EP 6
怒りの魔族と、出勤拒否
優秀な部下であったゾルグとガルムが、謎の『光る箱』の前に全財産と戦意を吸い取られ、ただの純朴なオタクと化してしまった翌日の昼下がり。
魔王軍特務部隊の隊長ジャイルズは、村の外れの森でギリッと牙を噛み締めていた。
もはや、彼に隠密行動を続ける理由はなかった。部下を無力化され、変装用の軍資金すら失った今、残された道はただ一つ。
「……小賢しい罠を張り巡らせおって。ならば、俺が直接あの小娘の首を刎ね、力ずくでこの村のすべてを奪い取ってやる!」
ジャイルズの全身から、赤黒い魔界闘気が爆発的に立ち上る。
彼は、魔王軍の中でもトップクラスの純粋な戦闘力を持つエリート戦士だ。策など弄さずとも、その圧倒的な武力と暴力だけで、人間の小さな村一つなど容易く灰燼に帰すことができる。
「待っていろ、恐るべき洗脳の魔女オリヒメ……。貴様の支配も、今日で終わりだ!」
ジャイルズは大地を蹴り、白昼堂々、ポポロ村の中枢である『村長室』へと向かって一直線に跳躍した。
***
その頃。
ポポロ村の村長室では、私がデスクに山積みになった書類(コールドチェーンの追加発注書)と格闘していた。
「……オリヒメ様。あまり根を詰めすぎないでください。貴女の美しい眉間にシワが寄ってしまいますよ」
完璧な燕尾服を着こなしたリバロンが、最高級の陽薬茶をデスクに置きながら、甘く囁きかけてくる。
「ありがとうございます、リバロンさん。でも、今日中に王都への出荷リストを承認しないと、明日の便に間に合わなくて……」
私が羽ペンを走らせていると、リバロンが私の背後に回り、その大きな手で私の肩を優しく揉みほぐし始めた。
「んっ……」
「凝っていますね。やはり、実務の八割は私が引き受けましょう。貴女はこの心地よいお茶の香りに包まれながら、ただ私の愛を享受してくださればいいのですから」
耳元で囁かれる極甘な言葉と、プロの指圧のような絶妙なマッサージに、私は危うく書類仕事を投げ出して骨抜きにされそうになった。
その、まさに直後だった。
『ガシャァァァァァァンッ!!』
凄まじい轟音と共に、村長室の堅牢なガラス窓が粉々に砕け散った。
「きゃっ!?」
「……ッ!!」
リバロンが瞬時に私の前に立ち塞がり、砕け散ったガラスの破片を、目に見えない闘気の壁で完全に弾き落とす。
「ふはははははッ!!」
土煙とガラス片が舞う中、窓枠を蹴破って侵入してきたのは、漆黒の軍服に身を包み、頭に鋭い角を生やした大男だった。
その全身からは、周囲の空気がビリビリと軋むほどの、凶悪な赤黒い魔力が放たれている。
「貴様がオリヒメだな! 策に溺れた愚かな魔女め! 俺は魔王軍特務部隊隊長、ジャイルズ! 貴様のそのふざけた洗脳魔法も、俺の絶対的な武力の前には無力だと教えてやる!」
ジャイルズが、背中に背負った巨大な戦斧を引き抜き、私に向かって高らかに死の宣告を突きつけた。
(……魔王軍!? ギルドの警告にあった特務部隊が、もう村に!?)
私は突然のシリアスな展開に目を見開いた。
だが、私以上に反応が早かったのは、私の盾となって立っていたリバロンだった。
「……万死」
リバロンの声は、地獄の底から響いてくるような、絶対零度の怒りを孕んでいた。
彼の黄金の瞳が爬虫類のように細められ、青白い人狼の殺気が、ジャイルズの赤黒い魔界闘気を瞬時に呑み込んでいく。
「我が愛しき主(オリヒメ様)の執務室を汚し、あまつさえその尊き御身に刃を向けるなど。……貴様のような下等なゴミ屑は、細胞の一片すらこの世に残さず消滅させてやろう」
チャキッ、と。
リバロンの懐から、純白の『名刺刃』が引き抜かれる。
そのあまりにも桁違いな殺気とプレッシャーに、ジャイルズは「な、なんだこの尋常ではない気迫は……!?」と戦斧を構えたまま一瞬たじろいだ。
リバロンなら、本当に一秒で彼をミンチにしてしまうだろう。
だが。
「――ストォォォップ!! リバロンさん、待って!!」
私は慌ててリバロンの背中(燕尾服の裾)をガシッと掴んで引き止めた。
「オリヒメ様? なぜお止めになるのです。五秒、いや三秒で片付けますので、少しだけ目をお瞑りください」
「ダメです! リバロンさんは事務統括でしょう!? ここで貴方に戦わせたら、私が何のために『月給三十万』もの経費を払って新しい人材を雇ったのか、分からなくなっちゃうじゃないですか!」
私は前世の総務部としての『コスト意識』を爆発させた。
三十万も払っているのだ。これぞまさに、彼が働くべきタイミングである!
私はリバロンを押し退け、村長室の奥にある、もう一つの扉――バルコニーへと続くガラス戸をガラッと開け放った。
「フェイトさん!! サボってないで仕事してください!!」
バルコニーでは。
白銀のミスリルアーマーを着込んだ銀髪の男・フェイトが、手すりに寄りかかりながら、村の特産品である『ポポロ・シガレット』をプカプカと吹かしてサボっていた。
「……あ? いやー、村長。俺、今『法定休憩時間の十五分』をきっちり取ってるところでさァ」
「貴方、今朝の出勤直後からずっと休憩してるじゃないですか! 給料泥棒!!」
私はフェイトのミスリルの襟首をガシッと掴み、強引に村長室の中へと引きずり込んだ。
「うおっ!? ちょ、タバコ落ちる!」
「タバコより自分の仕事を気にしなさい! ほら、お客様(魔王軍)ですよ! 自警団リーダーとして、きっちり対応(討伐)してください!」
私がジャイルズを指差すと、フェイトは「えー、マジで……? めんどくさ……」とボヤきながら、しぶしぶとジャイルズの方へ向き直った。
「な……貴様は……!?」
一方のジャイルズは、引きずり出されてきたフェイトの顔を見て、驚愕に目を見開いた。
「昨日、広場でアイドルの歌に狂喜し、小銭を投げていた男……! やはり貴様も、この魔女の精神洗脳魔法にかけられ、己の意思を奪われた操り人形に成り果てていたというのか!」
ジャイルズの激しい勘違い発言に、フェイトはタレ目を瞬かせた。
「は? 洗脳? いや、俺は普通に『正規雇用(月給三十万)』で雇われてるだけなんスけど」
「哀れな……! 自分が洗脳されていることすら気づいていないとは! かつてはA級以上の実力を持っていたであろう貴様が、このような小娘の下働きに甘んじているなど、戦士として恥ずかしくないのか!」
ジャイルズが熱く語りかける。
「いや、三十万もらえるなら別に恥ずかしくないっていうか。ていうかあんた誰? 魔王軍?」
フェイトは面倒くさそうに首を掻いた。
「俺は魔王軍特務部隊隊長、ジャイルズ! 貴様のその腐り切った洗脳ごと、俺の戦斧で叩き割って目を覚まさせてやる!」
ジャイルズが咆哮と共に、床を蹴ってフェイトへと突進した。
凄まじい風圧が村長室の書類を吹き飛ばす。
「フェイトさん! お願いします!」
私が声を上げると、フェイトはついに、背中の『ミスリルソード』の柄に手をかけた。
「ああ、もう。しょうがねえなァ」
チャキッ、と。フェイトの雰囲気が、再び『歴戦の強者』のそれへと一変する。
(よし! 昨日オーガを一刀両断したあの力なら、いける!)
私が期待の眼差しを向けた、その瞬間。
「よっと」
フェイトは剣を引き抜かず、空いている方の左手で、懐から『一枚の銀貨』を取り出した。
「い、いや村長! ここでコイントスで決めたら、俺は伝説のヒーローだ! 俺の運命、決めてやるぜええっ!!」
親指で、ピンッ!と銀貨が天井高く弾き飛ばされた。
「ちょっと! なんで今それやるんですか!? 普通に戦ええええッ!!」
私の悲痛な絶叫が響き渡る中、銀貨はキラキラと光を反射しながら宙を舞い、そして無情にも床へと落ちた。
チャリン。
出た目は――【裏】。
「……あ」
フェイトの顔から、スッと生気が抜け落ちた。
「う〜ん……なんか急に、お腹痛くなってきたわ……。ごめん村長、俺、今日早退する……」
ドサッ。
月給三十万の自警団リーダーは、魔王軍の幹部が振りかぶった戦斧の目の前で、完全に無防備な状態のまま、胎児のように丸まって床に寝転がってしまったのである。
「な……ッ!?」
ジャイルズは、突如として戦意を喪失し、地面に寝転がったフェイトを見て、完全に動きを止めた。
「き、貴様……俺の渾身の一撃の前に、武器すら抜かずに寝転がるだと!? どこまで俺を愚弄すれば気が済むのだァァァッ!!」
ジャイルズの怒りのボルテージが限界を突破し、村長室の天井が吹き飛ぶほどの凄まじい魔力が膨れ上がった。
シリアスな魔王軍の脅威を前に、私たちの防衛線(物理)は、またしても理不尽な『運ゲー』によって完全に放棄されてしまったのだった。
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