EP 8
狼の極甘エスコートと、自滅の修羅場
「もうお前みたいな没落寸前の侯爵家の娘に用はねえんだよ。今日、正式に婚約破棄を申し入れに来てやったぜ。……お前みたいなプライドだけの女、最初から家の金目当てじゃなきゃ相手にするわけねえだろうが!」
サロンに乱入してきたエリート騎士ダリウスの非情な宣告が、部屋の中に冷たく響き渡った。
彼の腕の中には、けばけばしい化粧と露出の多いドレスを着た浮気相手が、勝ち誇ったような顔でしなだれかかっている。
「嘘……嘘よ、ダリウス様……っ。あんなに、私を愛しているって、毎日薔薇を贈ってくださったじゃないですか……!」
エレノアは、信じられないというように首を横に振った。
彼女が必死に守り続けてきた「愛され令嬢」という最後の砦が、最も無惨な形で崩れ去ろうとしているのだ。
「あー? 薔薇? あんなもん、部下に適当に買わせて送らせてただけだっつの。だいたい、お前みたいに見栄っ張りで中身のない女、一緒にいて息が詰まるんだよ」
ダリウスは嘲笑いながら、サロンのテーブルへと歩み寄ってきた。
「おっ、なんだこれ。すげえ美味そうな匂いがするじゃねえか。……お前ら、実家の借金で首が回らねえってのに、こんな高級サロンでいいもん食ってんだな」
ダリウスの視線が止まったのは、私の隣でキャルルが抱えていた小さなタッパーだった。
「あ、それ私の! ルナキン特製の『ずっ友ロコシの焦がしバター醤油焼き』!」
甘いマカロンばかり食べていたキャルルが、口直しのしょっぱいおやつとして、ポポロ村から持参していたものだ。
「うるせえ、騎士団副団長が味見してやるって言ってんだよ!」
ダリウスはキャルルから強引にタッパーを奪い取ると、中に入っていた黄金色のトウモロコシの粒を、素手でガバッと掴んで口の中に放り込んだ。
(……あっ)
私は、思わず小さく息を呑んだ。
キャルルが持参していたその食材は、前章で偽善勇者ゼロスを借金地獄へと叩き落とした、アナステシア世界最凶の危険食材。
食べると警戒心がゼロになり、親友に向かって愚痴をこぼすようにあらゆる『秘密』を大自白してしまう魔法の食べ物――『ずっ友ロコシ』である。
「もぐもぐ……ん? なんだこれ、やけに後を引く美味さだな。……ていうかさァ!」
ゴクン、と飲み込んだ瞬間。
ダリウスの顔つきが、先ほどまでの傲慢なものから、居酒屋でクダを巻く酔っ払いのようにフランクなものへと劇的に変化した。
「実は俺さァ! 騎士団の副団長ってのも、親父が裏金積んで買ってくれただけの肩書きなんだよね! しかも最近、俺がカジノで作った莫大な借金が親父にバレて、ついに勘当されちゃってさァ! アッハハハ!」
「……は?」
エレノアが、ポカンと口を開けた。
取り巻きの令嬢たちも「借金……?」「勘当……?」と顔を見合わせている。
「いやー、マジでヤバいんだよね! だからエレノアの実家の金(侯爵家の財産)をアテにしてたんだけど、あそこの家も完全に火の車だって裏ギルドのゴメスから聞いちゃってさ! 借金まみれ同士で結婚しても地獄じゃん? だから慌てて逃げてきたってわけ!」
満面の笑みで、自分のクズすぎる本性をペラペラと自白し始めるダリウス。
「だ、ダリウス様!? あなた、何を仰って……!」
浮気相手の女が、信じられないというようにダリウスの腕を引いた。
「ん? ああ、お前もさァ! 『愛してる、お前だけだ』とか言ったけど、あれ全部嘘だから! お前が夜の店で貯め込んだ金、俺の借金返済のために全部巻き上げてやろうと思ってただけなんだよねー! ギャハハハ!」
「……ッ!! 最低のクズ野郎!!」
パァァァンッ!!
浮気相手の渾身の平手打ちが、ダリウスの頬にクリーンヒットした。女は「私の貯金狙いだったなんて!」と泣き叫びながら、サロンを飛び出していってしまった。
「あーあ、行っちゃった。……おっ、そっちのネエチャン、すげえ美人じゃん。俺の新しいパトロンにならねえ?」
頬を赤く腫らしたダリウスが、『ずっ友ロコシ』の魔力で完全にタガが外れたまま、今度は私の方へとヘラヘラ笑いながら近づいてこようとした。
だが、その足が私に届くことは、永遠になかった。
「――万死に値する愚行ですね」
氷点下を遥かに下回る、絶対零度の声。
私の隣に控えていたリバロンが、スッと一歩前に出た。
ただそれだけで、サロンの空気がビリビリと軋み、目に見えない強烈な『重圧』が部屋中を支配した。
リバロンの黄金の瞳が、爬虫類のように細められ、純粋で圧倒的な『人狼の殺意』がダリウスへと突き刺さる。
「ヒッ……!?」
「我が愛しき主に、貴様のような腐臭を放つゴミ屑が、気安く視線を向けることすら不愉快です。……今すぐその無様な首を刎ね飛ばし、王都のドブ川に蹴り込んで差し上げましょうか?」
チャキッ、と。
リバロンの懐から、青白い闘気を纏った純白の『名刺刃』が半分だけ姿を現す。
その刃から放たれる本物の死の気配に、ダリウスは『ずっ友ロコシ』の陽気な魔力すら吹き飛ばされるほどの恐怖を感じ、腰を抜かして床にへたり込んだ。
「ひ、ひぃぃぃぃッ! 殺される! 悪魔だァァァッ!!」
ダリウスは泡を吹き、無様に床を這いずりながら、サロンの扉から脱兎のごとく逃げ出していった。
王都のエリート騎士の成れの果て。見栄と嘘で塗り固められた彼の人生は、たった一口のトウモロコシと、本物の強者の威圧によって、完全に社会的な死を迎えたのだ。
「……周囲の清浄化、完了しました。不快な思いをさせてしまい、申し訳ありません、オリヒメ様」
リバロンが名刺刃をしまい、何事もなかったかのように優雅なお辞儀をして、再び私の隣へと戻ってくる。
「ありがとう、リバロンさん。私は大丈夫よ」
私がそっと彼の腕に手を添えると、彼は私の指先を優しく包み込み、安堵したように微笑んだ。
だが。
「あ……ああ……」
サロンの中央には、完全に心が折れ、膝から崩れ落ちたエレノアの姿があった。
「嘘よ……嘘……。私の、私の居場所が……」
彼女が必死に守ろうとしていたものは、何一つ本物ではなかった。
家柄は没落寸前。美容液は借金の産物。そして、心の支えにしていた婚約者の愛情すらも、最初から彼女の家の金を狙っただけの、最低の詐欺師による嘘だった。
取り巻きの令嬢たちも、あまりの惨劇に言葉を失い、誰一人としてエレノアに声をかけることができない。
「オリヒメお姉様……あの金髪の女の人、なんだかすごく可哀想ですわ……」
リーザが、芋ジャージの袖を握りしめながら、ポツリと呟いた。
「うん……。心臓の音、もう見栄を張る力もなくなって、ただ『独りぼっちは嫌だ』って泣いてる……」
キャルルも、ウサギ耳をペタンと寝かせて悲しそうに目を伏せた。
マウントを取り合い、他人を蹴落とすことでしか自分の価値を証明できない不毛なゲーム。
その勝敗がどう転ぼうと、行き着く先は常に『虚無』と『孤独』しかないのだ。前世の私が、給湯室で嫌というほど見てきた光景。
私は、ポポロ村の仲間たちのように、温かくて本物の居場所を、彼女から奪い取る(ざまぁする)ためにここに来たのではない。
「……リバロンさん」
「はい、オリヒメ様」
「お帰りになる前に、少しだけ、彼女とお話をしてもいいですか?」
私が尋ねると、リバロンは黄金の瞳を優しく細め、「貴女の望むままに。私はいつまでも、ここでお待ちしておりますよ」と、深く頷いてくれた。
私は、足元に用意していた『最後の善行通販アイテム』を手に取り、泣き崩れるエレノアの元へと、静かに歩み寄った。
マウント合戦は終わった。ここからは、不毛なゲームを降りた私が、同じように傷ついた同僚(令嬢)に手を差し伸べる、ほんの少しの『お節介』の時間だった。
読んでいただきありがとうございます。
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