EP 6
満月の夜の狂騒と、ルナキン苺パフェ
その日の夜、空には真ん丸な満月がぽっかりと浮かんでいた。
アナステシア世界において、兎耳族の最上位種である『月兎族』は、月の満ち欠けによって能力が大きく変動する。満月の日、彼女たちの身体能力と魔力は完全回復し、限界を突破して「ハイ状態」になるのだと、知識としては知っていた。
だが、実際のそれは私の想像を遥かに超えていた。
「みなぎる……みなぎってくるぞぉぉぉぉっ!!」
村長室の窓を突き破らんばかりの勢いで、キャルルが両腕を天に突き上げた。
普段は下を向いている長いウサギ耳が、アンテナのようにピンと直立し、青白い闘気のオーラが全身から噴き出している。
「世界が私を呼んでいる! 苦しんでいる人たちが私を待っているんだ!! ターーーーッ!!」
ドゴォォォォン!!
凄まじい衝撃音と共に、キャルルが特注の安全靴で地面を蹴り飛ばした。
その瞬間、彼女の姿は文字通り「消えた」。
あとには、突風で巻き上げられた書類の吹雪と、村長室の床に深く穿たれたクレーターだけが残された。マッハ1を突破した彼女が走った軌跡には、ソニックブームの衝撃波がビリビリと空気を震わせている。
「えっ……きゃ、キャルル!?」
あまりの事態に私が呆然としていると、傍らでリバロンが懐中時計をパチンと閉じた。
「……発射されましたね。マッハ1.2。今回は隣町のルナミス駐留所と、その奥にある総合病院の方角です」
「は、発射って……止めなくていいんですか!?」
「無理です。満月の月兎族は、神獣クラスでもなければ止められません。我々にできるのは、朝までに完璧な謝罪文と損害賠償の相殺交渉書類を書き上げることだけです」
リバロンはため息を一つ吐くと、散乱した書類を一瞬でかき集め、猛烈な勢いで羽ペンを走らせ始めた。
「オリヒメ様。お怪我がなくて何よりです。貴女はどうか、奥の部屋でゆっくりとお休みください」
「そんな、私も手伝います!」
「いけません。これは私の執事としての仕事です。これしきの事務処理、貴女の美しい手を煩わせるには値しません」
リバロンは頑として私を休ませようとしたが、私も前世は筋金入りの社畜OLである。同僚が修羅場を迎えているのに、自分だけベッドに入るなんて絶対に無理だ。
私は奥の給湯室へ向かい、こっそりと『エンジェルすまーとふぉん』を取り出した。
(激務を乗り切るのに必要なのは、適切な糖分とカフェインよ!)
私は溜まっていた善行ポイントを使い、ルナミス帝国で大人気の24時間ファミレス『ルナキン』から、特大サイズの【ルナキン特製・濃厚苺パフェ】を取り寄せた。さらに、ポポロ村で採れた最高級のポポロコーヒー豆を使い、前世の知識を活かして濃いめの極上ドリップコーヒーを淹れる。
深夜の村長室に、コーヒーの芳醇な香りと、苺の甘い匂いが広がった。
「リバロンさん。少し休憩にしましょう」
私がパフェとコーヒーを乗せたトレイをデスクに置くと、猛スピードで書類を捌いていたリバロンの手がピタリと止まった。
「これは……ルナキンのパフェですか? それに、このコーヒーは……」
「私の淹れたポポロコーヒーです。甘いパフェには、ブラックが合いますから」
「……」
リバロンは黄金の瞳を丸くした後、静かにコーヒーを一口飲んだ。
「……素晴らしい。豆の持つ魔力回復効果が最大限に引き出されています。オリヒメ様、貴女という方は、どこまでも私を驚かせる」
彼は心底愛おしそうに私を見つめ、苺パフェを上品に口に運んだ。
「お嬢様の淹れてくださったコーヒーと、この甘味。……どんな激務も、これさえあれば至福のひと時に変わります。ありがとうございます、オリヒメ様」
その優しげな微笑みと、狼の尻尾が機嫌よく揺れているのを見て、私はホッと胸を撫で下ろした。
翌朝。
太陽が昇ると同時に、村長室のドアがギィィと開き、ボロボロになったキャルルが帰還した。
「……ごめんなさい、またやっちゃった……」
ハイテンションが嘘のように抜け落ち、ウサギ耳をペタンと寝かせて、土下座の勢いで床に突っ伏している。
直後、隣町の病院と駐留所から、魔導通信石を通じて凄まじい勢いの報告が飛び込んできた。
『ウサギ耳の暴漢が窓をぶち破って侵入してきた!』
『重病棟の患者たちに「気合を入れろ!」と殴る蹴るの暴行を加えた直後、なぜか全員の病気や怪我が跡形もなく完治した!』
『兵士たちにも熱いヤキを入れられ、骨折したのに一瞬で治った! 姉御のご熱い指導に感激しました! 後日、ポポロ村に大量の貢物を持参します!』
……地獄と天国を同時に味わわされた被害者たちは、怒りよりも困惑と感謝(と謎の忠誠心)に支配されていた。
キャルルは満月で魔力が暴走すると、無差別に全回復の魔法を物理攻撃(愛のムチ)に乗せて叩き込んでしまうらしい。
「ほら、キャルル。甘いものを食べて元気を出して」
私が『ルナキン苺パフェ』のもう一つを差し出すと、キャルルは弾かれたように顔を上げた。
「えっ、ルナキンのパフェ!? うそ、どうしてここにあるの!?」
「ふふ、私の『お取り寄せ』スキルです。疲れた時は甘いものが一番ですからね」
キャルルはパフェのクリームを一口食べると、「んんんん〜〜っ!」と歓喜の声を上げ、目に涙を浮かべた。
「美味しい……! オリヒメ、あんたホントに最高だよ! 天使だよ!!」
彼女はスプーンを放り出すと、いきなり私にガバッと抱きついてきた。
「わわっ、キャルル!?」
「オリヒメは私の親友だ! 私が一生守ってやる! だから、誰にも渡さないからね! リバロンにも、他のどこの国の馬の骨にも絶対渡さない!」
頬をすりすりしながら、ヤンデレ気味に私を独占しようとするキャルル。人参と、甘い苺の匂いが混ざっている。
「キャルル様。お戯れはほどほどに。オリヒメ様が困っておられますよ」
リバロンが完璧な笑顔のまま、キャルルの首根っこをひょいとつまみ上げた。
「ちぇーっ、リバロンのケチ。オリヒメは私のものだもん」
「キャルル様がポポロ村の主であることに異論はありません。ですが、オリヒメ様を個人的にお守りし、お尽くしする特権だけは、このリバロン、誰にも譲る気はございませんよ」
バチバチと、親友と執事の間で謎の火花が散っている。
私は「もう、二人ともやめてくださいよ」と笑いながら、呆れつつも、この騒がしくて温かい日常が心から愛おしかった。
前世では、誰かにこんなにも求められ、大切にされることなんて一度もなかったのだから。
その時、私のポケットのエンジェルすまーとふぉんが、ブルッと震えた。
『【通知】満月の夜のヤンデレ友情&敏腕執事の事後処理配信、神々から「尊い」と高評価殺到! PV爆上がりでポイント大量獲得!』
(……なんだか、神様たちも楽しんでくれているみたいね)
こうして、ポポロ村は私のインフラ整備と二人の力によって、徐々に活気を取り戻していくのだった。
***
一方その頃。
レオンハート王国の、レオナルドの領地では。
「ダメです、レオナルド様! ルナミス帝国からの関税の優遇措置が完全に打ち切られました!」
「な、なんだと!? なぜだ、ゴルド商会のオロチ会長とのパイプはどうなった!」
領主の執務室で、レオナルドが髪を振り乱しながら叫んでいた。
「オロチ会長からは、『あの有能なお嬢ちゃん(オリヒメ)がいないなら、アンタらみたいな見栄っ張りの馬鹿と取引する義理はにゃあて!』と、一蹴されました……っ!」
オリヒメという、完璧な実務と根回しを担っていた「心臓」を失ったことで、レオナルドの領地経営は、着実に、そして致命的な崩壊への道を転がり落ちていた。
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