EP 2
純金100kgの仕送りと、ハイパーインフレの危機
「き、貴様ァァァッ! 人の話を聞いているのか! この大商人ゴルドー様を無視するなど、万死に値するぞォォッ!」
ポポロ村の村長室に、砂漠の商業国家アルマディからやってきた大商人・ゴルドーの怒声が響き渡った。
彼は顔を真っ赤にして立ち上がり、デスクの上に叩きつけた革袋――金貨百枚(約一千万ポポロ相当)を、これ見よがしにジャラジャラと鳴らした。
「そこのエルフの小娘! お前もよく見ろ! これがアルマディの誇る圧倒的な『財力』だ! この金貨の山を前にして、ひれ伏さない商人などこの世に存在しないのだ!」
ゴルドーがドヤ顔で言い放つ。
金貨百枚。確かに、一般の平民からすれば一生遊んで暮らせるほどの大金である。これで村の物流システム(コールドチェーン)を買い叩けると思い込んでいる彼の態度は、傲慢そのものだった。
だが、応接ソファで優雅にハーブティーをすすっていたエルフの少女――ルナ・シンフォニアは、その金貨の山をチラリと見て、ふんわりと小首を傾げた。
「まあ……。おじ様、随分と必死に小銭を鳴らしておられますけれど。ひょっとして、本当に今日の生活費にもお困りなのですか?」
「……は?」
ゴルドーの顔が、怒りから一転して呆然としたものに変わった。
「こ、小銭だと……!? この金貨百枚が、小銭に見えるというのか貴様!」
「だって、これっぽっちでは、美味しいフルーツタルトをいくつか買ったら、すぐになくなってしまいますわよ?」
ルナは、心底不思議そうに目をパチパチと瞬かせた。
(いや、金貨百枚あればフルーツタルトの店ごと買えますけどね……)
私は心の中でツッコミを入れたが、ルナのその「一切の悪気がない天然の憐れみ」は、ゴルドーのプライドを完膚なきまでにへし折っていた。
「き、ききき貴様ァ! 言わせておけば! 田舎のエルフ風情が、私より金を持っているとでも……!」
ゴルドーが青筋を立てて怒鳴り散らそうとした、まさにその瞬間。
『ピロリンッ♪』
村長室の天井に、突如として巨大で美しいエメラルドグリーンの魔法陣が浮かび上がった。
「あ、いけませんわ。もうこんな時間」
ルナはハーブティーのカップを置き、パァァッと顔を輝かせて立ち上がった。
「今日は月末ですから。故郷の『世界樹』から、私への毎月の『お小遣い(仕送り)』が届く日でしたの」
「お小遣い……?」
私がポカンと見上げていると。
ズドォォォォォォォォンッ!!!
村長室の堅牢な床の石畳が、クレーターのようにひび割れるほどの凄まじい轟音と衝撃が走った。
「きゃっ!?」
「オリヒメ様!」
リバロンが瞬時に私の腰を抱き寄せ、衝撃から庇うようにふわりと後方へ跳躍する。
土煙が晴れた後、村長室の中央に鎮座していたのは……。
太陽の光を反射して、暴力的なまでの輝きを放つ、巨大な一つの『金属の塊』だった。
「……えっ?」
私が目を疑う中、ルナはトコトコとその塊に近づき、嬉しそうに撫でた。
「ふふっ。今月もちゃんと届きましたわ。世界樹からの仕送り、純金百キログラムですの」
「「じゅ、純金、ひゃくキロぉぉぉっ!?」」
私とゴルドーの声が、今度こそ完全に、そして裏返った音階でハモった。
百キログラムの純金。
それは、金貨に換算すれば数万枚、いや十万枚を下らない天文学的な価値を持つ、文字通りの『国家予算レベルの塊』である。
「な、ななな……」
ゴルドーは、床に転がった自分の「金貨百枚の入った革袋」と、目の前にそびえ立つ「純金百キロの塊」を交互に見比べ、完全に言葉を失っていた。
アルマディ一の大商人が全財産の一部を切り崩して持ってきた「見せ金」が、文字通り、道端の小石のように霞んでしまったのだ。
「世界樹の植物さんたちは、私が外の世界でひもじい思いをしないようにと、毎月こうしてお小遣いを送ってくださるのです」
ルナはニコニコと微笑みながら、振り返ってゴルドーを見た。
「あ、そうですわ! おじ様、先ほど『お金がなくて必死だ』と仰っていましたわよね? よろしければ、このお小遣い、少し分けて差し上げましょうか? 遠慮なさらないでくださいな、私、とってもお小遣いが余っておりますの」
「ぐふぅッ!?」
ルナの、純度100%の善意からくる「究極の経済マウント(※本人に自覚なし)」が、ゴルドーの商人のプライドのド真ん中を貫いた。
ゴルドーは胸を押さえて、その場に膝から崩れ落ちた。
だが。
ゴルドー以上に、顔面を蒼白にして震え上がっていた人間が、この部屋にもう一人いた。
「……だ、ダメ……」
私は、前世の社畜時代に培った『経理部としての本能』を限界まで警報させていた。
「ダメェェェェェェッ!! 絶対にダメですルナさん!!」
私は頭を抱えて絶叫した。
「えっ? オリヒメさん、どうしてですか?」
「どうしてじゃないです! そんな純金百キロなんていう規格外の貴金属が、ポポロ村の小さな市場に出回ってみなさい! 一瞬にしてお金の価値が暴落して、ルナミス帝国全土を巻き込む『ハイパーインフレ』が起きちゃいます!!」
私は必死に、ルナの肩をガクガクと揺らした。
「いいですか! お金の価値が下がるということは、物価が跳ね上がるということなんです! 今まで百ポポロで買えていた大根が、明日には一万ポポロ……いや、百万ポポロ出さないと買えなくなるんですよ! 経済が! 私が夜勤してまで守り抜いてきたポポロ村の経済が、死んでしまいます!!」
「まあ。大根さんがそんなに高価なものになるなんて。農家さんは大喜びですわね!」
「喜びません! 誰も買えなくなって餓死します!!」
私は天然すぎるルナの言葉に、涙目でツッコミを入れた。
なんという歩く厄災。魔王軍の武力侵攻なんかより、よっぽど恐ろしい『経済的テロリスト』がやってきてしまった。
「リ、リバロンさん! お願いします、今すぐこの純金の塊を! 村長室の地下にある、一番厳重な大金庫の奥底にぶち込んで、絶対に誰の目にも触れないように『塩漬け』にしてください!!」
私が指示を飛ばすと、リバロンは静かに頷いた。
「御意。……貴女をこれほどまでに怯えさせる金属など、いっそ私が闘気で粉の原子レベルまで分解して消し去ってしまいましょうか」
「ダメです! いつか村の財政が傾いた時の『裏の担保』として必要になるかもしれないので、絶対にそのまま保管してください!」
「ふふ。貴女のそういう強かなところも、愛おしくてたまりません」
リバロンは極甘な笑みを浮かべると、なんと、百キロもある純金の塊を、片手でひょいっと持ち上げた。
「さあ、お嬢さん方。こんな汚らわしい金属の塊はさっさと隠して、ルナキンの甘いお菓子でも食べに行きましょう。……ああ、そこの羽虫は、床に散らばった『小銭』を拾って、とっとと砂漠へ帰るのですね」
リバロンの冷酷な視線に射抜かれ、ゴルドーはビクッと肩を震わせた。
だが。
「……」
ゴルドーは、床に這いつくばったまま、驚愕と、そしてそれ以上の『強烈な欲望』に目を血走らせていた。
(ば、馬鹿な……。百キロの純金だぞ? アルマディの王城にすらこれほどの金塊はない! それを、この村の連中は『市場に出回ると迷惑だから』という理由で、まるで生ゴミでも処理するかのように地下へ封印しただと……!?)
ゴルドーの商人としての脳髄が、激しく沸騰した。
(間違いない。あのエルフの娘の仕送りなどという言葉はフェイクだ。あの金塊は、この『ポポロ村の物流システム』が生み出した、途方もない利益の結晶に違いない!)
ゴルドーの脳内で、とんでもない誤解が完璧なロジックとして完成してしまった。
「……フ、フフフ……ハハハハ!」
ゴルドーは、顔中から脂汗を流しながら、不気味に笑い始めた。
「オリヒメと言ったな。……甘く見るなよ。このアルマディの大商人ゴルドーの執念を! 私は絶対に諦めん! その『コールドチェーン』の莫大な富、なんとしてでも私の手中に収めてくれるわァッ!!」
ゴルドーは、床の金貨を拾うこともせず、護衛たちを引き連れて、逃げるように村長室を飛び出していった。
「あーあ、行っちゃいました。せっかくお小遣いを分けてあげようと思いましたのに」
ルナが不思議そうに首を傾げる。
「……あの、ルナさん。世界樹の森から来たということは、キャルルたちに会いに来たんですよね?」
私が疲労困憊で尋ねると、ルナはパァッと顔を輝かせた。
「はい! 一緒にルナキンで女子会をして、ドリンクバーで半日くらいおしゃべりするお約束だったのです! あと、できればキャルルちゃんたちのシェアハウスに、私も住ませていただけないかと……」
「あ、ルナだ。やっぱり迷子になってたんだね」
そこへ、ウサギ耳を揺らしたキャルルと、芋ジャージ姿のリーザが村長室に入ってきた。
「ルナさん! お久しぶりですわ! 相変わらず、歩くインフレ製造機ですのね!」
リーザが嬉しそうに手を振る。
「キャルルちゃん! リーザちゃん! 会いたかったですわ!」
ルナが二人に抱きつこうとするが、キャルルはスッとトンファーを構えて制止した。
「あ、ルナ。同居の件だけど、前に言った通り『即時却下』だから。ルナが料理しようとするだけで、世界樹が過保護に火炎龍とか召喚して家が燃えちゃうでしょ?」
キャルルが無慈悲な宣告を下す。
「そ、そんなぁ……。私、どうしてもポポロ村で皆さんと一緒に暮らしたいのです……っ!」
ルナが半泣きになると、彼女の持っていた世界樹の杖が、ブルブルと不穏な魔力を放ち始めた。村の周囲の木々が、かすかにざわめき出す。
「わ、わかりました! ルナさん、とりあえず村の空き家を一つお貸ししますから! だから世界中の植物を反乱させないでください!」
私が慌てて取り成すと、ルナは一瞬にして満面の笑みに戻った。
「本当ですか!? オリヒメさん、ありがとうございます! 私、村のために一生懸命働きますわ!」
(働かないで……! 貴女が動くたびに経済が崩壊するから……!)
私は前世の胃薬の味を思い出しながら、乾いた笑いを浮かべることしかできなかった。
こうして、ポポロ村には新たな(そして最も危険な)トラブルメーカーが定住することになり、同時に、莫大な富を勘違いした悪徳商人ゴルドーの、執念深くも滑稽な乗っ取り工作が幕を開けたのである。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




