様の主寝室へ、全力でご案内いたします」
セバスが、これまで見たこともないような素早い動きで、音もなく階段を駆け上がっていく。
こうして、私と★1.2の氷公爵の、あまりにも「重すぎる」新婚生活の第1夜が、幕を開けようとしていた。
王都で私を捨てた不良在庫のあいつらのことなど、1ゴールド分の価値すら思い出す余地はない。私の新しい夜は、心地よい熱を帯び始めていた。




