EP 6
焦る令嬢と最後の切り札
「ご覧なさい! このドレスは、王都で一番の仕立て屋に特注で作らせた、最新流行のオートクチュールですのよ! これ一着で、小さな村が一つ買えるほどのお値段ですわ!」
侯爵令嬢エレノアは、フリルとレースが過剰なまでに幾重にも重なり、胸元やスカートの裾に宝石がビッシリと縫い付けられた豪奢なドレスを見せつけるように、サロンの中央でふわりとターンをした。
シャンデリアの光を反射して、ドレスがギラギラと重苦しい輝きを放つ。
「それに比べて、あなたのその服はなんですの!?」
エレノアの血走った視線が、私の着ているドレスへと突き刺さった。
「王都の高級サロンに、装飾の一つもない、まるで村娘の普段着のようなペラペラの服で来るなんて! 王都の社交界を、そしてこの私を舐めているとしか思えませんわ!」
エレノアの言葉に、取り巻きの令嬢たちも気まずそうに視線を泳がせた。
確かに、私の着ているドレスは非常にシンプルだ。首元が詰まったクラシカルなデザインで、宝石や過剰なレースの装飾は一切ない。
だが、ペラペラというのは完全に彼女の誤解だった。このドレスは、私が『善行ポイント』で取り寄せた現代地球の「超高級シルク(タローマン製・防汚・温度調節機能付き)」で仕立てられている。動きやすく、長時間着ていても全く疲れない、実務とフォーマルを兼ね備えた最強の一着なのだ。
「ええ、エレノア様の仰る通り、私のドレスはとても地味で、お恥ずかしい限りです」
私は、一切の反論をせず、ただ静かに微笑んで頷いた。
「ポポロ村では、常に体を動かして仕事をしておりますので、どうしてもこういった動きやすいシンプルな服ばかりになってしまって。……でも、エレノア様のドレスは、本当に素晴らしいですね」
「えっ……?」
「それだけ重厚な生地と宝石をふんだんに使いながら、シルエットが少しも崩れていない。それを優雅に着こなすには、大変な教養と、貴族としての矜持が必要なはずです。エレノア様の美しい金髪と相まって、まるで一枚の絵画のようですわ」
私が心からの賛辞を贈ると、エレノアはバチッ!と平手打ちでも食らったかのように、目を見開いて硬直した。
「な、なんなの……あなた……!」
彼女は震える手で扇子を握りしめ、ワナワナと唇を震わせた。
本来なら、ここで私が「私のドレスだって高級な生地で……!」と張り合ってくるか、あるいは恥ずかしさで泣き出さなければ、彼女の『マウント』は成立しない。
私が完全に勝負から降りて、ただ純粋に彼女のドレスを褒めたことで、彼女の攻撃はまたしても『暖簾に腕押し』となってしまったのだ。
「……それにしても、オリヒメ様のお召し物、とても上品で素敵ですわ」
「ええ。飾らないお人柄が表れていて、なんだか見ているだけで心が安らぎますの」
取り巻きの令嬢たちが、私のシートマスクとマカロンにすっかり心を奪われていることもあり、口々に私を褒め始めた。
「だ、黙りなさいッ!!」
エレノアが、ついにヒステリックな声を上げてテーブルを叩いた。
ガチャンッ!と、高級なティーカップが跳ねる。
「……エレノア様?」
「ふざけないで! 田舎者のくせに、どうしてそんなに余裕ぶっていられるの!? 悔しくないの!? 羨ましくないの!?」
彼女の悲痛な叫びが、サロンに響き渡った。
私は、彼女の心が限界に近いことを察し、静かに目を伏せた。
没落寸前の実家。その借金まみれの台所事情を隠すために、支払えるはずもない高額な美容液やオートクチュールのドレスを身に纏い、必死に『王都のトップ令嬢』という虚像を守り続けている彼女。
その虚像が、私の「張り合わない自然体」の前に、いとも簡単に崩れ去ろうとしているのだ。
(これ以上は、本当に可哀想ね。適当な理由をつけて、お暇しましょうか)
私がそう思い、帰り支度を始めようとした、その時だった。
「……いいわ。家柄も、美容も、ドレスも……そんなものは、女の『本当の幸せ』の付属品に過ぎませんわ」
エレノアが、荒い息を整えながら、ギラギラとした暗い炎を瞳に宿して私を睨みつけた。
「女の価値を最後に決めるのは……隣に立つ『パートナー(男)』の格ですわ!!」
(……あー。出ちゃった。一番厄介なやつ)
私は心の中で天を仰いだ。
前世の給湯室でも、最終的にマウンティング・ゴリラたちが行き着くのは、決まって『彼氏のスペック自慢』だった。こればかりは、自分の力ではどうしようもない他者のステータスを盾にする、もっとも卑怯で、もっとも空虚なマウントだ。
「聞いて驚きなさい! 私の婚約者は、王都の近衛騎士団で副団長を務める、伯爵家の嫡男ですのよ! 剣の腕は国で一番、容姿も美しく、王家からの信頼も厚い、まさに完璧なエリート騎士ですわ!」
エレノアは恍惚とした表情で、自らの婚約者を語り始めた。
「彼は私を本当に深く愛してくれていて、毎日毎日、抱えきれないほどの深紅の薔薇を贈ってくれますの! 『君の瞳は宝石よりも美しい』なんて、甘い言葉を囁きながらね!」
「まあ……! 素敵!」
「エレノア様、そこまで愛されていらっしゃるなんて、本当に幸せ者ですわね」
取り巻きたちが、今度ばかりは本気で羨望のため息を漏らす。
だが。
「もぐもぐ……ねえ、オリヒメ」
私の隣でマカロンを堪能していたキャルルが、またしてもウサギ耳をペタンと寝かせ、信じられないものを見るような目でエレノアを見つめた。
「あの金髪の人……今、心臓が『嘘ばっかり、本当はもう三ヶ月も会いに来てくれないのに』って、すっごく悲しい音で泣いてるよ?」
「キャルル、ストップ」
私は素早くキャルルの口を手で塞いだ。
だが、キャルルの小さな呟きは、私の耳にはしっかりと届いていた。
(……三ヶ月も会いに来てくれない。なるほど、そういうことね)
彼女の婚約者は、おそらく彼女の実家が傾き始めていることに気づき、すでに距離を置いている(あるいは別の女性に乗り換えている)のだろう。
家柄も、財力も、そして愛する人からの愛情すらも失いかけているからこそ、彼女はここで『完璧な愛され令嬢』という嘘をつかずにはいられなかったのだ。
「さあ、どうですの!? 羨ましいでしょう! 悔しいでしょう!?」
エレノアは扇子を突き出し、私に向かって勝ち誇ったように叫んだ。
「田舎で泥まみれになって働いているだけのあなたに、こんなエリート騎士の婚約者がいるはずもありませんわね! どうせ、村の芋臭い農夫か、うだつの上がらない商人あたりと、惨めな結婚をするのが関の山でしょう! さあ、答えてごらんなさい! あなたの婚約者は、一体どんなうす汚い男ですの!?」
ついに放たれた、エレノアの最後の切り札。
そして、この女子会マウントにおいて「絶対に踏んではいけない地雷」。
「……別に、私は……」
私が、困ったように微笑みながら口を開きかけた、その瞬間だった。
『――失礼。オリヒメ様、お迎えに上がりました』
サロンの重厚なオーク材の扉が、音もなく開かれた。
甘ったるい薔薇の香水で満たされていた部屋の空気が、一瞬にして、静謐で圧倒的な『夜の冷気』に塗り替えられる。
「なっ……!?」
エレノアと取り巻きの令嬢たちが、弾かれたように扉の方向を振り返った。
そこに立っていたのは、王都のトップテーラーでさえひれ伏すほど完璧に仕立てられた漆黒の燕尾服を纏い、背筋を真っ直ぐに伸ばした、一人の男。
月の光を溶かしたような黄金の瞳と、息を呑むほどに端正で、恐ろしいほどの美貌を持つ人狼の執事――リバロンだった。
「お、男……!? なぜ、女人禁制のサロンに……!」
エレノアが抗議の声を上げようとしたが、リバロンが放つ、王者特有の圧倒的な『格』と『色気』の前に、声は喉の奥で凍りついてしまった。
彼は、並み居る王都の令嬢たちを一瞥することもなく、ただ真っ直ぐに私のもとへと歩み寄り、その長い脚を折って、私の足元に恭しく跪いた。
「予定の時刻を過ぎましたので、お迎えに参りました。……我が愛しき主(お嬢様)。こんな埃っぽい部屋で、退屈な時間をお過ごしではありませんでしたか?」
リバロンは私の手を取り、その甲に、令嬢たちの目の前で、ひどく甘く、情熱的な口づけを落とした。
その一連の動作があまりにも自然で、そして完璧な「溺愛」に満ちていたため、サロンの中は水を打ったような静寂に包まれた。
「あ……リバロンさん。来てくれたの?」
私は、自慢でも勝ち誇りでもなく、ただ純粋に、迎えに来てくれた大好きな彼を見て、嬉しそうにふわりと笑った。
私がマウントを取らずとも、彼がただ「迎えに来た」という事実だけで、エレノアが必死に積み上げた『婚約者自慢』の城は、根元から完全に崩壊してしまったのである。
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