EP 5
ルナキン・マカロンと苛立ち
「化粧品なんて、所詮は表面を取り繕うだけのもの! 令嬢の本当の教養と余裕は、日々の生活の『豊かさ』に表れるものですわ!」
ぷるぷるシートマスクの圧倒的な保湿力によって取り巻きたちの関心を完全に奪われてしまった侯爵令嬢エレノアは、怒りで肩を震わせながら次なるマウントのカードを切った。
「さあ、次はスイーツよ! 私が用意したこのお茶会のケーキが、どれほど素晴らしいか……その舌で思い知るがいいわ!」
エレノアが扇子でビシッと指差したのは、テーブルの中央に鎮座する三段重ねのケーキスタンドの最上段だった。
(二段目の焼き菓子と三段目のサンドイッチは、すでにキャルルが無限胃袋に収めてしまっている)
最上段に乗っていたのは、薔薇の花びらを模した飴細工が飾られた、目も眩むほどに美しいピンク色のムースケーキだった。
「これは、王都で今一番予約が取れない超人気店『パティスリー・ルミエール』の特製ケーキよ! なんと、半年待ちの幻のスイーツですの! 私の侯爵家の力をもってして、ようやく今日のお茶会に間に合わせたのですわ!」
エレノアは勝ち誇ったように胸を張り、私を見下ろした。
「田舎の村で、木の実や干し芋ばかりかじっているあなたには、こんな繊細で美しいケーキ、見るのも初めてでしょう? 遠慮せずに、一口だけなら食べさせてあげてもよろしくてよ!」
「半年待ち……! さすがはエレノア様、素晴らしい手配力ですね」
私は、前世の接待で取引先の社長が「この料亭、一見さんお断りでね〜」と自慢してきた時と全く同じ、完璧な尊敬の眼差しを向けた。
「せっかくですので、ありがたくいただきます」
私はフォークを手に取り、美しく切り分けられたムースケーキを一口、口に運んだ。
滑らかな舌触りと、フランボワーズの甘酸っぱい香りが広がる。確かに、王都の超人気店というだけあって、とても丁寧な仕事がされている美味しいケーキだった。
「……とても美味しいです。上品な甘さで、薔薇の香りも素晴らしいですね。エレノア様、貴重なお品をありがとうございます」
私が心から感謝を伝えると、エレノアは「ふんっ、当然ですわ」と少し得意げに鼻を鳴らした。
私が嫉妬して悔しがるどころか、素直に絶賛して美味しそうに食べるものだから、彼女のマウントの刃はまたしても空を切ってしまったのだ。
「それで……ですね。実は私からも、皆様にお茶菓子を少しだけお持ちしたんです」
私は、足元のバスケットから、可愛らしい小箱を取り出した。
「もしよろしければ、この素晴らしいお茶の席で、皆様と一緒に分け合いたいと思いまして」
「……は? 田舎のお茶菓子ですって?」
エレノアが怪訝な顔をする前で、私は小箱の蓋を開けた。
「こちらは、ポポロ村の専属シェフであるルナキンが作ってくれた『秋の味覚マカロン』です」
箱の中に並んでいたのは、宝石のように色とりどりで、コロンとした可愛らしい形をしたマカロンたちだった。
パンプキンイエロー、マロンブラウン、スイートポテトパープル。
秋の味覚をふんだんに使ったクリームを、サクッとしたアーモンド生地で挟んだ、ルナキン渾身の新作スイーツ(レシピは私が善行ポイントで提供した地球のフランス菓子)である。
「まかろん……? なんですの、その可愛らしいお菓子は」
取り巻きの令嬢たちが、またしても興味津々で身を乗り出してきた。
「どうぞ、お好きな味を一つずつ取ってみてください。ルミエール様のケーキの邪魔にならないよう、甘さは控えめに作ってありますから」
私が箱を差し出すと、令嬢たちはおそるおそるマカロンを手に取り、小さくかじった。
その瞬間。
「……っ!? な、なにこれ……!?」
令嬢たちの一人が、目を丸くして歓声を上げた。
「外側はサクッとしてるのに、中はしっとりしてて……! それにこのクリーム、お芋の自然な甘さが口いっぱいに広がりますわ!」
「私のこの茶色いのは、栗の味がします! すごく濃厚なのに、全然重たくない……! さっきのムースケーキの後に食べても、ペロッといけちゃいますわ!」
「えへへー、でしょでしょ! ルナキンの作るお菓子は、世界一なんだから!」
キャルルが自分のことのように胸を張り、マカロンをポイポイと口に放り込んでいる。
「そうですわ! このマカロン、私のライブの物販で出したら、一瞬で完売しますのよ! 皆様、運がいいですわね!」
リーザも芋ジャージ姿で自慢げに頷いた。
「オリヒメ様! この『まかろん』、王都にお店を出す予定はありませんの!? 私、毎日でも買いたいくらいですわ!」
「私にも、もう一ついただいてもよろしくて!?」
取り巻きの令嬢たちが、完全にルナキンのマカロンの虜になり、私の周りに群がり始めた。
彼女たちにとって、ルミエールのケーキは「美味しいけれど、食べ慣れた王都の味」だ。しかし、このマカロンという未知の食感と、素朴でありながら洗練された秋の味覚の爆弾は、彼女たちの舌を完全に狂わせてしまったのである。
見せびらかすための半年待ちのケーキよりも、目の前で「みんなで分けよう」と笑顔で配られた新しいお菓子の方が、場の空気を温かく、そして圧倒的に支配してしまう。
これもまた、前世の給湯室で学んだ処世術の一つだ。
「ちょ、ちょっと! あなたたち! 私が用意したルミエールのケーキを差し置いて、そんな田舎の焼き菓子に群がるなんて、はしたないですわよ!」
エレノアが顔を真っ赤にして叫ぶが、令嬢たちは「でもエレノア様、これ本当に美味しいんですの!」とマカロンを頬張る手を止めない。
「……っ!」
エレノアはギリッと唇を噛み、一人孤立してしまった。
自分が用意した最高級の美容液も、半年待ちのケーキも、この田舎娘が持ってきた「お土産」の前に、いとも簡単に霞んでしまった。
オリヒメは一度も自分を見下していない。自慢もしていない。ただ「どうぞ」と配っただけ。
なのに、気がつけば、このお茶会の主役(中心)は、完全にオリヒメへと移り変わってしまっているのだ。
(なぜ……なぜなの!? どうして私が、こんな惨めな思いを……!)
エレノアは震える手で自分のムースケーキを口に運んだが、その味はもはや、彼女の舌には甘くも美味しくも感じられなかった。
焦燥感と、自分の居場所が奪われていくような恐怖。
没落寸前の実家。冷え切った家族関係。彼女が王都で縋り付いていた「社交界の華」という見栄のメッキが、今、音を立てて剥がれ落ちようとしていた。
「……いいわ。美容も、スイーツも、所詮はお茶のお遊びに過ぎませんわ」
エレノアはフォークを乱暴に置き、バッと立ち上がった。
「令嬢の『格』を最も如実に表すのは……身に纏うもの! そう、ドレスですわ!」
エレノアは、自分が着ている、フリルとレースが過剰なまでに重なり合い、宝石が縫い付けられた豪奢なドレスの裾をバサリと翻した。
「ご覧なさい! このドレスは、王都で一番の仕立て屋に特注で作らせた、最新流行のオートクチュールですのよ! これ一着で、小さな村が一つ買えるほどのお値段ですわ!」
目が血走ったエレノアの、悲痛なまでのエスカレーション。
だが、その見栄すらも、彼女をさらなる自滅の縁へと追い込むだけの、脆い虚飾でしかないのだ。
「キャルル、ちょっと……」
私は隣のキャルルに小声で耳打ちした。
「ん? なに? あの金髪クルクルの人、今度は『実はこのドレスの代金、まだ一括も払ってないのにどうしよう!』って心臓が泣き叫んでるけど」
「……やっぱり」
私は静かにため息をついた。
これ以上彼女を追い詰めれば、本当に彼女の心が壊れてしまうかもしれない。
早く、この不毛なお茶会を平和的に終わらせる方法を見つけなければ。
だが、私のそんな心配をよそに、苛立ちを募らせたエレノアは、ついにこの女子会において「絶対に手を出してはいけない」最悪の地雷……『最後の切り札』へと手を伸ばそうとしていた。




