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王都の財政が音を立てて瓦解し、近衛騎士団が王宮へ反旗を翻し始めたという至高の報せから、さらに三日の月日が流れていた。
北国フロストヘイムの領主館。
その最上階に位置する大執務室の窓からは、張り詰めた冬の空気の向こうに、わずかに雪解けの兆しを見せる白い連峰が一望できる。
部屋の中は、私の手によって再編成された十二人の亡命文官たちが、驚異的な速度で書類を処理する羽根ペンの音だけが小気味よく響いていた。
「――奥様、こちらが今期の北壁修繕費の最終確定申告書でございます」
亡命文官のリーダーとなったエドガーが、深く頭を垂れながら一枚の羊皮紙を両手で厳かに差し出してくる。
そこに並ぶ数字の列は、かつての王宮のそれとは比べものにならないほど美しく、淀みがない。
不正な中抜きという名の不純物を完璧に削ぎ落とした数字は、私の頭脳を媒介にして、領内の血液となり適正に循環していた。
「悪徳商人から没収した一万五千枚の金貨を適正に配分した結果、予定よりも二割も少ない費用で、強度は従来の三倍以上の補強が完了いたしました」
「素晴らしい手際ですわ、エドガー。皆様のおかげで、この領地は冬の寒さを克服するだけではなく、次の春には王都をも凌駕する独自の交易路を築く地盤が整いましたわね。有能な働き手には、今月も規定の倍の報酬を支払うよう、セバスに伝えておきますわ」
「はっ……! 勿体なきお言葉、この命、生涯レティシア様のために捧げる所存です!」
エドガーをはじめとする文官たちが、熱狂的な、ほとんど信仰に近い眼差しを私に向ける。
その視線が私の手元に集中した瞬間――。
室内を優しく満たしていたはずの暖かい空気が、突如としてぴりぴりとした強烈な圧力へと変貌した。
「――エドガー。報告が終わったのなら、速やかに退室しろ」
低く、極寒の地鳴りのような声。
私の椅子のすぐ真後ろ、まるで巨大な守護獣のように腕を組んでそびえ立っていたギルバート様が、深紅の瞳を鋭く細めて文官たちを一瞥した。
黒い軍服の肩を微かに震わせ、最強の武官としての圧倒的な威圧感を放つ彼に、エドガーたちは「ひっ」と短い息を呑み、慌てて一礼して部屋を飛び出していく。
室内が二人きりになった瞬間、パキパキと音を立てていた周囲の冷気は一瞬で霧散し、代わりに私の背中を包み込んだのは、彼独特の狂おしいほどの熱気だった。
ギルバート様は大きな体躯を屈め、私の肩を包み込むように後ろから優しく、けれど強く抱きすくめてきた。
彼の白銀の髪が私の頬をかすめ、耳元に熱い吐息が届く。
その頭上には、本日も上限値を見失ったシステムウィンドウが黄金の文字を爆発させていた。
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【現在の感情ゲージ:理性の防衛線が完全崩壊(独占欲の嵐)】
ログ:『レティシアがまた部下を褒めた。それも笑顔で。有能な
彼らを雇ったのは領地のためだと分かっているが、あの男たちが
レティシアを聖女のように崇拝しているのが猛烈に気に入らん。
レティシア、俺だけを見てくれ。俺だけのためにその最高の知恵を
使ってくれ。今すぐお前をこの腕で抱き上げて、寝室の奥深くへ
隠して、一生俺の愛だけで満たし続けたい……!』
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(公爵様、昼間から少々甘えがすぎていらっしゃいますわよ。彼らはただ、仕事の成果を報告しにきただけですのに。本当に、惚れた女に対して過保護がすぎてバグを起こすという、ヴォルフィード家特有の血の仕様は伊達ではないわね。けれど、これほど強い方が私一人にここまで必死になってくださるなんて、本当に愛おしい旦那様ですこと)
私は手元の羽根ペンを置き、私の肩に顔を埋めている彼の美しい銀髪に、そっと指先を滑り込ませた。
シルクのように滑らかな髪の手触りを楽しみながら、彼の切実な独占欲を優しくなだめる。
「ギルバート様、そんなに怖い顔をなさらないで。私は貴方の妻なのですから、どこへも行きませんわ」
「分かっている……。だが、お前が有能であればあるほど、周囲がお前を放っておかなくなる。それが、俺のこの呪われた血を、どうしようもないほど暴走させるのだ。お前を誰にも渡したくない。王都の連中にも、領民どもにも、一瞬たりともお前の視線を奪われたくないのだ」
ギルバート様は私の首筋に熱い唇を押し当て、子供のように強く私を抱きしめた。
国の北壁たる冷酷無比な化け物と恐れられる彼が、私の前でだけ、その強すぎる魔力を愛の熱量に変換しきれずに、これほど不器用に身を焦がしている。
そのあまりの裏表のなさと切実さに、私の胸の奥があたたかい満足感で満たされていく。
「私は貴方の妻ですわ、ギルバート様。王都の不良在庫たちを完全に損切りし、このフロストヘイムの地で、貴方という世界最高の資産を永遠に独占契約すると決めたのです。ですから、そのような心配は必要ありませんわ」
私が振り返り、彼の端正な頬にそっと口づけを交わすと、彼の頭上のウィンドウは【最愛の誓いを受諾:幸福度が上限値を突破してシステムがフリーズしました】と表示したまま黄金に静止した。
彼は冷徹な美貌を保ったまま、耳の付け根だけを真っ赤に染めて、私の腰をそっと抱き直した。本当に分かりやすくて可愛い方だ。
そんな至高の静寂を破るように、セバスがいつになく鋭い、しかしどこか愉快そうな足取りで入室してきた。
「旦那様、奥様。王都の暗部より、ついに最終決算とも言える決定的な報せが届きました」
セバスは完璧な一礼とともに、漆黒の封蝋が押された一通の手紙を差し出してきた。
それを受け取り、一瞥した瞬間、私の唇は冷ややかな、しかし極上の歓喜に満ちた弧を描いた。
「――カイル殿下、およびグランディス伯爵家が、国家反逆罪と公金横領の容疑で、王宮憲兵隊に完全拘束されたそうですわ」
その言葉に、ギルバート様の深紅の瞳が冷徹な光を帯びる。
手紙に記されていた王都の惨状は、まさに私が描き出した損切りのシナリオ通りだった。
11話で私が残した暗号帳簿を無理に弄り、国庫を完全にロックさせたカイル王子。
騎士団への給与未払いを私のせいにしたことで、激怒した騎士たちのサボタージュはついに暴動へと発展した。
事態を重く見た国王陛下が直々に国庫の調査を命じたが、私のいない王宮には、数字の不整合を隠蔽できる人間は一人も残っていなかった。
結果として、カイル王子と実家のグランディス伯爵が、長年にわたって予算から数百万ゴールドもの裏金を着服し、私的なカジノや贅沢品につぎ込んでいた動かぬ証拠が、白日の下に晒されたのだ。
「カイル殿下は王位継承権を完全に剥奪され、北方の最果てにある鉱山監獄への終身刑が確定。ミリア様もまた、不正蓄財の共犯として爵位を剥奪され、平民へと落とされた上で、一生物の強制労働施設へと送られた模様です」
「自業自得だな」
ギルバート様が、冷酷な声で吐き捨てる。
その声には、自らの怠惰と傲慢さで破滅した粗悪品への、一抹の憐れみすら含まれていなかった。
「ええ、本当に。私という完璧なインフラを失った瞬間に、自分たちの身の丈に合わない犯罪の重みで自爆するなんて、目利きの基礎すらできていない素人以下ですわね」
私は手元の手紙を、暖炉の炎の中へと迷いなく投げ入れた。
激しい赤色の炎が、王都の不良在庫たちの名前を、文字通り一瞬で灰へと変えていく。
私を無価値だと切り捨て、物置小屋に閉じ込め、夜会で物笑いの種にしていた人間たちは、これで完全にこの世界から損切りされた。
彼らにはもう、私を思い出す時間も、後悔する権利すら残されていない。
残されたのは、自らの犯した罪の損失を、一生をかけて肉体で支払い続けるという、この上なく適正な決済だけだ。
「これで、王都のゴミ掃除はすべて完了いたしましたわね、ギルバート様」
私は振り返り、白銀の髪を揺らす私の最愛の旦那様を見上げた。
「ああ。これからは、お前を脅かすものは何一つない。このフロストヘイムの地で、俺のすべてをかけて、お前を世界一幸せな、誰よりも輝く正妃として愛し続けよう」
ギルバート様は私の手を引き、その手の甲に、誓いの上書きとなる深いキスを落とした。
彼の触れる場所から広がるあたたかい熱が、私の冷徹な合理主義と完璧に溶け合い、窓の外には、まるで私たちの未来を祝すかのような、美しい雪解けの春の光が差し込み始めていた。
バグだらけの愛の重い旦那様と、王都を完全損切りした有能追放令嬢の、終わりのない幸福の最適化。
私たちの結んだ完璧なる終身契約の帳簿には、これから先も、どこまでも豊かで、あたたかい愛の純利益だけが、永遠に刻まれ続けていくのだった。




