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丁寧な仕立てが自慢だったシルクの夜会服が、今はまるで濡れた漆喰のように肌に張り付いている。
シャンデリアの眩い光が、広い夜会会場をこれでもかと照らし出していた。王宮の晩餐会。溢れんばかりの薔薇の香りと、上等な葡萄酒の匂いが鼻腔を突く。本来なら胸が高鳴るはずのその空間で、私はただ、胃の腑が雑巾のように絞られるような吐き気を堪えるのに必死だった。
「――よって、レティシア・グランディス。僕はお前との婚約を破棄し、新たにミリアを正妃として迎えることをここに宣言する!」
突きつけられたのは、あまりにも使い古された、けれど私にとっては人生のすべてをひっくり返す宣告。
声を張り上げたのは、この国の第一王子であるカイル・アークライト。
眩いばかりの金髪を誇らしげにかき上げ、緑の瞳に傲慢な光を宿した彼は、まるで自分が正義の代行者であるかのような顔で私を見下ろしている。
その隣には、私の異母妹であるミリアがぴったりと寄り添っていた。
桃色がかった金髪を揺らし、薄紫の瞳に涙を浮かべながら、庇われるようにカイルの腕に抱きついている。猫をかぶった丁寧な微笑みの裏で、彼女の口元が勝ち誇ったように歪むのを、私は見逃さなかった。
(……はぁ。やっぱりこうなったか)
喉の奥からせり上がってくるため息を、私は紅茶を飲み干すような仕草でどうにか飲み込んだ。
周囲の貴族たちの視線が、一斉に私の背中に突き刺さる。
同情ではない。そこに混ざるのは、明確な蔑み、娯楽を求める品定め、そして「落ちぶれた伯爵令嬢」を憐れむふりをした愉悦だ。ひそひそという囁き声が、まるで無数の羽虫の羽音のように耳の奥で不快に響く。
「お姉様……ごめんなさい、ごめんなさい……っ。私、カイル様と愛し合ってしまって……。でも、お姉様を傷つけるつもりなんて、本当になかったのですわ!」
ミリアがわざとらしく絹のハンカチで目元を拭う。
その健気な姿に、カイルはさらに胸を張った。
「責めるべきはミリアではない、レティシア、お前の心の狭さだ! 次期王妃となるべき身でありながら、妹を虐げ、嫉妬に狂って嫌がらせを繰り返したその悪辣さ、僕の耳にも届いている。僕を誰だと思っている。このヴェルダール王国の正統なる後継者だぞ? お前のような冷酷な女を妃に迎えるわけにはいかない!」
「……」
私の嫌がらせ、ね。
身に覚えのない罪状を並べ立てる元婚約者を前にして、私はそっと、自身の奥底にある「力」を解放した。
私の視界が、一瞬だけ青く弾ける。
生まれつき私に備わっていた固有スキル――「真実の眼」。
他人の頭上に、その人間の「本質」や「評価」を表示させる力だ。なぜか私の脳内にある前世の知識と混ざり合い、現代のシステムウィンドウ風に翻訳されてしまうバグ(仕様)があるのだが、これが滅法役に立つ。
カイルが言葉を重ねるたび、彼の頭上に浮かんだ半透明の四角い枠の中で、恐ろしい現象が起き始めた。
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【カイル・アークライト】(20)
総合評価:★3.2 ⇒ ★2.5 ⇒ ★1.8(現在進行形で暴落中)
属性:無能・傲慢・博打狂い
本音:『やっとお堅いレティシアを処分できた。これで軍資金を
カジノにつぎ込めるし、ミリアと毎晩遊び放題だ』
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(うわ、目の前で評価がガリガリ削れていくわ……お買い損にも程がある)
最終的に「★1.2」あたりでピタリと止まった。これまで見てきた人間のなかでも、群を抜いて粗悪な「ジャンク品」である。
しかもステータスにしっかり「博打狂い」と書かれている。国費をどれだけ裏の賭場に流しているのか、考えるだけでゾッとする。
視線を少し右にずらし、私の可愛い妹(笑)の頭上を見る。
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【ミリア・グランディス】(17) 総合評価:★1.5
属性:虚言癖・浪費家・姉への劣等感
本音:『お姉様のくせにムカつく。この馬鹿王子を騙すのなんて
ちょっと泣けば余裕だし、王妃の座もあたしのものよ』
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(うん、知ってた)
口調の型は猫かぶりの丁寧語だが、中身が崩れた途端に「あたし」になる。
評価★1.5の女と、★1.2まで暴落した男。
まさに類は友を呼ぶ。これほどお似合いのカップルがこの世に存在するだろうか。
さらに私のスキルは、二人の「相性診断」まで無慈悲に弾き出していた。
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【カイル × ミリア 相性診断】
適合率:12%(破滅的)
予測:3ヶ月以内に互いの浮気が発覚、1年以内に資産枯渇
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(……コスパ悪すぎ。絶対に買い手がつかない不良在庫だわ)
内心で容赦なく毒を吐きながら、私はふう、と小さく息を吐き出した。
悲しくはなかった。ただ、これまで王妃教育に費やしてきた私の時間と努力の「減価償却」が割に合わないことだけが、猛烈に腹立たしい。
「レティシア! 何か言い訳はないのか! 己の罪を認め、僕たちに謝罪し、この場から這い出していくがいい!」
カイルが勝ち誇ったように私を指差す。
その背後では、我が実家であるグランディス伯爵――実の父親が、巻き添えを食うまいと完全に私を切り捨てるような目を向けていた。
孤立無援。
着の身着のまま、夜の街へ放り出される未来が確定した瞬間だった。
「……分かりました、カイル殿下」
私はドレスの裾を優雅に掴み、完璧なカーテシーを披露した。
指先は冷え切り、足元は感覚を失いかけていたけれど、背筋だけは絶対に曲げない。ここで惨めに泣き叫んだら、あの★1台の粗悪品たちの思うツボだ。
「殿下とミリアの進まれる道に、大いなる『報い』がありますよう、心よりお祈り申し上げます」
「ふん、負け惜しみを!」
背中に浴びせられる嘲笑の嵐を無視して、私は踵を返した。
大理石の床を叩くヒールの音が、妙に高く響く。
会場の扉を開け、夜風が吹き抜ける回廊へと足を踏み出す。背後で扉が重々しく閉まると、喧騒は一気に遠のいた。
代わりに私を包み込んだのは、圧倒的な「静寂」と、肺の腑を直接抉るような「暴力的な冷気」だった。
「――っ!?」
あまりの寒さに、喉の奥が引き攣った。
おかしい。今は初夏に差し掛かる季節のはずだ。それなのに、吸い込んだ空気が気道を一瞬で凍らせるように痛い。吐き出す息は白く濁るどころか、細かな氷の結晶となってサラサラと大理石の床に落ち、音を立てた。
窓ガラスが、パキパキと音を立てて内側から凍りついていく。
コツ、コツ、コツ。
回廊の奥から、圧倒的な魔力を纏った足音が近づいてくる。
その音が響くたび、床の絨毯が文字通り「絶対零度の氷床」へと変貌していくのが見えた。生物としての本能が、全身の肌に脂汗を滲ませ、逃げろと警鐘を鳴らす。
現れたのは、一人の男だった。
月光を浴びて妖しく輝く、透き通った銀髪。
冷徹極まりない美貌に嵌め込まれた、血のように深いコンクリートのような深紅の瞳。
仕立ての良い漆黒の夜会服の上からでも分かる、鍛え上げられた強靭な体躯。
ギルバート・ヴォルフィード辺境伯公爵。
この国の誰もが恐れる「氷公爵」。
戦場での冷酷無比な戦いぶりと、他者を一切寄せ付けない拒絶の魔力。
世間の噂では、「気に入らない人間は文字通り凍らせて砕く」「実態評価は★1.2の、近づくことすら許されない化け物」と囁かれている危険人物だ。
(よりによって、一番恐ろしい人と鉢合わせちゃった……?)
じわじわと指先から這い上がってくる恐怖に、私は身を硬くした。
カイルたちの時とは違う、本物の「強者」が放つ威圧感。肌に触れる冷気が、まるで刃物のようにピリピリと痛い。
ギルバート公爵は、私の数歩手前で足を止めた。
深紅の瞳が、じっと私を見下ろす。その眼差しには、一切の感情が感じられない。
「……何?」
低く、地を這うような声。
短文で、あからさまな拒絶を含んだ命令口調。
噂通りだ。関われば命がない。私が一歩後ろに引こうとした、その時。
ギルバート公爵が、かすかに手を動かした。
その瞬間、私の身体が反射的に彼の「頭上」を見てしまった。
(あ……)
視界に、再び青い光が走る。
私の「真実の眼」が、目の前の怪物のステータスを強制的に展開した。
そこには、世間の噂を裏付けるかのような、恐ろしい数字が刻まれていた。
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【ギルバート・ヴォルフィード】(26)
総合評価:★1.2
ステータス:感情暴走(冷気)、人間不信、超絶・過剰不器用
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(やっぱり……! 本当に星1.2だわ! カイルより低いなんて、どれだけ極悪非道なの――)
あまりの低評価に、背筋に冷たい汗が伝わる。
けれど、私の目がその下にある「詳細ログ」を捉えた瞬間。
私の思考は、完全にフリーズした。
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【直近の検索履歴(思考ログ)】
・レティシア 婚約破棄 いつ
・レティシア 助ける 方法
・レティシア 好きな 紅茶 銘柄
・レティシア 泣かせた カイル 処刑 方法
・レティシア 今日 髪型 可愛い 尊い
・レティシア 寒くないか ドレス 薄すぎる
・レティシア 妻に迎える 手順 法律
・俺 怖い 嫌われてる どうすれば
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(……は?)
頭のなかが、真っ白になった。
凍りついたのは空気ではなく、私の理解力だった。
何、これ。
私のスキル、相手の脳内思考を「検索履歴」の形に変換して出力しちゃってるんだけど!?
スクロールしても、スクロールしても、画面の端から端まで「レティシア」の4文字で埋め尽くされている。朝から晩まで、彼の脳内検索エンジンは私という存在だけで完全に大渋滞を起こしていた。
しかも、カイルの処刑方法を物捜な物言いで検索しているかと思えば、直後に「今日 髪型 可愛い 尊い」って何。私の今日の髪型、編み込みのアップスタイルだけど、それを見て「尊い」って思ってたの?
「俺 怖い 嫌われてる どうすれば」って、迷子の子犬みたいな検索履歴は何!?
さらに、システムウィンドウの最下部に表示された「相性診断」に目をやった瞬間、私は目を見開いた。
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【ギルバート × レティシア 相性診断】
適合率:999%(測定不能・運命)
本音:『愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる
俺のすべてを捧げるからどうか俺を見てくれ』
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(うわぁぁぁぁぁぁ!! 重い!! 感情が質量を持って攻めてくる!!)
赤文字で画面を埋め尽くす「愛してる」の弾幕に、私の脳内はパニック寸前だった。
世間の評価★1.2の理由はこれか。冷酷残忍だからじゃない。他人への興味が完全にゼロな上に、私に対する感情のベクトルがマイナス100周まわって狂気的なレベルで突き抜けているから、システムの測定機能がバグを起こして最低値を叩き出しているだけだ。
「触れるな」
私が一歩踏み出しそうになった気配を察したのか、ギルバート公爵が鋭く言い放った。
その身体から、さらにブワッと冷気が噴き出す。
だが、今の私にはわかる。
彼の頭上のウィンドウが、激しく明滅しているのを。
【現在の感情ゲージ:限界突破(緊張・羞恥・動揺・レティシアが近すぎて心臓が破裂しそう)】
(冷気が感情の暴走ゲージになってるじゃないの!)
怒っているのではない。私があまりにも近くにいるから、緊張のあまり魔力が漏れ出て周囲を凍らせてしまっているのだ。なんてはた迷惑な純情だろう。
ギルバート公爵は、不器用に、けれど決死の覚悟を秘めた目で私を睨み(本人は見つめているつもりなのだろう)、ぶっきらぼうに言葉を絞り出した。
「……行く当てがないなら、俺の領地へ来い。フロストヘイムは寒いが、部屋はいくらでも余っている。お前を無下に扱うような真似は、絶対に……させない」
その声はかすかに震えていた。
世間を震え上がらせる氷公爵が、19歳の、婚約破棄されたばかりの傷物の令嬢を前にして、拒絶されるのを恐れて怯えている。
彼の頭上の履歴が、目まぐるしく更新されていく。
『嫌われたか?』
『今の言い方は威圧的すぎたか?』
『死にたい、いや死んだらレティシアを守れない』
『どうか、俺を拒絶しないでくれ』
短い単語の羅列。カタカナ語の消えた、彼の剥き出しの、切実すぎる本音。
それを見た瞬間、私の喉の奥の熱い塊が、すっと解けていくような感覚があった。
信じられる人間なんて、この世にはいないと思っていた。
「真実の眼」を手に入れてから、人間の裏の汚い顔ばかりを見てきた。優しく微笑む人間が、裏では私を泥棒呼ばわりし、愛を囁く婚約者が、裏では私を金づるとしか見ていない。
そんな世界で、この男だけは。
口では「触れるな」と言いながら、中身は私への愛で渋滞している。
これほど安全で、これほど信頼できる「優良物件」が、他にどこにあるというのだろう。
減価償却? 損切り?
そんな言葉、どうでもよくなった。
(……買いだわ。これ以上の掘り出し物、一生出会えない!)
私は、ふっと笑みをこぼした。
凍りついた回廊の中で、私の空色の瞳が、ギルバート公爵の深紅の瞳を真っ直ぐに見据える。
「喜んで、お供いたしますわ。ギルバート様」
「――っ」
私の言葉に、ギルバート公爵の肩が跳ねた。
彼の頭上のウィンドウが、今度は見たこともないような黄金の光を放って大爆発を起こす。
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【現在の感情ゲージ:測定不能(歓喜・限界突破・宇宙誕生)】
ログ:『レティシアが俺の名前を呼んだレティシアが俺の名前を
呼ばれた死ぬのか俺は死ぬのかいや生きるレティシアを幸せに
するために一生を捧げる今すぐカイルをギロチンにかけたい』
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一瞬、周囲の寒気が一気に引き、代わりに彼を中心にぶわっと、春の陽だまりのような温かい空気が広がった。……と思ったら、再び緊張したのか、足元の床がバリバリと音を立てて凍りつく。忙しい人だ。
「……そうか。なら、行くぞ」
ギルバート公爵は、そっぽを向いたまま、ぎぎぎ、と機械のようなぎぎぎ、という動作で私に手を差し出してきた。
手袋越しでも分かる、その手の震え。
私は躊躇うことなく、その大きな手を優しく包み込んだ。
冷たいはずの手のひらから、彼の心臓の、破裂しそうなほどの熱い鼓動が伝わってくるようだった。
その、瞬間。
ピピピッ!!!
脳内で、聞いたこともないけたたましい警告音が鳴り響いた。
私の視界を埋め尽くしていたギルバート公爵のウィンドウが、突如として真っ赤に染まり、激しく点滅し始める。
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【重大なシステムエラー】
原因:初恋の相手と手を繋いだことにより、全キャパシティが
上限を突破しました。
処理:脳内サーバーの過熱を防ぐため、強制終了します。
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「え?」
私が声をあげるより早く、ギルバート公爵の深紅の瞳が、ぐにゃりと白目を剥いた。
「ギ、ギルバート様……!?」
白目を剥いたまま、大木が倒れるように私の方へと倒れ込んでくる氷公爵。
ちょっと待って、幸せのあまり脳のサーバーがシャットダウンして気絶した!?
「ちょっ、重いっ! ギルバート様、起きてください、行き倒れるにはまだ早すぎますわ――!?」
初夏の回廊に、私の必死の悲鳴がこだました。
世界で一番不器用で、世界で一番私を愛してくれる「★1.2の極上物件」。
この男との新婚生活が、予想を遥かに超えて前途多難であることに、私はまだ気づいていなかった。




