EP 4
買占め作戦と、善意の市場破壊
翌朝のポポロ村の広場は、普段の活気とは全く違う、重苦しくピリピリとした空気に包まれていた。
「フハハハハ! さあ、この金貨を受け取るがいい! 今朝、この市場に持ち込まれたすべての野菜、果物、穀物……ありとあらゆる食材は、このゴルドー様がすべて買い取ったぞ!」
広場の中央に陣取ったアルマディの大商人・ゴルドーが、高らかに勝利の哄笑を上げていた。
彼の背後には、村の農家や商人たちから強引に買い上げた、山のような木箱と麻袋が積み上げられている。
「村長! 大変です!」
報告を受けて広場に駆けつけた私は、その異様な光景に目を疑った。
「ゴルドー様。一体何の真似ですか? 村の食材を買い占めるだなんて」
私が問い詰めると、ゴルドーはニチャリと邪悪な笑みを浮かべ、葉巻の煙をプハーッと吐き出した。
「何の真似も何もない。これは『正当な商取引』だ。私は農家どもに、普段の相場の『三倍』の値段を提示してやった。当然、彼らは喜んで私に食材を売ったよ。……だが、これでポポロ村の流通網に流す食材は『ゼロ』になったというわけだ」
「ッ……!」
私は奥歯を噛み締めた。
魔導コールドチェーンは、毎日新鮮な食材を王都や他国へ途切れることなく供給することで、その信用とブランド力を保っている。
もし今日、一日でも出荷がストップしてしまえば、「ポポロ村の物流は不安定だ」という悪評が立ち、これまでに築き上げた信用が大きく傷ついてしまうのだ。
「フフフ。どうだオリヒメ! 契約書での知能戦は貴様らに分があったようだが、これこそが商人の本懐! 圧倒的な『資金力』による暴力(兵糧攻め)だ!」
ゴルドーが、腹の底から湧き上がるような下劣な笑い声を上げる。
「悔しければ、この私から食材を買い戻すんだな。……そうだな、私が買った値段の『百倍』でなら売ってやってもいいぞ? それが払えないなら、大人しくコールドチェーンの権利を私に譲渡しろ!」
「……この、卑劣な」
私がギリッと拳を握りしめると、横に控えていたリバロンが、スッと名刺刃を抜く構えを見せた。
「オリヒメ様。やはり私が、あの汚らしい肉塊を今すぐ八つ裂きにし、買い占められた食材を力ずくで『回収』してまいりましょう。……こんな羽虫に、これ以上貴女の美しい眉根を寄せさせるわけにはいきません」
「待ってください、リバロンさん。私たちが力ずくで奪い返したら、それこそ悪徳商人と同じレベルに落ちてしまいます。……それに、まだ手はあります」
私は脳内で『善行ポイント通販』の画面を開き、王都への出荷を補うための地球の食材(冷凍野菜など)を緊急発注しようと計算を始めた。
ポイントの消費は痛いが、村の信用を守るためには仕方がない。
私がそう決意した、まさにその時だった。
「あら? 皆さん、こんな朝早くから広場に集まって、どうされたのですか?」
ふんわりとしたお嬢様ドレスに身を包んだエルフの少女――ルナが、小首を傾げながら広場にやってきた。
彼女は早朝から村の周囲を散歩(という名の迷子)していたらしく、手には綺麗な野花が握られている。
「おや、ルナさん。おはようございます。実は今、少し厄介なことになっていまして……」
私が事情を説明しようとすると、広場の端で立ち尽くしていた村の農家のお婆さんが、ぽろぽろと涙を流し始めた。
「オリヒメ村長、申し訳ねぇ……。あの商人様が『三倍の金貨を出す』って言うもんだから、目が眩んでつい売っちまっただ。でも、これじゃあ今日の村の子供たちに食べさせる野菜まで無くなっちまった……」
「お婆さん……」
私が駆け寄ろうとした瞬間、ルナの足がピタリと止まった。
「……え? お野菜が、ないのですか?」
ルナの瞳が、驚きに見開かれた。
「はい。あそこのゴルドー様が、村の食材をすべて買い占めてしまったので」
私がゴルドーを指差すと、ルナはゴルドーの背後に積まれた『買い占められた野菜の山』と、泣いているお婆さんを交互に見比べた。
そして。
「……そんな」
ルナの両手からポロリと野花が落ち、彼女は信じられないものを見るような目で、ポロポロと大粒の涙を溢れさせ始めたのだ。
「私……私、ポポロ村はとても豊かで、皆さんが笑顔で暮らしている素敵な場所だと思っていました。……それなのに、今日食べるお野菜すら足りないほど、深刻な食糧難に陥っていたなんて……っ!」
「えっ? いや、ルナさん、そういうわけじゃ……」
私が慌てて訂正しようとしたが、ルナの耳にはすでに私の声は届いていなかった。
「おじ様、あんなにたくさんのお野菜を一人で抱え込んで……。きっと、ご大家族を養うために、ご自身も三日三晩飲まず食わずで必死に集められたのですね……っ。ごめんなさい、私がもっと早く、皆さんの貧困に気づいていれば……!」
「はぁ!?」
ゴルドーが素っ頓狂な声を上げた。
彼が嫌がらせで買い占めたという悪意は、ルナの『純度100%の天然の善意フィルター』を通すことで、「大家族を養うために必死に食糧を集める哀れなおじさん」という、とんでもない美談にすり替わってしまったのだ。
「皆さん、もう安心してください! 私が、世界樹の植物さんたちにお願いして、今すぐ皆さんに美味しいお野菜を分けていただきますから!」
ルナが、涙を拭いながら『世界樹の杖』を天高く掲げた。
その瞬間。
杖の先端にある緑色の宝玉が、太陽すらも霞むほどの、強烈な生命の光を放ち始めた。
「な、なんだ!? 何をしようというのだ!」
ゴルドーが慌てて後ずさる。
「『大地の精霊さん、どうかお願い。この村の皆さんがお腹いっぱい食べられるように……命の恵みを、お裾分けしてくださいな!』」
ルナが杖を地面にトンッと突いた。
ズズズズズズッ……!!
広場の石畳の隙間から、そして村の周囲に広がる農地や森から、凄まじい地響きと共に『緑の奔流』が吹き上がった。
「きゃぁぁっ!?」
「うおおおっ、なんだこりゃあ!?」
村人たちが悲鳴を上げる中、目の前の光景は、もはや魔法という枠を遥かに超えた『神の御業(自然災害)』へと変貌していた。
ボコォォォンッ!!
地面を割って現れたのは、大人の背丈ほどもある『超巨大な黄金の大根』。
バサバサバサッ!!
空から降り注ぐのは、ルビーのように輝き、一口かじれば不老不死になれそうなほど甘い香りを放つ『極上の完熟トマト』の雨。
そして、瞬く間に成長した巨大な豆の木からは、キラキラと光り輝く『特大のサツマイモ』が、まるで滝のように広場へとなだれ込んできた。
「……ッ!!」
私は、あまりの光景に言葉を失い、ただ口をパクパクとさせることしかできなかった。
ものの数十秒。
ポポロ村の広場は、ゴルドーが買い占めた食材の山など完全にゴミクズにしか見えないほどの、『神話級の超高級野菜の山』にすっぽりと埋め尽くされてしまったのである。
「ふふっ。皆さん、どうぞ遠慮なくお腹いっぱい食べてくださいね!」
ルナが、汗を拭いながら満面の笑みで振り返った。
「す、すげえ……! なんだこの美味そうな野菜は!」
「かじってみろ! とんでもねぇ甘さだ! 王都の貴族が金貨百枚出しても食えないレベルの味だぞ!」
村人たちが歓喜の声を上げ、神話級の野菜に群がり始める。
「ル、ルナさん……。これ、どれくらいの量を出したんですか?」
私が震える声で尋ねると、ルナは小首を傾げた。
「ええと……とりあえず、村の皆さんが十年くらい遊んで暮らしても食べきれないくらい、でしょうか? 足りませんでした?」
「足りすぎです!!」
私は頭を抱えた。
純金百キログラムの次は、十年分の神話級野菜の大量生成。
これは、ただの善意ではない。完全に、ポポロ村の農産物市場を物理的に破壊する『歩くハイパーデフレ(価格暴落)』である。
「リバロンさん! 今すぐこの神話級野菜を仕分けて、コールドチェーンの特装コンテナに詰め込んでください! 王都の富裕層向けに『世界樹の奇跡ブランド』として売り捌けば、なんとか市場価格の崩壊は防げます!」
「御意。……貴女のその商魂の逞しさ、ますます惚れ直しましたよ」
リバロンが楽しげに笑い、闘気を使って巨大な野菜を次々とコンテナへと運び始めた。
――そして。
その圧倒的な光景を前に、完全に魂を抜かれたような顔で立ち尽くしている男がいた。
「……あ、あ、ああ……」
大商人ゴルドーである。
彼は、自分の背後に積まれた『買い占めたただの野菜』と、村中を埋め尽くす『神話級の超高級野菜』を交互に見比べた。
経済の基本。
『供給が需要を遥かに上回れば、価格は暴落する』。
しかも、ルナが生み出した野菜は、品質においてもゴルドーの買い占めた野菜を完全に凌駕している。村人たちはタダで神話級野菜をもらっているのだから、ゴルドーの持っている普通の野菜など、もはや「お金を払って引き取ってもらうレベルの生ゴミ」でしかなかった。
「わ、私の……私の、全財産(買い占め資金)が……っ」
ゴルドーの膝が震え、その場にガクンと崩れ落ちた。
「あの、おじ様!」
ルナが、心配そうにゴルドーに駆け寄り、巨大な黄金の大根を彼に差し出した。
「おじ様が集めていたお野菜、少し古くなってしなびてしまっていますから。よろしければ、こちらの新鮮な大根をご家族の皆様に……」
「ぐふぅッ!!」
ルナの、一切の悪意がない純度100%の善意の同情が、商人としてのゴルドーの急所を的確に、そして無慈悲に抉り抜いた。
ゴルドーは白目を剥き、口から泡を吹いてその場にバタリと倒れ伏した。
力ずくの買い占め作戦による兵糧攻め。
それは、ポポロ村に滞在する天然エルフの『善意の市場破壊』の前に、わずか数分でゴルドーに莫大な赤字と絶望の在庫を抱えさせるという、最高に理不尽な「経済的ざまぁ」の結末を迎えたのであった。




