EP 4
ぷるぷるシートマスクの衝撃
「家柄なんて所詮は親の力! 令嬢としての本当の価値は、自分自身の『美しさ』に決まっておりますわ!」
家柄マウントをキャルルの「神獣の姫」という圧倒的な格の違いで粉砕され、さらに没落寸前の借金事情まで見抜かれてしまった侯爵令嬢エレノアは、荒い息を吐きながら次なるカードを切った。
彼女がテーブルの上にドンッと置いたのは、手のひらに収まるほどの小さな、しかし目も眩むような装飾が施されたガラスの小瓶だった。
「ご覧なさい! これこそ、ルナミス帝国でも限られた貴族しか手に入れられない最高級美容液、『人魚の涙』ですわ!」
エレノアは誇らしげに胸を張り、私を見下ろした。
「この小瓶一つで、なんと金貨十枚(約百万円)もしますのよ。毎晩これを一滴肌に馴染ませるだけで、真珠のような輝きを得られるのですわ。……どうせ田舎で泥水と石鹸だけで顔を洗っているあなたには、一生縁のない代物でしょうけれど!」
「金貨十枚……! さすがエレノア様、美への投資を惜しみませんのね!」
「私たちなんて、金貨一枚のクリームを買うのにも躊躇してしまいますわ」
取り巻きの令嬢たちが、感嘆の溜息を漏らす。
(金貨十枚の美容液……。前世で言うところの、超高級デパコス自慢ね)
私は心の中でそっと頷いた。
OL時代、給湯室や女子会のランチで「このクリーム、ボーナスはたいて買っちゃった〜。五万円もしたんだよ〜」と見せびらかしてくる先輩がいたものだ。
「へえ、すごいですね。私なんかドラッグストアの化粧水で十分ですよ〜」と適当に相槌を打つと、先輩は「やっぱり自己投資しないとダメだよ〜」とマウントを取って気持ちよさそうに去っていく。
私はあの時間が、心底どうでもよかった。肌に合うなら五万円でも五百円でも好きな方を使えばいい。他人の肌事情に首を突っ込んで優劣をつける意味がわからないのだ。
「本当に、素晴らしい美容液ですね。エレノア様のお肌が透き通るようにお美しいのは、日々のたゆまぬケアの賜物なのですね」
私が心からの営業スマイルで褒め称えると、エレノアは「ふんっ、当然ですわ」と勝ち誇ったように小瓶をしまった。
「あなたも、少しは自分の身なりに気を遣ったらどうですの? そんな安っぽいドレスに、化粧っ気のない顔。……あ、ごめんなさい。田舎には、まともな化粧品を売っているお店すらないのでしたわね。おーほっほっほ!」
エレノアが高笑いをする。
だが、私は全く腹が立たなかった。
むしろ、借金で首が回らないはずの実家事情を抱えながら、見栄を張るために金貨十枚の美容液を(おそらくツケか無理をして)買っている彼女の不器用な虚勢が、少しだけ痛々しく見えたからだ。
「そういえば」
私はふと思い出したように、足元に置いていた手提げ袋を引き寄せた。
「今日は王都の皆様にお会いするということで、ポポロ村で開発中の『新しい美容アイテム』の試作品をお持ちしたんです。……もしよろしければ、皆様で使ってみませんか?」
「は? 田舎の村の美容アイテム? どうせ薬草をすり潰しただけの泥パックかなにかでしょう?」
エレノアが鼻で笑うが、私は気にせず、袋の中から『それ』を取り出した。
「こちらは、『タローマン製・高級ぷるぷるシートマスク(深層保湿仕様)』です」
私がテーブルの上に並べたのは、キラキラと輝く美しいパッケージに包まれた、個別包装の平べったい袋の束だった。
もちろん、善行ポイントで取り寄せた現代地球の概念を魔導工学で再現したチートアイテムである。
「しーとますく……? なんですの、それは」
取り巻きの令嬢たちが不思議そうに首を傾げる。
この世界には、クリームやオイルを『塗る』という概念はあっても、美容液をたっぷり染み込ませた顔型のシートを『貼る』という概念は存在しない。
「こうして袋を開けまして……」
私が一つパッケージを開封すると、中から、とろみのある濃厚な美容液(ローズとカモミールの天然の香り)が滴るほどのシートが現れた。
「わあっ……! すごく良い香り……!」
「このシートに、美容液がたっぷりと染み込んでいるんです。夜、お風呂上がりにこのシートを顔に乗せて、十五分ほど待つだけで、肌の奥深くまで潤いが浸透してもっちりとしたお肌になりますよ」
私は、取り巻きの令嬢たちの前に、シートマスクを数枚ずつ気前よく配っていった。
「えっ、こ、こんな珍しいものを、私たちにいただけるんですの……?」
「はい、もちろんです。試作品の感想をいただけると、村のビジネスの参考になりますから」
見せびらかし(独占)ではない。
ただの『お土産の配布(共有)』だ。
しかし、この「善意による共有」こそが、マウンティング社会において最強の特効薬となる。
「……ちょっと、袋に残った美容液を手の甲に塗ってみてもいいかしら?」
一人の令嬢がおそるおそる袋の底に残った美容液を指にすくい、自分の手の甲に伸ばした。
その瞬間。
「えっ……!? 嘘っ!?」
令嬢が信じられないというように目を見開いた。
「す、すごい……! 塗った瞬間に肌が水を飲んだみたいに潤って……それに、このぷるぷるの触り心地! 金貨一枚のクリームなんて目じゃないくらい、肌が光ってますわ!」
「本当!? 私にも少し触らせて!」
「いやだ、私の手も試してみるわ! ……キャァァッ! すごい、カサカサだった指先がしっとりしてる!」
取り巻きの令嬢たちが、手の甲を寄せ合ってキャーキャーと歓声を上げ始めた。
現代地球の美容技術と魔導工学が融合したタローマン製のシートマスクの威力は、異世界の貴族令嬢たちにとって、文字通り『魔法』のような衝撃だったのだ。
「あ、あの! オリヒメ様! これ、本当に私たちがいただいてよろしいんですの!?」
つい先程まで私を田舎者と見下して鼻で笑っていた令嬢たちが、今や目をキラキラさせて私にすり寄ってきている。
「もちろんです。いっぱいあるので、お友達やお母様にも分けてあげてくださいね」
私がニコリと笑うと、「ありがとうございますーっ!」と令嬢たちはシートマスクを宝物のように胸に抱きしめた。
「ちょっと! あなたたち、そんな得体の知れない田舎の泥をありがたがって……!」
エレノアが、自分から完全に興味が逸れてしまった取り巻きたちを叱責しようとするが、彼女たちはもうシートマスクの魅力にメロメロで、エレノアの言葉など耳に入っていない。
「エレノア様」
私は、最後に残った一番豪華な『極上ゴールド・シートマスク』のパッケージを、エレノアの前にそっと差し出した。
「もしよろしければ、エレノア様もどうぞ。……日頃から社交界で気苦労も多いでしょうから、夜くらいはゆっくりと、ご自身を甘やかしてあげてください」
「なっ……」
エレノアは、目の前に差し出されたシートマスクと、私を交互に見つめた。
マウントを取るために用意した金貨十枚の美容液は、たった一枚の「配られたマスク」の前に、完全に霞んでしまった。
本来なら「こんな安物、いらないわよ!」と叩き落とすべき場面だ。
しかし。
毎晩の寝不足と、実家の借金のプレッシャーで、実は彼女の肌はボロボロに荒れかけていた。(分厚い化粧で必死に隠しているが、近くで見れば粉を吹いているのがわかる)。
取り巻きたちが手の甲で実証したあの『圧倒的な保湿力』。
(……ほ、欲しい。これがあれば、私の肌荒れも……)
エレノアの手が、無意識にピクッと動いた。
だが、肥大化したプライドが、それを受け取ることを全力で拒絶する。
「……っ、ふざけないで! 私に同情するつもり!? そんな安っぽい施し、必要ありませんわ!」
エレノアはギリッと唇を噛み、シートマスクをテーブルの端へと押しやった。
「化粧品なんて、所詮は表面を取り繕うだけのもの! 令嬢の本当の教養と余裕は、日々の生活の『豊かさ』に表れるものですわ!」
完全に論点がすり替わっているが、彼女はもう止まれない。
「次はスイーツよ! 私が用意したこのお茶会のケーキが、どれほど素晴らしいか……その舌で思い知るがいいわ!」
エレノアは、ティーテーブルの上の三段ケーキスタンドを指差し、血走った目で私を睨みつけた。
だが、そのケーキスタンドの二段目は、すでにキャルルによって半分以上平らげられているという無情な現実が、彼女の焦りをさらに加速させていくのだった。




