EP 8
0.01%の奇跡と、理不尽な暴風(ざまぁ決着)
チンッ……。
静寂に包まれた村長室の床で、フェイトのポケットからこぼれ落ちた一枚の銀貨が、奇妙なほど澄んだ音を立てて静止した。
出た目は、表でも裏でもない。銀貨は床の石畳の僅かな溝にハマったのか、それとも文字通り『神の悪戯』か、縁を下にして、真っ直ぐに直立していたのである。
ユニークスキル『コイントス』。
その極悪な確率(〇・〇一%)を引き当てた瞬間、部屋の空気が、いや、世界そのものの物理法則がバグったかのような現象が起きた。
「な……ッ!? なんだ、この異常な光は……!」
魔王軍特務部隊隊長のジャイルズが、振りかぶっていた戦斧を下ろし、思わず腕で顔を覆った。
フェイトの身体を中心に、目を開けていられないほどの神々しい黄金の光の柱が立ち上ったのだ。
それは、リバロンの放つ青白い殺気や、ジャイルズの赤黒い魔界闘気すらも完全に塗り潰してしまう、規格外の『力』の奔流。
基礎能力、運気、そして闘気。フェイトの持つすべてのステータスが、この瞬間、完全に【百倍】へと跳ね上がったのである。
「……あ。立っちゃったわ」
光の中心で、先ほどまで「お腹痛いから休む」と地面に丸まっていたフェイトが、ぽつりと呟いた。
「フェ、フェイトさん……?」
私が驚きのあまり声を漏らすと、フェイトはゆっくりと、本当にゆっくりと立ち上がった。
その顔には、先ほどまでの絶望や気怠さは微塵もない。瞳孔はカッと見開き、口元は三日月のように吊り上がり、全身からは神話の英雄すら凌駕するほどの圧倒的な覇気が溢れ出している。
「フ、フフフ……ハハハハハッ!!」
フェイトが高らかに笑い声を上げた。
(すごい……! ついにフェイトさんが、月給三十万の自警団リーダーとしての本気を……!)
私が期待に胸を膨らませた、まさにその時だった。
「やっべえ! コインが縁で立った! 俺の運気、今なら百倍だ!!」
フェイトは、背中に背負ったミスリルソードを抜く……ことは一切なく、ただ血走った目で村長室のドア(ジャイルズが塞いでいる方向)をガン見した。
「今なら絶対に、魔導宝くじの特等(一億ポポロ)が当たる! ガチャだって神引きできる! 急げ、この百倍バフが切れる前に、ギルドの魔導通信端末に駆け込まねえとッ!!」
「……は?」
私とリバロン、そしてジャイルズの声が、完全にハモった。
フェイトの頭の中には、村の防衛も、魔王軍の幹部も、自警団としての職務も一切存在していなかった。
あるのはただ一つ、「今宝くじを買えば絶対に当たる」という、重度のギャンブル中毒者としての救いようのない思考回路のみ。
「どけェェェッ! 俺の億万長者への道を阻む奴は、神様だろうが撥ね飛ばすぞォォォッ!!」
ドンッ!!
フェイトが、ただ『ギルドへ向かって走り出した』。
それだけだった。本当に、ただ一歩、床を強く蹴って前へダッシュしただけなのだ。
だが、基礎ステータスが百倍に跳ね上がっている人間の『全力ダッシュ』は、もはや一つの自然災害だった。
「な……ッ!?」
ジャイルズの視界から、フェイトの姿が完全に消滅した。
直後。
ドゴォォォォォォォォンッ!!
フェイトが音速を遥かに超える速度で踏み込んだことによって生じた『ただの風圧(衝撃波)』が、狭い村長室の中で大爆発を起こした。
「ギ、ギャァァァァァァッ!?」
ジャイルズは、フェイトに指一本触れられていないにも関わらず、その凄まじい暴風の直撃を受け、全身の赤黒い魔界闘気を一瞬で吹き飛ばされた。
そればかりではない。彼が身に纏っていた魔王軍の特注の重鎧が、風圧だけで飴細工のようにメチャクチャにひしゃげ、パリィィン!と音を立てて粉々に砕け散ったのだ。
「ぐわぁぁぁぁっ! ば、馬鹿な……! 剣すら抜かず、ただすれ違った時の『風圧』だけで、俺の魔界闘気と鎧を粉砕しただとぉぉぉッ!?」
ジャイルズは空中で錐揉み回転しながら、目と鼻から血を吹き出して絶叫した。
「リバロンさん!」
「ええ、オリヒメ様はお護りします」
凄まじい暴風が村長室を荒れ狂う中、リバロンが瞬時に私の前に立ち、強固な闘気の結界を張って衝撃を完全に相殺してくれた。
キャルルとリーザも、結界の後ろに慌てて転がり込んでくる。
「アッハハハハ! 待ってろよ特等! 俺は億万長者になる男だァァァッ!」
歓喜の雄叫びを上げながら、光の尾を引いてギルドの方角へと消えていくフェイト。
そして、その圧倒的すぎる理不尽な力の余波をまともに受けた魔王軍特務隊長ジャイルズは、砕け散った窓枠から、村の外……いや、空の彼方へと猛スピードで吹き飛ばされていった。
「おのれ、おのれ人間どもォォッ! やはりあの銀髪の男は、オリヒメの洗脳魔法によって『恐怖』の感情を消され、限界を超えた力を引き出された究極の兵器だったのだ! 恐るべし、ポポロ村の魔女ォォォォ……ッ!!」
ジャイルズの悲痛な誤解(勘違い)の叫びは、ドップラー効果のように遠ざかり。
キラーン……☆
彼は、昼間の空の彼方に、一つの一瞬の星となって完全に消え去ったのだった。
ポポロ村の富とシステムを武力で蹂躙し、恐怖で支配しようと目論んだ魔王軍のエリート。
彼らがこの村で味わったのは、ブラック企業並みの不眠不休の物流網へのドン引きと、カプセルトイ(ガチャ)による部下のオタク化。
そして最後は、ギャンブル中毒の自警団リーダーによる「宝くじを買いに行くついでに発生したただの風圧」による、完全なるギャグ落ち(星になる)という、およそ魔族としての誇りを粉々に砕かれる、最も屈辱的で理不尽な『ざまぁ(自滅)』であった。
***
「……」
「……」
「……行っちゃったね、魔王軍の人。お星様になったよ」
「すごい風圧でしたわね……。私、ジャージが捲れ上がらないように必死でしたわ」
しん、と静まり返った村長室。
結界を解いたリバロンの後ろで、キャルルとリーザがポカンと空を見上げている。
私は、天井にヒビが入り、書類が紙吹雪のように散乱し、窓ガラスが跡形もなく吹き飛んだ惨状を見渡し……静かに、こめかみに青筋を立てた。
「あの、給料泥棒……ッ!!」
私はワナワナと震えながら、拳を握りしめた。
「魔王軍の幹部を倒してくれた(?)のは百歩譲って評価しますけど! この部屋の修理代、いくらかかると思ってるんですか! 絶対に給料から全額天引きしてやりますからね!!」
私の怒りの絶叫が、吹き抜けになった村長室から、ポポロ村の青空へと響き渡る。
「……はぁ。本当に、世話の焼ける男ですね」
リバロンが、呆れたようにため息をつきながら、純白の名刺刃をカチャリと懐にしまった。
彼からしてみれば、自分が愛するオリヒメ様に良いところを見せる(敵を瞬殺する)最大のチャンスを、あのギャンブル中毒者の風圧に丸ごと持っていかれてしまったのだ。不本意極まりないだろう。
「ごめんなさい、リバロンさん。結局、自警団の初仕事がこんな大惨事になっちゃって……」
私が落ち込んで肩を落とすと。
リバロンは、ふわりと優しく微笑み、散乱した書類を踏み越えて私の元へ歩み寄ってきた。
そして、私の肩にそっと触れ、そのまま私を、彼の広く温かい胸の中へと引き寄せた。
「リ、リバロンさん?」
「謝る必要などどこにもありません。……むしろ、私は安堵しているのですよ」
彼の上質な燕尾服から、微かに香る夜の森の匂い。
彼の力強い腕が私の背中に回され、私の頭が彼の胸元にすっぽりと収まる。
「え……安堵、ですか?」
「ええ。あの男がどれほどの理不尽な力を持っていようとも、所詮は己の欲望に振り回されるだけの愚か者。……貴女の隣という特等席に相応しいのは、やはり、貴女のすべてを最優先し、貴女のためだけにこの命を捧げる私しかいないのだと、改めて証明されたのですから」
彼は喉の奥で低く笑い、私の髪にそっと唇を落とした。
「まったく……貴女の周りは、いつも騒がしい馬鹿ばかりだ。だからこそ、目が離せない。……オリヒメ様。私が、生涯をかけて、どんな嵐からも貴女の未来を護り抜くと、ここで改めて誓いましょう」
彼の黄金の瞳が、真っ直ぐに私を見つめる。
それは、ただの執事としての忠誠でも、過保護な護衛としての言葉でもない。一人の男性としての、明確で、そして重い『愛の誓い』だった。
「……っ」
私は顔を一気に林檎のように赤く染め、彼の胸の中で小さく頷くことしかできなかった。
シリアスな魔王軍の脅威が完全にギャグで粉砕された後。
荒れ果てた村長室の中心で、私とリバロンの距離は、また一つ、確かな熱を帯びて深く交わったのである。
読んでいただきありがとうございます。
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