EP 9
ずっ友ロコシの暴露と、毒気抜き
エリート騎士であるはずの婚約者ダリウスが、『ずっ友ロコシ』の魔力によって自らの借金と浮気を大自白し、リバロンの放つ殺気に恐れをなしてサロンから逃げ去った。
そのあまりにも滑稽で無惨な修羅場の後。王都の高級サロン『ローズ・ガーデン』の個室には、ただ重く、痛々しい沈黙だけが降り積もっていた。
「ああ……あああ……っ」
部屋の中央、豪華なペルシャ絨毯の上にへたり込んだ侯爵令嬢エレノアは、両手で顔を覆い、嗚咽を漏らしていた。
彼女が必死に守り続けてきた「社交界の華」「豊かな侯爵家の令嬢」「エリート騎士に愛される女」という数々の鎧は、たった数分で粉々に砕け散った。
借金まみれの実家事情も、金貨十枚の美容液やオートクチュールのドレスがただの見栄であったことも、すべて白日の下に晒されてしまったのだ。
「エレノア様……」
取り巻きの令嬢たちは、あまりのことに声をかけることもできず、ただ遠巻きにオロオロと見守るしかなかった。
(……前世でも、こんな光景を見た気がするわ)
私は、泣き崩れる彼女の背中を見つめながら、静かに過去の記憶を呼び起こしていた。
社畜OL時代、別の部署にいた一人の女性。いつも全身をハイブランドで固め、給湯室ではハイスペックな彼氏とのデート自慢を欠かさなかった彼女。だが、実は複数のカードローンを抱え、最後には彼氏にも見捨てられ、会社のトイレで一人泣き崩れていたのを偶然見かけたことがあった。
他人と自分を比べ、勝った負けたと一喜一憂するマウンティングという不毛なゲーム。
そのゲームに一度手を出せば、常に誰かを見下し、そして誰かに見下されないために、無理な嘘や見栄で自分を武装し続けなければならなくなる。
その果てに待っているのは、ただ息の詰まるような孤独と、自分の本当の価値すら分からなくなる虚無感だけだ。
「エレノア様」
私は、足元に置いていたバスケットから『あるもの』を取り出し、ゆっくりと彼女の元へ歩み寄った。
「……来ないで。私を、笑いに来たんでしょう?」
エレノアは、化粧が崩れた顔を涙で濡らしながら、私を睨みつけた。
「田舎者って見下していた女が、実は一番の惨めなピエロだった……そう言って、私を蔑めばいいわ! どうせ、明日には王都中にこの話が広まって、私は社交界の笑い者になるんだから……っ!」
自暴自棄になった叫び。
だが、私は彼女の言葉を否定せず、ただ彼女の目の前にそっと膝をつき、真っ白なハンカチを差し出した。
「私は、貴女を笑ったりしません」
「え……?」
「家を、そしてご自身のプライドを守るために、誰にも弱音を吐けず、たった一人で王都の社交界で戦い続けてきたのでしょう? ……本当に、お疲れ様でした」
私の言葉に、エレノアはハッとして目を見開いた。
「な、なぜ……あなたに、私の何が……」
「わかりますよ。貴女のドレス、少し肩のラインが張っていましたから。きっと、夜も眠れずに緊張されていたんでしょうね」
私は、前世の営業スマイルではない、心からの労いの笑みを浮かべた。
そして、手元のバスケットから、保温魔法が施された小さな水筒を取り出し、用意していたカップにトクトクと注いだ。
「こちらは、ポポロ村で最近流行っている『タローマン製・心ぽかぽかホットココア』です。上に浮かべた白いのは、マシュマロという甘いお菓子ですよ」
温かな湯気と共に、カカオの甘くホッとする香りが、冷え切っていたサロンの空気を柔らかく包み込んだ。
私はそのカップを、両手でそっとエレノアに差し出した。
「マウントを取って、誰かの上に立たなければ自分の価値が証明できない……そんな息苦しいゲームは、もう終わりにしましょう。温かいものを飲んで、少しだけ、肩の力を抜いてください」
エレノアは、震える手でそのカップを受け取った。
信じられないものを見るような目で、私を見つめている。
「どうして……どうして、あなたは私を蹴落とさないの? 私はあなたをバカにして、あんなにひどいことを言ったのに……」
「だって、張り合うだけ無駄ですから」
私はクスッと笑った。
「それに、せっかく美味しいお茶とお菓子があるのに、誰かを蹴落として泣かせるようなことをしたら、後味が悪くなってしまうでしょう? 私は、みんなで美味しいものを『美味しいね』って笑い合いながら食べるのが、一番好きなんです」
エレノアは、私の言葉を聞いて、カップの中のココアを見つめた。
ふわりと溶けかけたマシュマロが、甘く優しい香りを立てている。
彼女は、おそるおそるそのココアを口に含んだ。
「……あ……」
一口飲んだ瞬間、エレノアの目から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。
「甘い……。すごく、温かくて……」
「ええ。疲れた頭には、甘いものが一番ですから」
「私……本当は、ずっと怖かったの……っ」
エレノアは、もう虚勢を張るのをやめ、子供のように声を上げて泣き始めた。
「お父様の投資が失敗して、借金取りが屋敷に来るようになって……。でも、ここで私が『貧乏な令嬢』だとバレたら、王都の誰も私を助けてくれない。だから、無理をしてでも華やかなドレスを着て、ダリウス様との嘘の婚約を言いふらして……! 誰かを見下していないと、自分が壊れてしまいそうだったの……っ!」
ぽろぽろと零れ落ちる本音。
それは『ずっ友ロコシ』の強制的な暴露ではなく、彼女自身の心が氷解し、自らの意思で吐き出した、本当の弱さだった。
「わかってます。だからもう、無理しなくていいんですよ。……虚勢を張らなくてもいい場所は、ちゃんとありますから」
私は、彼女の背中を優しく撫でた。
その光景を、取り巻きだった令嬢たちが、息を呑んで見つめていた。
彼女たちも気づいたのだ。
豪華なドレスや、高級な美容液、あるいはエリート騎士の婚約者。そういった『外側の飾り』でマウントを取り合うことが、いかに空虚で脆いものであるかを。
そして、自分を嘲笑し見下した相手がすべてを失って泣き崩れた時、決して蹴落とさず、温かいココアを差し出してその背中を撫でることができる……そのオリヒメの在り方こそが、令嬢としての本当の『気高さ』であり、『本物の格』なのだということに。
「……オリヒメ様。私、あなたにひどい態度を取ってしまったこと、本当に恥ずかしく思います」
一人の令嬢が、ポロポロと涙を流しながら私の前で頭を下げた。
「私もです! シートマスクやマカロンをいただいておきながら……。オリヒメ様のその優しさと器の大きさ、私たち、足元にも及びませんわ!」
次々と、王都の令嬢たちが私に謝罪と敬意を示し始めた。
それは、私が『自然体』を貫き、決してマウントという土俵に上がらなかったからこそ得られた、本物の「人柄の勝利」だった。
「ふふっ。お姉様は、やっぱりすごいですわ」
サロンの端で、リーザが芋ジャージの袖で目元を拭いながら微笑んでいる。
「うん。オリヒメのこういうところが、私、一番大好きなんだよね」
キャルルも、ウサギ耳をヒクヒクさせながら嬉しそうに頷いた。
そして。
「……ええ。貴女という方は、本当に……」
私の背後で、リバロンが深い感嘆の息を漏らした。
彼は、私の頭の上にそっと大きな手を乗せ、ひどく優しく、愛おしげに撫でた。
「愚かな泥棒猫(マウンティング相手)が自らの罠にかかって自滅したというのに、トドメを刺すどころか、手を差し伸べて救済してしまう。……貴女のその慈悲深さは、私のような薄汚れた獣の心すらも、眩しく照らし出してしまうのですね」
「リバロンさん……。大げさですよ」
私が照れて微笑むと、彼は「いいえ、事実です」と黄金の瞳を細めた。
「貴女が誰に対しても平等に愛を与えるからこそ、私はこうして、貴女の隣という特等席を誰にも譲るまいと、独占欲を燃やすことができるのですから」
彼の極甘な言葉に、令嬢たちが「きゃっ」と顔を赤らめる。
先ほどまでのギスギスしたマウントの空気は完全に消え去り、サロンには、温かいココアの香りと、穏やかな笑顔だけが満ちていた。
「オリヒメ、さん……」
エレノアが、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、私を真っ直ぐに見つめた。
「私……私、どうすればいいの? 実家にはもうお金もないし、婚約者もいなくなった。王都にはもう、私の居場所なんて……」
すべてを失い、途方に暮れる彼女に、私はニッコリと微笑みかけた。
「それなら、一つ提案があるんですけど」
私は前世のOL時代に鍛えた、人材スカウト(営業)の顔に切り替わった。
「ポポロ村の『コールドチェーン』は、今、王都や他国への販路を急速に拡大しています。でも、王都の貴族たちのマナーや流行に詳しくて、広報活動ができる人材が足りなくて困っているんです」
「え……?」
「エレノア様。もしよろしければ、王都のしがらみを捨てて、ポポロ村で働いてみませんか? 給与は完全出来高制ですが、食事はルナキンの三ツ星料理が三食付きますし、美容シートマスクも支給しますよ」
私の提案に、エレノアは信じられないというように目を見開いた。
そして、その瞳から再び大粒の涙を溢れさせると、今度は悲しみではなく、希望と感謝の涙を流しながら、深く、深く頭を下げた。
「……はいっ! 私、どんな仕事でもやります! あなたのもとで、一からやり直させてくださいませ……!」
不毛な女子会マウント合戦は、こうして誰も傷つくことのない(ダリウスは除く)、最高のハッピーエンドで幕を閉じた。
私がマウントを取らなかったことで、王都の令嬢たちからの絶大な支持と、ポポロ村の有能な広報アシスタントという、予想外の「宝物」を手に入れたのである。
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