EP 10
平和な日常と、新たな厄介者
「……ジャイルズの奴、遅いな。人間の村一つを制圧するのに、どれだけ時間をかけているのだ」
ルナミス帝国の遥か北、黒い瘴気に覆われた魔王領の深部。
魔王軍幹部・将軍ヴォルザードは、漆黒の玉座の間で苛立ちを隠せずにいた。ポポロ村の『魔導コールドチェーン』を奪取し、慢性的な食糧難を解決するという彼の大計画は、精鋭である特務部隊に託されていたはずだった。
その時である。
『ドゴォォォォォォンッ!!』
玉座の間の強固な天井が、突如として隕石でも落ちてきたかのように大音響と共に吹き飛んだ。
「な、何事だ!?」
もうもうと立ち込める瓦礫の土煙の中から、ピクピクと痙攣しながら這い出してきたのは……全身の特注魔族鎧が紙屑のようにひしゃげ、ボロボロになった特務部隊隊長・ジャイルズだった。
「ジャ、ジャイルズ!? 貴様、なぜ空から降ってきた!? その無惨な姿は一体……まさか、勇者の生き残りにでも遭遇したのか!?」
ヴォルザードが驚愕して玉座から立ち上がる。
「は、ははっ……。将軍、閣下……。あ、あの村は……ダメです……」
ジャイルズは、焦点の合わない虚ろな目で、ガタガタと震えながら報告を始めた。
「ポポロ村の領主オリヒメは、恐るべき『精神洗脳』の魔女です……! 我が部下の精鋭二名は、謎の光る箱に全財産を吸い取られ、アイドルのアクリルスタンドを抱きしめて喜ぶだけの廃人にされました……!」
「な、なんだと!? 洗脳魔法の箱だと!?」
「さらに……さらに恐ろしいのは、彼女が従える銀髪の男……! 奴は剣すら抜かず……ただ私の横を『走り抜けただけの風圧』で、私の魔界闘気とこの鎧を粉々に砕き、私を空の彼方へと吹き飛ばしたのです……!」
「風圧だけで、特務部隊隊長の貴様を星にしただと!? ば、馬鹿な! そんな規格外のバケモノが、なぜ人間の小さな村などに!」
ジャイルズは、恐怖で顔を覆って泣き叫んだ。
「あそこには他にも、串焼きを百本食い尽くす神獣のウサギや……殺気だけで私を硬直させた、魔王クラスの魔力を持つ人狼までいました! さらに深夜には、感情を持たない無数の白い顔のゴーレム(全自動無人搬送車)が、不眠不休で物資を運んでおり……! あの村は、人間が作り上げた『狂気の軍事要塞』ですッ!!」
ジャイルズの悲痛すぎる(そして盛大に勘違いに満ちた)報告を聞き、将軍ヴォルザードの顔からスゥッと血の気が引いた。
(……剣も抜かずに風圧だけで幹部を粉砕する男。神獣。魔王クラスの人狼。そして無尽蔵に稼働する無人兵器群……。さらに、それらすべてを洗脳で統率する女、オリヒメ……!)
ヴォルザードは、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
「……作戦は、完全中止だ。各部隊に直ちに伝達しろ!」
「しょ、将軍?」
「今日この瞬間をもって、ポポロ村一帯を魔王軍の『S級・絶対不可侵領域』に指定する! あの村には絶対に近づくな! 物流ルートを狙うなど、魔王軍を滅ぼす自殺行為だぞ!!」
こうして。
「武力による恐怖支配」を目論んだ魔王軍のシリアスな大侵攻作戦は、フェイトというギャンブル中毒者の理不尽すぎる『運ゲーの大当たり(暴風)』と『ガチャの闇』によって、彼らの心に拭い去れないトラウマ(ギャグ)を刻み込み、完全に封印されたのである。
***
『アッハハハハハ!! 最高! 最高ですわオリヒメちゃん!』
天界の神殿では、女神カグヤがエンジェルすまーとふぉんを片手に、豪華なソファの上で大爆笑しながら転げ回っていた。
『百倍バフを引き当てておきながら、宝くじを買いに行く途中で転んで【タローマン消しゴム一万個】を誤発注! そして魔王軍はただの風圧で星になる! 視聴者の腹筋が崩壊して、かつてないほどの善行(PV)ポイントが荒稼ぎできましたわーっ!』
カグヤは涙を拭いながら、空中に浮かぶポイントメーターをポンッと叩いた。
『さあ、オリヒメちゃんには特別ボーナスポイントをドーンと振り込んでおきますわね! これからも、その"戦わないスタイル"で異世界を平和に染め上げてくださいませ!』
***
そして、翌朝のポポロ村。
爽やかな朝の風が吹き抜ける広場には、今日も活気に満ちた商人たちの声が響いていた。
「そーれ、一、二! 一、二!」
広場の中央で、キャルルが特大の荷車の上にちょこんと座り、ウサギ耳を揺らして号令をかけている。
その荷車を、白銀のミスリルアーマーをガチャガチャと鳴らしながら、汗だくになって引っ張っている男がいた。
月給三十万の自警団リーダー(現在、借金五百万+タローマン消しゴム一万個の負債を抱える男)、フェイトである。
「ぜぇ、ぜぇ……。なんでA級冒険者の俺が、朝からタローマン自動搬送機の代わりに、人力で荷車を引いてるんスか……っ」
「文句言わない! 村長室のガラス代と壁の修繕費、五百万ポポロを返し終わるまで、あんたはタダ働きなんだからね!」
キャルルが容赦なくトンファーで荷車を叩く。
「オリヒメお姉様ー! フェイトさんが『こっそり魔導スマホでガチャ引かせてくれ』って泣き言を言ってますわー!」
見回りをしていたリーザが、村長室のバルコニーに向かって報告の声を上げた。
「ダメです! スマホは借金を返し終わるまで私が没収してますからね! 真面目に働いてください!」
私はバルコニーから身を乗り出し、フェイトに向かって厳しく(しかしどこか楽しげに)声を張った。
「鬼ィィ! 悪魔ァァ! 村長の血は緑色だァァァッ!」
フェイトが涙ながらに荷車を引きながら叫ぶが、その直後、厨房からルナキンが「フェイトさーん! 休憩のまかない、特製カツカレー大盛りできてるよー!」と声をかけると、途端に「カツカレー!!」と犬のように尻尾を振って走っていった。
現金な男である。
「……ふふっ。相変わらず、騒がしい朝ですね」
私の背後から、リバロンが静かにバルコニーへと歩み出てきた。
彼は私の隣に立つと、私が持っていたティーカップをそっと受け取り、代わりに『ルナキン特製・朝のフルーツタルト』が乗った小皿を私の手に持たせた。
「あ、ありがとうございます」
「オリヒメ様。昨夜、貴女は『これからもずっと隣にいてほしい』と仰ってくださいましたね。……ですから、これからは私が貴女の食事の管理も、体調の管理も、そして休日の予定も、すべて独占させていただきますよ」
リバロンは、黄金の瞳を細めてひどく甘く笑うと、私の髪にそっと触れ、そのまま頬にチュッと自然なキスを落とした。
「ひゃっ……!? リ、リバロンさん! 外! みんな見てますから!」
私が顔を真っ赤にして慌てふためくと、彼は全く悪びれることなく「誰に見られようと構いません。貴女が私のものだと、世界中に知らしめる良い機会です」と、さらに私の腰を引き寄せようとする。
昨日の村長室での誓い以来、彼のリミッターは完全に外れてしまったらしい。今まで以上に甘く、そして重い愛情表現が息をするように飛んでくるようになり、私は朝から心臓が持たない日々を送ることになりそうだ。
「リバロンさんのバカーっ!」
私が照れ隠しに彼の胸をポカポカと叩くと、彼は嬉しそうに喉の奥で笑い声を上げた。
魔王軍の脅威は去り、村にはフェイトというポンコツだが憎めない仲間(労働力)が加わった。
ポポロ村の平和と経済は、盤石の態勢で回り始めている。
『ピロリンッ』
ふと、私が預かっていたギルドの魔導通信石が鳴った。
王都の広報嬢として出張しているエレノアからの、定期連絡だ。
『オリヒメ様! コールドチェーンの王都進出、大成功ですわ! でも……最近、隣国の【砂漠の商業国家・アルマディ】から、私たちの物流システムに目をつけた"怪しい大商人"が接触してきておりまして……!』
(……おや。今度は、他国の商人?)
私は通信石の文字を見て、少しだけ目を細めた。
魔王軍の武力を退けた私たちを待っていたのは、今度は国境を越えた『巨大な商戦』の予感。
だが、今のポポロ村には、頼もしい仲間たちと、私を絶対に護り抜いてくれる最強の執事がいる。どんな相手が来ようとも、私たちは決して揺るがない。
「さあ、今日も一日、頑張って稼ぎましょうか!」
私はバルコニーから青空に向かって、大きく伸びをした。
過労死社畜OLが異世界でスローライフ(という名の村長業務)を満喫する日々は、まだまだ賑やかに続いていくのである。
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