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王都の臨時政府から永久免税特権という極上の配当金が届けられてから、さらに数日の月日が流れていた。
常春の楽園へと生まれ変わりつつあるフロストヘイムの領地は、今や周辺諸国からも注目される一大交易都市としての産声を上げようとしている。
領主館の窓から見下ろす街並みには、新設されたばかりの石造りの商店街が建ち並び、行き交う商人たちの活気ある声が、心地よい風に乗って最上階の執務室にまで届いていた。
しかし、領地がどれほど豊かになろうとも、私の最愛の旦那様の「過保護バグ」だけは、相変わらずの上限突破を維持している。
「レティシア、動かないでくれ。お前の髪の毛先に、ほんの僅かだが、庭園から飛んできたと思われる花の粉が付着している。……お前に万が一のアレルギー反応でも起きたら、俺は王都の医療魔導師どもを全員引きずり出してでも治療させるが、そんな不穏な事態は未然に防がねばならない」
大執務室の机に向かっていた私の真横で、ギルバート様がこの世の終わりかと思うほどの峻厳な顔で私の髪を覗き込んでいた。
白銀の髪を美しく揺らし、仕立ての良い漆黒の軍服の袖口を端正な手つきで直した彼は、まるで国宝の硝子細工に触れるかのような手つきで、私の髪の毛先を指先でそっと払う。
その深紅の瞳には、私という存在を全宇宙の害悪から保護し尽くしたいという、あまりにも重すぎる熱量がぎらぎらと宿っていた。
私の網膜の奥だけで稼働するシステムウィンドウは、今日も今日とて視界を埋め尽くさんばかりの黄金文字を点滅させている。
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【現在の感情ゲージ:理性の制御弁が完全溶解(過保護の臨界点)】
ログ:『レティシアの髪が春の光を浴びて絹のように輝いている。
美しい。愛らしい。今すぐ彼女をこの腕に抱き上げて、城の最深部にある、
魔力水晶で温度管理された特製の避難部屋へ格納してしまいたい。
領内の交易計画など他人に丸投げすればいいのだ。なぜレティシアは、
これほど俺に愛されているというのに、平然と新しい帳簿の計算など
できるのだ。ああ、俺の全財産も全魔力も、お前の爪の先ほどの
価値もない。レティシア、愛している、俺だけを見てくれ……!』
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(公爵様、ただの花粉で王都の医療魔導師を拉致しようとしないでくださいな。それに、この交易計画の帳簿を完成させなければ、我が家の今期の純利益が数万ゴールドほど目減りしてしまいますのよ。けれど、髪に触れる彼の指先がこれほど優しく愛に満ちているのですから、本当に手放せない極上の最高級物件ですわね)
私は手元の手作りの羽ペンを置き、私の髪を愛おしそうに梳いている彼の大きな手を、私の両手で包み込むようにして握りしめた。
武骨で剣のタコが固い彼の肌から、彼の内面の熱い情念が、心地よい体温となって私の肌へと流れ込んでくる。
「ありがとうございます、ギルバート様。けれど心配しすぎですわ。私、この領地に来てから、貴方の魔力熱のおかげで毎日とても健やかに過ごせておりますもの。ほら、お顔が怖くなっていてよ? せっかくの格好良いお顔が台無しですわ」
私が悪戯っぽく微笑み、彼の引き締まった顎のラインを指先でトントンと突くと、ギルバート様の頭上のウィンドウは【最愛の肉体的接触を感知:幸福度が天元を突破し、脳内サーバーの再起動を要します】と表示して白くフリーズした。
彼は「氷の処刑人」としての無表情を完璧に維持したまま、耳の付け根から首筋までを真っ赤に染め上げ、私の腰をそっと抱き寄せてきた。
「お前がそう言うのなら、俺は耐えるが……。だが、お前が俺以外の物事に集中している時間は、俺にとっては耐え難い損失なのだ。レティシア、お前は俺の終身契約妻だろう。俺にこれほど狂おしい執着を植え付けた責任を、一生をかけて取ってもらうからな」
「ええ、望むところですわ。貴方のその重すぎる性質ごと、私が世界一美しい形で運用して差し上げます」
――ここで、カメラの視線をテラスの窓の外、領主館の中庭へと一気に切り替える。
中庭のガゼボでは、亡命文官のリーダーとなったエドガーと、数人の若手文官たちが、新しく届いた交易ルートの地図を広げて熱い議論を交わしていた。
そこへ、完璧な仕立ての燕尾服を着こなしたセバスが、冷たい特製の果実水が載った銀トレイを手に、音もなく歩み寄ってくる。
「皆様、少々休憩にいたしましょう。奥様特製の配合による、頭脳労働に最適な蜂蜜入りの果実水でございますよ」
「おお、セバス殿! ありがとうございます!」
エドガーは喉を鳴らしながらグラスを受け取り、一気に飲み干した。その顔には、かつて王宮でカイル王子に不条理に虐げられていた頃の面影はなく、実務の主役としての誇りと充実感が満ちあふれている。
「それにしても、セバス殿。先ほど執務室へ書類を届けに行ったのですが……旦那様が奥様の髪をそれはもう恐ろしいほどの真剣な顔で見つめていらっしゃいまして。私はてっきり、何か重大な国家機密の暗号でも解読されているのかと緊張したのですが、あれは……その、ただお二人が睦み合っていらっしゃっただけ、なのでしょうか?」
若手の文官の一人が、顔を赤くしながらセバスに尋ねる。
セバスは眼鏡の奥の瞳を悪戯っぽく細め、ふっと極上の笑みを浮かべた。
「おや、気づかれてしまいましたか。旦那様にとっては、奥様の髪の毛一本の乱れも、王国の全財産より遥かに重大な国家危機なのです。先代の公爵様方は、その重すぎる愛の魔力を制御できずに領地を極寒の地へと変えてしまいましたが、今の旦那様は違います」
セバスは中庭から最上階の執務室の窓を見上げ、深い愛着の籠もった声で続けた。
「レティシア奥様という、世界で唯一の完璧な監査官が隣にいる。奥様が旦那様の重すぎる性質をすべて『価値ある資産』として肯定し、領内の暖房インフラや産業の動力へと適正に変換されているからこそ、このフロストヘイムは今、歴史上最もあたたかく、豊かな春を迎えているのです。あれはバグなどではなく、お二人が生み出す極上の愛の純利益なのですよ」
エドガーたちはセバスの言葉に深く感じ入ったように、最上階の窓を見上げ、それから手元の地図へと力強く視線を戻した。
「なるほど……。私たちも、奥様が築いてくださったこの最高の職場を守るために、もっと有能な手足として働かなければなりませんね。さあ、来期の関税シミュレーションの続きを始めましょう!」
――再び、カメラワークは最上階の大執務室、レティシアとギルバートの元へと戻る。
扉が静かに開かれ、セバスが完璧な一礼とともに入室してきた。その手には、王都の新しい臨時政府の特使から手渡されたばかりの、一本の豪華な黄金の鍵が握られていた。
「旦那様、奥様。王都の臨時政府より、グランディス伯爵家の資産差し押さえがすべて完了したとの報告が入りました。こちらは、王都に残されていたレティシア奥様の個人の私物、および隠匿されていたグランディス家の『正当な遺産』をすべて保管した、王立大金庫のマスターキーでございます」
セバスの報告に、私はふっと冷ややかで、しかしどこまでも美しい勝者の笑みを浮かべた。
「あらあら、実家の不良債権たちの身辺整理が、ようやくすべて決済されたのね。カイル殿下や実父が鉱山の底で泥にまみれて働いている間に、彼らが私から搾取しようとしていたすべての資産が、こうして我がヴォルフィード公爵家に適正に還流してくるなんて、本当に市場の原理は美しいわ」
「当然の帰結だ。お前を傷つけ、搾取しようとしたゴミどもの財産など、一ゴールドに至るまでお前の足元に跪かせるべきだからな」
ギルバート様が、私の腰を抱く腕にさらにぎゅっと力を込めながら、冷然と、しかし世界で一番格好良い声で告げた。
その瞳には、私を害するすべての過去を完全に踏み潰したという、圧倒的な覇者の格が満ちあふれている。
けれど、彼の頭上のウィンドウには【レティシアの私物が届く! 今すぐ特設のレティシア記念館を領内に建設し、俺の魔力で永久保存処理を施さねばならない】という、相変わらず愛の重すぎる文言が跃っていた。
私を無価値だと切り捨て、物置小屋に閉じ込め、夜会で物笑いの種にしていた人間たちは、これで名実ともにこの世界から完全に損切り(排除)された。
彼らにはもう、後悔する時間すら残されていない。
残されたのは、自らの犯した罪の損失を、一生をかけて肉体で支払い続けるという、この上なく適正な決済だけだ。
「さあ、ギルバート様。王都の過去の清算もすべて完了いたしましたわ。私たちは本日も、このあたたかなフロストヘイムの地を、世界で最も豊かな理想郷にするための次なる計画(内政無双)を始めましょうか」
「ああ、レティシア。お前の望むままに、俺のすべてを好きに使ってくれ。俺は一生、お前だけの従順な騎士であり、お前を世界一甘やかす夫だ」
私は彼の広い胸にそっと身を委ね、春の光に満ちた領地を見渡した。
バグだらけの愛の重い旦那様と、王都を完全損切りした有能追放令嬢の、終わりのない幸福の最適化。
私たちの結んだ完璧なる終身契約の帳簿には、これから先も、どこまでも豊かで、あたたかい愛の純利益だけが、永遠に刻まれ続けていくのだった。




