EP 3
家柄自慢とウサギの耳
「……ふふ、ふふふ。そうね、お茶の話はもういいわ」
社交界人気マウントを私の『営業スマイル(さしすせそ)』とキャルルの無邪気な心音看破によってへし折られた侯爵令嬢エレノアは、深呼吸をして無理やりに笑みを作り直した。
「あなたのような辺境の村の方には、王都の華やかな生活は少し想像が難しかったかしら。では、もっと根本的な……『家柄』と『格式』のお話をしましょう」
エレノアが扇子を優雅に広げ、ドヤ顔でドローしたのは『家柄・お金持ちマウント』だった。
「我が侯爵家は、建国から五百年続く名門中の名門ですのよ。王都の広大な敷地に建つ本邸には、百人を超える使用人が仕えておりますの。毎日三ツ星シェフがフルコースを作り、庭師が十人がかりで薔薇の手入れをする……。土にまみれた田舎の小屋とは、住む世界が違いますわ」
「百人ですか! さすがは侯爵家ですね」
取り巻きの令嬢たちが、ここぞとばかりに感嘆の声を上げる。
「ええ。屋敷が広すぎて、新しいメイドは迷子になってしまうくらいですの。……オリヒメさん、あなたの村には、まともなお屋敷も、お世話をする使用人もいないのでしょう? 自分の身の回りのことを自分でしなければならないなんて、貴族の令嬢として本当に可哀想ですわね」
エレノアは、勝ち誇ったように私を見下ろした。
百人の使用人。広大な屋敷。圧倒的な財力の誇示。
これにはさすがに、田舎村の代表に過ぎない私が歯ぎしりして悔しがるだろうと期待しているのが、そのニヤニヤとした表情からありありと読み取れた。
だが、前世で『経理・総務・法務』を一人で回すブラック企業にいた私の感想は、彼女の期待とは全く別のベクトルへ飛んでいた。
(……ひゃ、百人!? 百人もの人間を直接雇用して、労務管理と給与計算とシフト調整をやってるの!?)
私は思わず目を丸くし、心底からの尊敬を込めてエレノアを見つめ返した。
「エレノア様、それは本当に……本当に凄まじいことです。百人規模の雇用を維持し、さらに三ツ星シェフや専門の庭師といった特殊技能者のマネジメントまで完璧にこなされているなんて。侯爵家の人事部と財務部は、どれほど優秀な方々が揃っているのでしょう!」
「……えっ?」
「毎月の給与計算だけでも膨大な作業量のはずです。それに、従業員のモチベーション管理や福利厚生まで……。ああ、ぜひ一度、侯爵家の組織運営のノウハウを学ばせていただきたいくらいです!」
私が身を乗り出して熱弁を振るうと、エレノアはポカンと口を開け、扇子を取り落としかけた。
彼女は「私の家はこんなにお金持ちで偉いのよ」と自慢したかっただけなのに、私が『雇用の維持と組織のマネジメント力』という完全に経営者目線で感心してしまったため、マウントの刃が空を斬ってしまったのだ。
「い、いや、そういう話じゃなくてね……! 私は、あなたが惨めだと言っているのよ!」
エレノアが顔を赤くして反論しようとした時、彼女の視線が、私の隣で三段重ねのケーキスタンドの二段目に手を出しているキャルルに止まった。
「……だいたい、あなたが連れているその獣人! 貴族のお茶会の席に、使用人の獣人を同席させるなんて常識外れもいいところですわ! 我が家では、獣人なんて庭先の馬小屋で寝起きさせるのが関の山ですのに!」
怒りの矛先が、突然キャルルに向けられた。
(あ、それは地雷……)
私が止める間もなく、マカロンをかじっていたキャルルが、ピタッと動きを止めた。
彼女はウサギ耳をピンと立て、不思議そうに首を傾げた。
「馬小屋? 獣人が? ……へえ、人間の侯爵って、すっごく偉いんだね」
キャルルは口の周りについたクリームをペロッと舐め、全く悪びれることなく言い放った。
「でもさ、私、月兎族の『元お姫様』なんだけど。……人間の侯爵って、神獣の王族よりも格上なの?」
――シーーーン。
サロンの空気が、今度こそ完全に、絶対零度に凍りついた。
「し、神獣……!?」
「月兎族の、元姫君!?」
取り巻きの令嬢たちが、悲鳴のような声を上げてガタッ!と椅子から立ち上がった。
このアナステシア世界において、『神獣』とは神話の時代から生きる伝説の存在であり、宗教的にも王家と同等かそれ以上の『不可侵の絶対的格上』として扱われている。
エレノアが誇った「歴史ある侯爵家」など、神獣の歴史と格式の前では、文字通り吹けば飛ぶようなチリ芥に過ぎないのだ。
「う、嘘よ! そんな野蛮な格好をした獣人が、神獣の姫だなんて……!」
エレノアが顔面を蒼白にして叫ぶが、キャルルがその瞳に微かな魔力を宿し、背後に巨大な月の幻影(月影流の闘気)をチラつかせると、その場にいた全員が息を呑んで硬直した。
圧倒的な、本物の『格』の違い。
私は一言も自慢していないのに、親友がただ素性を明かしただけで、エレノアの家柄マウントは根元から粉砕されてしまったのだ。
「……それにさ」
キャルルが、トドメとばかりにウサギ耳をヒクヒクと動かした。
「あんた、さっきから『家には百人の使用人がいる』って言ってるけど……心臓の音が、すっごく焦って『ウソウソウソ』って鳴ってるよ?」
「なっ……!?」
「本当は、家の借金がヤバくて、使用人なんてとっくに解雇してて……今、屋敷に残ってるのは耳の遠いお爺ちゃん執事と、賄いのおばちゃんくらいじゃないの? 毎日の食事も、フルコースどころか具なしのスープとか……」
「や、やめなさいッ!!」
エレノアが悲鳴を上げ、両手で耳を塞いだ。
取り巻きの令嬢たちが、「えっ……? エレノア様、家が傾いているって、本当ですの……?」と、疑心暗鬼の目を向け始める。
(……なるほど。そういうこと)
私はすべてを察した。
彼女がこれほどまでにマウントに固執し、私たちを田舎者と見下そうとしていた理由。
それは、没落寸前の実家の惨状を隠し、王都の社交界で『強者の仮面』を被り続けなければ、今の居場所を失ってしまうという、ギリギリの孤独とプレッシャーから来るものだったのだ。
前世で、ブランド品で身を固めて借金地獄に陥っていた同僚と、根っこは同じだ。
「……キャルル、そこまでにして」
私は、静かに、だがキッパリとキャルルを制止した。
「えっ? でもこいつ、オリヒメのこと見下して……」
「いいの。……それ以上は、無粋よ」
私はエレノアに向き直り、何事もなかったかのように微笑んだ。
「キャルルの耳は、少し特殊でして……王都の騒音に当てられて、少し耳鳴りがしているだけです。エレノア様の素晴らしいご実家のお話を、疑うような真似をして申し訳ありません」
私は、エレノアの嘘をこれ以上暴くことはしなかった。
ここで彼女の借金や嘘を白日の下にさらし、取り巻きたちの前で『公開処刑』にすることは簡単だ。
だが、そんなことをしても胸糞が悪くなるだけ。私は、彼女を蹴落とすという『マウントの土俵』には絶対に立たない。
「……っ!」
エレノアは、私が自分の致命的な秘密に気づきながら、あえて庇ってくれた(見逃してくれた)ことに気づき、顔を真っ赤にしてブルブルと震えた。
ギリッ、と彼女がドレスの裾を強く握りしめる。
私の『善意(情け)』は、彼女の肥大化したプライドにとって、どんな反撃よりも屈辱的で、そして恐ろしいものだっただろう。
「……そ、そうよ。その獣人の、耳がおかしいだけですわ……!」
エレノアは必死に虚勢を張り直し、荒い息を吐きながら私を睨みつけた。
「家柄なんて、所詮は親の力! 令嬢としての本当の価値は、自分自身の『美しさ』に決まっておりますわ!」
エレノアの目が、完全に血走っていた。
もはやお茶会という名の優雅なサロンは、彼女が己の虚栄心を守るための、後戻りできないデスゲームと化しつつある。
「さあ、次よ! 美容とコスメ! こればかりは、田舎の泥水で顔を洗っているようなあなたには、絶対に勝ち目はありませんわ!」
エレノアが次なるマウントのカードを切る。
だが、彼女は知らない。私が『善行ポイント通販』という、この世界のあらゆる常識を覆す現代地球のアイテムを無尽蔵に引き出せるチート級のシステムを持っているということを。
彼女のエスカレートする見栄は、やがて取り返しのつかない『自滅』へと向かって、一直線に転がり始めていた。
読んでいただきありがとうございます。
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