EP 9
最強執事の完璧な朝と、狂い始める傲慢な獅子
「おはようございます、我が麗しきお嬢様。本日のポポロ村は快晴。絶好の執務日和でございます」
朝の柔らかな日差しが差し込む部屋で、完璧な姿勢で一礼する燕尾服の男。
人狼族の宰相兼執事であるリバロンが、私のベッドサイドで銀のトレイを恭しく掲げていた。
「おはようございます、リバロンさん……って、ええっ!?」
私は跳ね起きて、慌てて乱れた髪を押さえた。
「ど、どうして私の部屋に!? しかも、そのトレイに乗っているのは……」
「はい。オリヒメ様が昨夜『エンジェルすまーとふぉん』で取り寄せられていた『タローソン(魔導コンビニ)』のプレミアム・ロールケーキと、私が淹れた目覚めのポポロコーヒーです。お嬢様の一日のパフォーマンスを最大化するため、糖分とカフェインの完璧な比率を計算いたしました」
昨夜のプレハブ倉庫での「この身のすべてを捧げる」という忠誠の誓いから一夜明け、リバロンの私への『執着』と『過保護』は、ギアが三段階くらい上がっていた。
「あ、ありがとうございます……でも、自分のことは自分でできますから!」
「いけません。ドラッカーの『プロフェッショナルマネジャー』にもある通り、トップの健康と時間は組織の最大資産です。貴女に雑務をさせるなど、執事としての私の存在意義に関わります」
有無を言わさぬ微笑みで、リバロンは私の口元にロールケーキを運んでくる。
(こ、これが『傅かれる』ということ……!?)
前世では他人の分のコーヒーまで淹れて走り回っていた私が、大陸最強の人狼に甲斐甲斐しく世話を焼かれている。あまりの落差と甘やかな扱いに、私は顔から火が出そうになりながらも、その極上のケーキを味わった。
***
朝食を終え、村長室での執務が始まった。
ポポロ村の物流センターが稼働してから、取引の規模は跳ね上がっていた。私はデスクに向かい、各国のギルドから持ち込まれる契約書や請求書を猛スピードで精査していく。
「……ん?」
ふと、アバロン魔皇国から来たという商人の請求書を見て、私のペンが止まった。
「この『魔導肥料』の単価……昨日の相場より三割も高く水増しされています。おまけに、納品書の検印が微妙にずれている。これ、偽造印ですね」
私が指摘すると、デスクの前に立っていた胡散臭い商人が、ビクッと肩を揺らした。
「な、何を言いがかりを! 平民の小娘が、ギルドの正規の印を疑うというのか!」
商人が顔を真っ赤にして凄み、テーブルをドンッと叩く。
「いいえ、言いがかりではありません。複式簿記の原則に照らし合わせれば、この原価率の変動は不自然すぎます。それに……」
私が毅然と言い返そうとした、その時だった。
「――お下がりください、オリヒメ様。泥の跳ねる音がいたします」
スッ、と私の前に、リバロンが立ちはだかった。
彼の黄金の瞳が、絶対零度の冷たさで商人を射抜く。
「私の『鼻』は、腐った嘘の匂いを逃がしはしません。貴様の言葉からは、三流の詐欺師特有の安っぽい恐怖の匂いがする。……『マキャヴェリ』は言いました。他者を欺く者は、常に己も欺かれる覚悟を持たねばならないと」
「ひっ……!? じ、人狼……!」
「我が主の完璧な帳簿に、不当な数字を混入させようとした罪は重い。腕の一本で済むと思わないことですね」
リバロンが懐から真っ白な名刺を取り出す。
闘気を極限まで圧縮された『名刺刃』が、チリチリと危険な音を立てた瞬間――。
ドガァァァン!!
「オリヒメェェーッ!!」
村長室のドアが木っ端微塵に吹き飛び、特注安全靴を履いたキャルルが猛烈な勢いで飛び込んできた。
「はっ!? な、なんだ!?」
驚愕する商人をよそに、キャルルはリバロンを突き飛ばし、私にガバッと抱きついた。
「リバロン! 朝からオリヒメを独占するな! オリヒメは私の親友なんだからね! ほらオリヒメ、村の子供たちが『月見大根』の収穫を手伝ってくれたお礼にって、お花をくれたよ!」
キャルルがウサギ耳を揺らしながら、可愛らしい野花のブーケを差し出してくれる。
「ふふっ、ありがとうキャルル。とっても綺麗ね」
「……キャルル様。私がせっかく害虫駆除をしていたというのに、ドアを粉砕するとは何事ですか」
リバロンがため息をつきながらネクタイを直す。その圧倒的な二人の「規格外のオーラ」の板挟みになった商人は、完全に腰を抜かし、白目を剥いて気絶していた。
「まあまあ、リバロンさん。ドアは後で『タローマン』の魔導接着剤で直せますから」
私は苦笑しながら『エンジェルすまーとふぉん』を取り出した。
「お仕事も一段落しましたし、三人でお茶にしましょう。今日は頑張ってくれている二人にご褒美です」
私は有り余る善行ポイントを使い、『ルナキン』の裏メニューである【ギガ盛り・タワーパンケーキ(ハニーかぼちゃシロップ掛け)】を取り寄せた。
「うわぁぁっ!! 山みたいなパンケーキだ!! オリヒメ大好き!!」
キャルルが目をキラキラさせて飛びつく。
「やれやれ……。では、私が至高の紅茶をお淹れいたしましょう」
リバロンも呆れたように笑いながら、手際よくティーセットの準備を始めた。
温かいパンケーキを頬張りながら、キャルルが笑い、リバロンが静かに微笑む。
「オリヒメ様。貴女の淹れる温かな時間が、私は何よりも愛おしい。……この平穏を乱す者は、たとえ他国の王であろうと、私がすべて排除してみせましょう」
リバロンの低く甘い誓いの言葉に、私は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
もう、誰も私を「使えない」と蔑むことはない。
私は今、この世界で一番、大切にされている。
***
――だが、私の平穏とは裏腹に、破滅の足音は確実に響き始めていた。
レオンハート王国の、レオナルドの領地。
かつては栄華を誇っていたその屋敷は、今や見る影もなく荒れ果てていた。
「レオナルド様! ルナミス帝国からの借入金の返済期限が過ぎております! このままでは、領地の一部を差し押さえられることに……っ!」
「うるさいっ!! なぜだ、なぜ計算が合わない!? あの女がいた時は、こんな督促状など一枚も来なかっただろうが!!」
レオナルドは血走った目で、山のように積まれた赤字の帳簿を握りつぶした。
「オリヒメ様の残された独自の書類システムは、彼女の記憶と実務能力がなければ運用不可能なのです! 新しい文官を何人雇っても、全く歯が立ちません!」
「くそっ……! ええい、あの『書類整理係』め! 私の温情を無下にして出て行った恩知らずが!」
自分の傲慢さが招いた結果だというのに、彼はまだ理解していなかった。
彼らを支えていたのは、決して彼の力などではない。私が泥水をすするような思いで築き上げた「インフラ」があったからこその、砂上の楼閣だったのだ。
「探せ! オリヒメを探し出せ! あんな力のない人間の女だ、今頃は辺境で泣きながら後悔しているに決まっている! 私が直々に迎えに行って、再び私の元で働かせてやる!」
傲慢な獅子は、ついに最悪の決断を下した。
私がいる「ポポロ村」へ向けて、彼が自ら軍を率いて動き出そうとしていた。
それが、彼自身の完全なる「自滅」の引き金になるとも知らずに。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




