EP 10
傲慢な獅子の襲来と、完璧なる塩対応
「おい、馬車が揺れなくなったぞ。どうなっている?」
レオンハート獣人王国の国境付近。
レオナルドは、不機嫌そうに豪華な馬車の窓から外を見下ろした。
つい先ほどまで、雨上がりでぬかるんだ最悪の悪路をガタガタと進んでいたはずなのに、いつの間にか馬車の車輪は、滑るようにスムーズに回転している。
「あら、本当ね。それに見てレオナルド様。あんな貧乏な村に、ルナミス帝国の大商人たちの馬車がずらりと並んでいるわ」
向かいの席で、新しい婚約者である虎耳族の令嬢が、不満げに爪を弄りながら口をとがらせた。
窓の外に広がる光景に、レオナルドは目を疑った。
「なんだ、あの真っ白で平らな道は……石畳ですらないぞ。それに、あの広場にある巨大な建造物はなんだ!? あんなもの、数週間前までは影も形もなかったはずだ!」
ポポロ村のメインストリートは、『タローマン製・魔導セメント』によって完璧に舗装され、泥の跳ね返りなど一切ない。
さらに村の広場には、巨大な『魔導プレハブ倉庫』が鎮座し、ゴルド商会をはじめとする大陸中の商人たちが、整然と列をなして番号札を握りしめている。
活気と熱気、そして莫大な富が動く匂い。それは、レオナルドの領地がかつて持っていた――いや、それ以上に洗練された「完璧な市場」の姿だった。
「……フン、なるほど。理解したぞ」
レオナルドは、ニヤリと傲慢な笑みを浮かべた。
「あの『書類整理係』の女め。私に捨てられた腹いせに、私から盗んだ知識を使って、こんな辺境で小賢しい商売を始めたというわけか。私が迎えに来るよう、気を引くためにな!」
領地の経済が破綻しかけている今、この富の集積地は喉から手が出るほど欲しい。
レオナルドは「オリヒメの作った富は、私のものだ」という恐ろしい勘違いを抱いたまま、自信満々に馬車の扉を蹴り開けた。
「どけ! 平民ども! 次期伯爵たるこの私、レオナルドの道を開けろ!」
列を作っていた商人たちを強引に押しのけ、プレハブ倉庫の中へと足を踏み入れる。
***
その頃、プレハブ倉庫の内部では。
「オリヒメ、これすっごい! 甘くてシュワシュワする!」
「ふふ、ルナキン名物の『メロンソーダ』ですよ。お疲れの商人の方々にも好評みたいでよかったです」
私は、倉庫の待合スペースに新設した『ルナキン式・ドリンクバー魔導機』のメンテナンスを終え、ホッと息をついていた。
遠方から来る商人たちの疲労を少しでも和らげようと、善行ポイントで『ドリンクバー』を取り寄せ、無料の休憩所を作ったのだ。氷の浮かんだ冷たいメロンソーダや、温かいポポロコーヒーが飲み放題とあって、商人たちの顧客満足度は爆上がり。結果的に取引も極めてスムーズになり、ゴッドチューブのPVも「おもてなしの鑑!」と絶賛されている。
「オリヒメ様。本日の帳簿と、QR決済のバックアップデータです。一寸の狂いもございません」
背後から、完璧な所作でリバロンがタブレット端末(魔導通信石の派生品)を差し出してくる。
「ありがとうございます、リバロンさん。いつも完璧なサポートですね」
「貴女の描く青写真を現実の形にするのが、私の喜びですから。……さあ、冷めないうちにどうぞ」
リバロンは私が一番好きな温度に調整された陽薬茶を、そっと私のデスクに置いた。彼の手のひらが、さりげなく私の指先に触れる。その優しい温もりに、自然と笑みがこぼれた。
ダンッ!!
その穏やかな空気を切り裂くように、プレハブ倉庫の入り口が乱暴に叩き開けられた。
「見つけたぞ、オリヒメ!!」
広場に響き渡る、聞き覚えのある傲慢な声。
入り口に立っていたのは、豊かな黄金のたてがみを揺らし、高価な(しかし手入れが行き届いておらず少しシワの寄った)マントを羽織ったレオナルドだった。背後には虎耳の令嬢を従えている。
「……レオナルド、様」
私が目を丸くしていると、彼は「やはりな」と勝ち誇ったように鼻を鳴らし、ズカズカと私のデスクの前まで歩み寄ってきた。
「こんな辺境で泥まみれになって、さぞ惨めな思いをしていたことだろう。だが、安心しろ!」
レオナルドはバサァッとマントを翻し、慈悲深い王でも演じるように大げさに手を広げた。
「お前が私に捨てられ、後悔の涙を流していることは分かっている! 私に認めてもらうために、この村の商売をここまで大きくしたのだろう? その努力と健気さに免じて、お前を連れ戻してやる!」
「……は?」
「これからは、私の領地の書類整理係として、特別に側室(愛人)の末席に加えてやろう。私に感謝するがいい。さあ、今すぐ荷物をまとめて馬車に乗れ! この村の利権とやらも、全て私が管理してやる!」
プレハブ倉庫の中が、水を打ったように静まり返った。
順番待ちをしていたゴルド商会の商人たちは、「あの男、頭がおかしいのか?」という哀れみの目でレオナルドを見ている。
(……すごい。ここまで自分の都合の良いように世界を解釈できるなんて、ある意味で才能ね)
前世の私なら、彼のような声の大きい権力者に怒鳴られれば、委縮して愛想笑いを浮かべていただろう。
理不尽な上司に手柄を奪われても、「私が我慢すれば丸く収まるから」と、自分を殺して耐えていた。
だが、今の私は違う。
私には、誰にも見返りを求めずに築き上げた、確かな「善行の絆」がある。
そして何より、私の本当の価値を認めてくれる、絶対的な味方がいるのだ。
私は、手元にあった『番号札』を一枚手に取り、レオナルドに向かってスッと差し出した。
「お言葉ですが、レオナルド様。私は現在、ポポロ村の物流窓口の責任者として業務を行っております。個人的なご面会であっても、順番待ちのお客様の迷惑となりますので――列の最後尾に並び、こちらの番号札をお取りください」
「……な、なんだと?」
レオナルドの顔が、呆けたように固まった。
私が泣いて縋り付いてくると思っていたのだろう。
「それに、連れ戻すとおっしゃいますが、お断りいたします。私はこの村での生活に心から満足しておりますし、あなたの領地に戻る理由が一つも見当たりません。……お分かりいただけましたら、お引き取りください」
声に怒りはなかった。
ただ、ずっ友ロコシに致死量の塩をぶっかけたような、完璧なる『塩対応』。氷点下の事務的な態度は、彼のような見栄っ張りの貴族にとって、最もプライドをえぐられる拒絶だった。
「き、貴様ぁ……っ! 平民の分際で、この私に恥をかかせる気か!」
レオナルドの顔が朱に染まり、獅子耳族特有の爆発的な闘気が、その体から立ち昇った。
「言葉で分からないなら、力ずくで引きずって帰るまでだ! 立て、オリヒメ!」
彼が乱暴に手を伸ばし、私の腕を掴もうとした、その刹那だった。
――シュガァァァンッ!!
レオナルドの伸ばした腕のわずか数ミリ先。
一枚の「真っ白な名刺」が、音速を超えて空気を切り裂き、プレハブ倉庫の鋼鉄の壁に深々と突き刺さった。
「な、に……っ!?」
レオナルドが震えながら横を向くと、そこには、完璧な燕尾服を身に纏い、手袋をはめた指先からチリチリと青白い闘気を放つ、人狼族の執事が立っていた。
「……私の言葉が、聞こえませんでしたか? 獅子の小僧」
リバロンの黄金の瞳が、絶対的な殺意と冷酷な法を宿して、レオナルドを見下ろしている。
「我が主が、『お引き取りください』と仰ったのです。……次にその汚い手を一ミリでも動かせば、貴様の腕は、その名刺と同じように壁のオブジェとなるでしょう」
「ヒッ……!! じ、人狼……しかも、この闘気の密度は……っ!?」
「あーっ! お前、オリヒメをいじめる気か!」
さらに、メロンソーダを一気飲みしたキャルルが、ウサギ耳を逆立てながらカウンターを軽々と飛び越えてきた。
彼女の足元の特注安全靴が、ギシィッと危険な音を立てて床を削る。
「私の親友に手を出そうなんて、いい度胸じゃん! そのアゴ、月影流で粉々に砕いてやるから歯を食いしばれぇっ!」
大陸最強の武力(月兎の蹴り)と、冷徹な法(人狼の殺意)。
二つの絶対的な理不尽に挟まれ、傲慢だった獅子の顔から、一瞬にしてすべての血の気が引き、青ざめていくのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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