EP 9
給料泥棒の末路と、未来への誓い
魔王軍の特務部隊隊長ジャイルズが、フェイトの『コイントス・百倍大当り』による単なるダッシュの風圧で空の彼方(お星様)へと吹き飛ばされてから、およそ一時間が経過した。
ポポロ村の村長室は、吹き飛んだ窓ガラスと散乱した書類によって、まるで嵐が通り過ぎた後のような惨状を呈していた。
「……あーあ。真っ白になっちまったぜ」
半壊したドアを幽鬼のような足取りで潜り抜け、部屋に戻ってきたのは、諸悪の根源である自警団リーダー・フェイトだった。
彼は先ほどの神話の英雄のような覇気を完全に失い、口から半分魂を抜け出させたような『真っ白な灰(燃え尽き症候群)』の状態になっていた。
「フェイトさん! 宝くじはどうなったんですか! 魔王軍の幹部を吹き飛ばしてまで買いに行ったんですから、さぞかし凄い神引きをしてきたんでしょうね!?」
私が腕を組んでジト目で睨みつけると、フェイトは力なく首を横に振った。
「それがさァ……。ギルドの魔導通信端末の前まで、あと一歩ってところで、窓口のおばあちゃんが小銭を落としちゃって。それを拾ってあげてる間に、『百倍の幸運バフ』の制限時間が切れちゃったんスよ……」
「……はい?」
「しかも、大当りの直後には『大反動(強烈な不幸)』が来るのがコイントスの呪いでして……。俺、端末の前で派手にすっ転んで、間違えて『タローマン消しゴム(一万個)』の大量発注ボタンを押しちゃって……。宝くじどころか、とんでもない借金を背負うハメに……」
フェイトは両手で顔を覆い、「もうダメだ、俺の人生終わった……」と、その場に崩れ落ちた。
百倍の幸運を引いておきながら、お年寄りを助けるという善行を優先してしまった結果、大反動の不幸をモロに食らう。なんとも彼らしい、どうしようもないポンコツっぷりである。
「……そうですか。それはご愁傷様でしたね」
私は、一切の慈悲を含まない、前世の『経理担当の冷酷な笑顔』を浮かべた。
「でも、フェイトさん。貴方の借金はそれだけじゃありませんよ」
私は、散乱した書類の中から無事だった羊皮紙を一枚拾い上げ、スラスラと羽ペンを走らせた。
「村長室の修繕費、魔導ガラスの交換代、備品の破損、そして無断離脱のペナルティ。……しめて、五百万ポポロです。タローマン消しゴムの借金と合わせて、これからの貴方の給料から『毎月天引き』させていただきますからね」
「ご、ごひゃくまん……!?」
フェイトの目玉が飛び出んばかりに見開かれた。
「嘘でしょ村長!? 俺、月給三十万なのに! これじゃあ向こう何年も、ポポロ村で馬車馬のようにタダ働き(強制労働)じゃないスか!!」
「自業自得です! ポポロ村の自警団リーダーとして、これから死ぬ気で魔物と戦って返済してくださいね!」
「いやだァァァッ! 俺の自由なギャンブルライフがァァァッ!」
絶望のどん底で泣き叫ぶフェイト。
「……オリヒメ様。やはりこの騒音の元凶は、私が今すぐミンチにして村の畑の肥料にしてきましょうか。五百万ポポロ分の肥料にはなるでしょう」
リバロンが、こめかみに青筋を立てながら名刺刃をチャキッと鳴らす。
「ヒィィッ! 執事さんが本気で俺を土に還そうとしてるッ! 助けてウサギのお嬢ちゃーん!」
フェイトが情けない悲鳴を上げながら逃げ回ると、見かねたキャルルがトンファーで彼を小突いた。
「もう、うるさいなぁフェイトは。ほら、落ち込んでないで食堂行くよ! ルナキンが『特製・大盛りスタミナステーキ』焼いてくれるって言ってたから!」
「そうですわフェイトさん! しっかり食べて、明日から私のライブの警備(タダ働き)を頑張ってくださいませ!」
リーザも芋ジャージの袖を捲りながら、フェイトの背中をバンバンと叩く。
「ステーキ……! ぐすっ、食う……俺、腹いっぱい食って現実逃避するッス……」
フェイトは涙と鼻水を拭いながら、キャルルとリーザに両腕を引っ張られ、ズルズルと食堂の方へと連行されていった。
嵐のような三人が去り、村長室にはようやく、静寂が戻ってきた。
「……はぁ。本当に、騒がしい人たちですね」
私は、窓ガラスのない窓枠から吹き込む夕暮れの風を感じながら、小さく息を吐いた。
「ええ。ですが、彼らがいるおかげで、この村はいつでも活気に満ちている。……貴女の周りには、不思議とそういった賑やかな光が集まってくるのですね」
背後から、静かな声が降ってきた。
振り返ると、リバロンが指をパチンと鳴らしたところだった。
すると、彼の影から青白い魔力が這い出し、散乱していた書類や倒れた椅子を、まるで時間が巻き戻るかのように次々と元の位置へと戻していく。粉々になった窓ガラスの代わりには、美しい氷の結晶でできた『一時的な防風結界』が張り巡らされた。
「すごい……一瞬で片付いちゃった。ありがとうございます、リバロンさん」
「これくらい、造作もないことです。それよりも、オリヒメ様」
リバロンは、魔法で温め直したハーブティーのカップをデスクに置くと、真っ直ぐに私の方へと歩み寄ってきた。
夕日の黄金色の光が、彼の端正な横顔と、人狼特有の長い銀髪を美しく照らし出している。
「先ほどの騒動の最中……ジャイルズの暴風が吹き荒れる中で、私は貴女に『誓い』を立てました」
彼は私の目の前で立ち止まり、その黄金の瞳で、私の視線を逃さぬようにじっと見つめた。
「どんな嵐からも、私が生涯をかけて貴女を護り抜くと。……あの言葉に、嘘偽りはありません。ですが、あの時はあまりにも状況が騒がしく、風情が足りませんでした」
リバロンは、優雅な動作で片膝をついた。
それは、執事が主人に対する礼というよりも、一人の騎士が、たった一人の愛する女性に生涯の忠誠を誓うような、ひどく美しく、厳かな動作だった。
「リ、リバロンさん……」
私の心臓が、トクトクと早鐘のように鳴り始める。
彼は私の右手を取り、その長い指で私の指先を優しく包み込んだ。
「私はかつて、血と殺戮にまみれた魔界の闇の中を、ただ虚無感だけを抱えて生きてきました。……ですが、貴女と出会い、この温かい村で過ごすうちに、私の世界は完全に塗り替えられたのです」
彼の手のひらの熱が、私の手を通じて、全身へと広がっていく。
「貴女が笑えば、世界が色づく。貴女が悲しめば、世界が色褪せる。……オリヒメ様。私はもう、ただの『便利な執事』や『護衛』として、貴女の背後に控えているだけでは満足できなくなってしまいました」
リバロンは、私の手の甲に、誓いの口づけを落とした。
ひどく甘く、熱情を帯びた、柔らかな感触。
「……私を、貴女の隣に立たせてください。主従としてではなく、一人の男として。貴女が築き上げるこのポポロ村の未来を……貴女の人生のすべてを、私と共に歩んでほしいのです」
それは、ただの好意の伝達(告白)を超えた、未来への明確な『誓い(プロポーズ)』だった。
彼が私に向ける、底なしの独占欲と、それを上回るほどの深く純粋な愛情が、その一言にすべて込められていた。
前世の私なら、こんな完璧な男性から愛を向けられるなんて、絶対にあり得ないことだと逃げ出してしまっていただろう。
誰かに甘えることも、頼ることも許されず、一人で仕事を抱え込んで過労死した私。
でも、今の私は違う。
「……リバロンさん」
私は、顔を真っ赤に染めながらも、決して目を逸らさずに彼を見つめ返した。
「私、村長として皆を引っ張っていかなきゃって、いつも気を張ってばかりで。……でも、リバロンさんが隣にいてくれると、不思議と安心できるんです。貴方がいれば、どんな理不尽な魔王軍が来ても、フェイトさんがどれだけポンコツでも、絶対に大丈夫だって思えるから」
私は、彼に握られていない方の手をそっと伸ばし、彼の冷たい頬に触れた。
「執事じゃなくて、一人の男の人として。……私の方こそ、これからもずっと、私の隣にいてほしいです」
私の答えを聞いた瞬間。
リバロンの黄金の瞳が、驚きと、そして堪えきれないほどの歓喜に大きく見開かれた。
「……オリヒメ様。貴女という方は、本当に……私を狂わせる」
彼は立ち上がると、そのまま私の腰を引き寄せ、壊れ物を扱うような優しさと、決して逃がさないという力強さで、私を深く抱きしめた。
「もう、後戻りはできませんよ。貴女がその言葉を口にした以上、私は神が相手であろうと、貴女を誰にも渡しはしない」
耳元で囁かれる、極甘で重い独占欲の言葉。
夕暮れの静かな村長室で、私たちはしばらくの間、互いの体温と心音を確かめ合うように、静かに抱きしめ合っていた。
それは、ポポロ村のドタバタな日常の中で見つけた、私と彼だけの、確かな未来の始まりの合図だった。
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