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結論から言うと、国を揺るがす恐怖の「氷の処刑人」は、ただ手を繋いだだけの衝撃で丸一日目を覚まさなかった。
「……若、何という無様な。いえ、何という荘厳な伝説の始まりでしょうか。初恋の令嬢と手を触れ合わせた刹那、純情が限界突破して自家発電の魔力で自爆なさるなど、ヴォルフィード家の歴史に深く刻むべき失態――おっと、快挙でございますな」
「ちょっとセバス、お口を慎みなさい。奥様が怯えていらっしゃるでしょう。……まぁ、旦那様があまりの尊さに白目を剥いて倒れられた瞬間は、私も神に祈りを捧げそうになりましたけれど」
王宮の回廊で卒倒した公爵を、駆けつけた使用人たちが手際よくラグビーボールのように回収し、そのまま領地へと向かう特級馬車に放り込んでから半日。
ようやく目を覚ましたギルバート様と共に、私たちは公爵領フロストヘイムへと向かう馬車の中にいた。
ガタゴトと心地よい振動を立てて馬車が走り出して、わずか数分。
車内の空気は、文字通り完全に氷結していた。
ギルバート様は腕を組み、深紅の瞳を鋭く細めて、じっと窓の外を見つめている。
一言も喋らない。
彼が「……ふん」と低く鼻を鳴らすたび、馬車のガラス窓にピキピキと新しい霜の結晶が浮かび上がる。相変わらず周囲の気温を強制的に下げるパッシブスキルが発動中だ。
普通の令嬢なら、この威圧感だけで泣き叫んで馬車から飛び降りているだろう。
(でも、私の『真実の眼』を通すと、絵面が全く変わるのよね……)
私はそっと、彼の頭上に浮かぶ半透明のウィンドウに視線をやった。
そこでは、ギルバート様の脳内検索エンジンが、恐ろしい速度でログを更新し続けていた。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
【直近の検索履歴(思考ログ)】
・気絶 言い訳 格好いい言い換え
・初夜 気絶した夫 離婚率
・手を繋ぐ 次回 失神しないための精神鍛錬
・馬車 狭い 隣に座る 合法的な理由
・レティシア 横顔 国宝指定 手続き
・俺の顔 さっきから怖い 直し方 わからない
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
(……めちゃくちゃテンパってる。そしてさり気なく私の横顔を国宝に指定しようとしないで)
口元が引き攣るのを必死に堪える。
ギルバート様は、丸一日気絶していたという致命的な失態を、どうにかして「格好いい理由」に脳内でアップデートしようと必死のようだ。
画面の端には、小さな【システム警告】が出ている。
【現在の感情ゲージ:リコール一歩手前(羞恥心による魔力出力エラー:88%)】
なるほど、この冷気はやっぱり彼の「感情の暴走ゲージ」なのだ。
世間では「冷酷さの表れ」とか「人を殺すための呪い」なんて言われているけれど、実態はただの「極度のコミュ障による知恵熱の放出」である。
つまり、今馬車が北極圏並みに寒いのは、彼が私を意識しすぎて恥ずかしさのあまり脳内サーバーがオーバーヒートしかけている証拠だ。
「……何?」
突如、ギルバート様が私の方を向いた。
相変わらず地を調うような低音ボイス。短文のテンプレ命令口調。顔だけ見れば、今すぐ私を窓から投げ捨てそうな殺人鬼のそれだ。
だが、頭上はこれである。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
ログ:『目が合ってしまった目が合ってしまったどうしよう
あくしろ何か喋れ俺の馬鹿何か気の利いた通販の雑学とかない
のかレティシア可愛いお腹空いてないか寒くないか死にたい』
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
(通販の雑学は求めてないから落ち着いて!?)
「いえ、ギルバート様。少し、お顔が怖いなと思いまして」
私がクスリと微笑みながらあえて直球を投げると、ギルバート様の全身が目に見えて硬直した。
ガタガタガタッ!!!
突如、馬車全体が激しく縦揺れを起こす。
窓ガラスの霜が一気に分厚くなり、シートの隙間からひんやりとした白い冷気が霧のように溢れ出してきた。
「っ、触れるなと言ったはずだ。俺の顔が不快なら、後ろの荷馬車に移るがいい」
「……」
口から出た言葉は最低最悪のモラハラ発言だった。
カイル王子なら、この時点で総合評価が★0.5秒で大暴落しているところだ。
しかし、ギルバート様のウィンドウは、もはや正式に真っ赤な背景で【クリティカルヒット】の文字が点滅していた。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
【エラーコード:404】
『違う違う違う違う!! そんなことを言いたいんじゃない!!
顔が怖いって言われてショックのあまり防衛本能で暴言が出た!
荷馬車に移るな絶対に移るな! 俺が荷馬車に行く! いや
俺が馬車を引っ張るからレティシアはふかふかのシートにいて!』
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
(公爵が馬車を引っ張るパワー系お詫びはやめて)
思わずお腹を抱えて笑いそうになるのを、私は淑女の精神力で必死に耐えた。
見えすぎる。このスキル、見えすぎて困る。
裏表のある人間に絶望してきた私にとって、この「裏がピュアすぎる男」は、もはやエンターテインメントの領域に達している。
「いいえ、ギルバート様。私はこのお席がとても気に入っておりますわ。少し肌寒いですが……お隣に、移ってもよろしいですか?」
「……っ、好きにしろ」
ギルバート様はフイッと窓側に顔を背けた。耳の付け根が、トマトのように真っ赤に染まっている。
私がそっとシートを移動し、彼のすぐ隣に腰を下ろすと、ブワッ、と馬車の中の冷気が一瞬で霧散した。
代わりに、彼の身体から溢れる生き物の力強い体温が、ドレス越しに伝わってくる。
【ステータス:感情暴走(冷気)⇒ 妻の体温により強制ミュート】
(あ、冷気が止まった)
どうやら、彼の魔力暴走を鎮める特効薬は、私の「体温」らしい。
なんという都合のいい、そして重すぎる愛のシステムだろう。
隣に並んだギルバート様の頭上では、もはや「宇宙誕生」のログが狂ったように流れている。
『隣にレティシアがいる』
『いい匂いがする』
『これが結婚か』
『グランディス伯爵家を更地にしてそこにレティシアランドを建てよう』
(不穏なテーマパークを計画しないで。実家は更地でいいけど)
「ギルバート様」
「……何だ」
「私を拾ってくださって、本当にありがとうございます。私、失敗しない買い物が信条なのですけれど、貴方を選んだことは、人生で一番の『大金星』だと思っていますわ」
それは、私の偽らざる本音だった。
ギルバート様は一瞬、息を止めたようだった。
それから、大きな手で自分の顔を覆い、掠れた声で小さく呟いた。
「……お前は、変わった女だ。俺のような化け物を、買い、などと……」
その横顔には、検索履歴のコミカルさとは違う、深い孤独の影が張り付いた。
【自己評価:★1.2】。世間の噂を、彼自身が誰よりも信じ込み、自分には価値がないと傷ついている。そのトラウマの深さが、彼の胸の奥にある冷たい檻の正体なのだ。
私は、彼の覆われた手の上に、そっと自分の手を重ねた。
「化け物ではありませんわ。ただの、少し不器用が行き過ぎた……私の旦那様です」
その瞬間、ギルバート様の身体が大きく震えた。
ピピピッ!!!
またしても脳内で警告音が鳴り響く。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
【システムアップデートを検知】
対象:ギルバート・ヴォルフィード
役職:『氷の処刑人』 ⇒ 『レティシア限定の過保護な犬(見習い)』
※注意:これより過保護システムがバックグラウンドで
自動ダウンロードされます。
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
(……はい?)
不穏なアップデート通知に私が目を丸くした、その時。
ドゴォォォォンッ!!!
突如、馬車の前方で激しい爆発音が響き、車体が猛烈な勢いで急ブレーキをかけた。
慣性で私の身体が前方に投げ出されそうになる――が、それよりも速く、鉄のような強靭な腕が、私の腰を強引に引き寄せた。
「――レティシア!」
気がつけば、私はギルバート様の広い胸の中にすっぽりと抱きとめられていた。
窓の外からは、下卑た男たちの怒号が響いてくる。
「ヒャッハー! ヴォルフィード公爵の馬車だ! 中の中身をぶんどれぇ!」
どうやら、領地へ向かう山道で、運悪く大規模な山賊の待ち伏せに遭ってしまったらしい。……と、思ったのだが。
ギルバート様の頭上ウィンドウを見ると、ログのトーンが激変していた。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
【思考ログ:状況分析(有能)】
『山賊の伏兵など発車前からセバスの報告で把握している。
山道の開けた場所で一網打尽にするため、あえてここまで引き
付けた。俺一人なら指先一つで全員細切れにできる雑魚だ』
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
(あ、やっぱり最初から気づいてたんだ。さすが最強の辺境伯公爵……って、じゃあ何でそんなに怒ってるの?)
次の瞬間、ギルバート様の頭上に、本日最大、いや、人生最大規模の【漆黒のエラーウィンドウ】がポップアップし、文字通り炎上した。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
【思考ログ:クリティカルヒット(激怒)】
『だがタイミングが最悪だ!! レティシアが俺を「旦那様」と
呼んでくれた歴史的瞬間を邪魔した!! レティシアとの初めて
の共同作業(手を重ねる)の神聖な時間を汚した!! 万死万死
万死万死万死!! 塵一つ残さず絶対零度で消滅させる!!!』
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
(怒りの理由が完全に私怨の塊になってるわよー!!)
「触れるな、と言ったが……お前は例外だ。ここで待っていろ」
ギルバート様は、私の髪にそっと触れるような優しい手つきでシートに座らせると、一転して、この世の終わりかと思うほどの冷酷な笑みを浮かべて馬車の扉を開けた。
馬車から一歩踏み出した彼の足元から、山道全体が、バリバリと凄まじい音を立てて『氷の世界』へと染まっていく。
山賊の皆さん、逃げて。
その人、中身が重すぎて、予定していた倍以上の出力で貴方たちを分子レベルまで粉砕する気満々だから――!!
新婚旅行(仮)の道中は、出会い頭から絶対零度の圧倒的ワンサイドゲームへと変貌しようとしていた。




