EP 10
嵐の後の平穏と、新たな世界の影
偽善勇者ゼロスによる「札束ビンタの買い占め騒動」が完全な自滅(マグローザ漁船行き)で幕を閉じてから数日。
ポポロ村の広場では、魔導コールドチェーンの大成功と、村の平穏を祝う盛大な宴が開かれていた。
「さあさあ皆様! 今日はオリヒメお姉様の大盤振る舞いですわよ! 遠慮せずにドンドン食べて、そして私にドンドン投げ銭してくださいませーっ!」
特設ステージの上で、芋ジャージ姿のリーザがマイク片手に叫ぶ。
広場の中央には、私が『善行ポイント』を惜しげもなく投入して取り寄せた【ルナキン特製・超絶プレミアム海鮮&ロックバイソンBBQセット(タローマン製無煙ロースター付き)】がずらりと並べられていた。
魔導保冷コンテナのおかげで、シーラン海から直送された特大のホタテや、脂の乗った極厚のサーモンが、無煙ロースターの上でジュウジュウと魅惑的な音を立てて焼かれている。
「うおおおっ! 海から遠いこの村で、こんな新鮮な焼きホタテが食える日が来るなんて!」
「ロックバイソンのカルビも最高だぜ! リーザちゃん、五円玉追加だーっ!」
村人たちも商人たちも、顔を真っ赤にしてBBQと宴を楽しんでいる。
「んっふふ〜! やっぱり海鮮には、特製バター醤油だよねっ!」
キャルルが、自分の顔ほどもある巨大なホタテの殻に醤油を垂らし、幸せそうにウサギ耳を揺らしている。彼女の足元には、すでに何十本もの串焼きの残骸が山積みになっていた。
「キャルル、食べすぎでお腹壊さないようにね」
私が苦笑しながらお茶を差し出すと、彼女はニシシと笑って「月影流・無限胃袋だから平気!」と親指を立てた。
賑やかな広場の喧騒から少し離れた、村長室のバルコニー。
私は手すりに寄りかかり、満点の星空の下で笑い合う村の人々の姿を、温かい気持ちで見下ろしていた。
前世の私なら、こんなふうに「大勢で笑い合いながら美味しいものを食べる」なんて経験、絶対にできなかった。
毎日終電までパソコンと睨めっこして、コンビニの栄養ゼリーを流し込むだけの毎日。自分が消えても、会社というシステムは何も変わらずに回り続ける。そんな、砂を噛むような人生だった。
でも、今は違う。
私が『善行ポイント』で取り寄せたインフラが、人々の生活を豊かにし、命を救い、そして笑顔を作っている。
私が作った「システム」は、ただの数字じゃない。血の通った、温かい居場所なのだ。
「……夜風が冷えますよ。また、ご自身を労るのを忘れておいでですか」
不意に、背後からふわりと、上質な布地が私の肩に掛けられた。
振り返ると、完璧な燕尾服を着こなしたリバロンが、二つのグラスを乗せた銀のトレイを持って立っていた。
グラスの中では、琥珀色に輝く最高級の陽薬茶(スパークリング仕様)が、シュワシュワと心地よい音を立てている。
「リバロンさん。……ありがとうございます」
私がグラスを受け取ると、彼は私の隣に立ち、同じように広場の景色を見下ろした。
「素晴らしい景色ですね。あの愚かな勇者が、札束でこの村の絆を買えると錯覚したのも無理はありません。……これほどまでに美しく、完璧なエコシステムは、大陸中を探してもどこにも存在しないのですから」
「私一人の力じゃありません。リバロンさんが実務を完璧にサポートしてくれて、キャルルが村を守ってくれて、リーザちゃんがみんなを笑顔にしてくれたから……。みんなで作った、私たちの居場所です」
私がそう言うと、リバロンは黄金の瞳を優しく細め、私の肩に掛けた彼の上着の襟元をそっと直した。
彼の長い指が、首筋に微かに触れる。
「……昨日の夕暮れ」
リバロンが、低く甘い声で囁いた。
「貴女は、ご自身から私の背中に腕を回し、『気の迷いではない』と仰ってくださった。……あの言葉を、私はどう受け取ればよろしいですか?」
彼の顔が、ゆっくりと近づいてくる。
逃げ場のないバルコニー。下からは宴の歓声が聞こえるが、この狭い空間だけは、完全に彼と私だけの世界になっていた。
心臓が、トクトクと早鐘を打つ。
前世の私なら、こんな完璧な男性から向けられる好意から、絶対に逃げ出していた。私なんかが、こんなに大切にされる資格はないと、自分で自分を見下して。
でも。今の私は、逃げたくなかった。
「……言葉の、通りです」
私は、真っ赤になった顔を隠すのもやめて、彼の黄金の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「私、リバロンさんのことが、好きです。……私が一人で戦おうとする時、必ず一番近くで支えてくれて、私を一番大切に扱ってくれる。貴方のその優しさと、強さに……惹かれています」
はっきりと、口に出して伝えた「好意」。
その瞬間、リバロンの端正な顔が、驚きに見開かれ――直後、全てを溶かすような、ひどく甘くて危険な肉食獣の笑みへと変わった。
「っ……オリヒメ様。貴女という人は」
ガタンッ、と。彼がグラスをトレイごと手すりに置き、私の体を、壊れ物を扱うかのような、けれど絶対に逃さないという強い力で抱きしめた。
「〜〜〜ッ!」
「……ああ。執事としての理性が、完全に焼き切れそうです」
耳元で囁かれる、熱を帯びた声。
彼の大きな手が私の背中を抱き込み、もう片方の手が、私の後頭部を優しく撫でる。
彼から漂う上品な紅茶の香りと、隠しきれない雄の匂いが、私の思考を白く染め上げていく。
「貴女のその言葉を聞いてしまった以上、もう『聞き分けの良い執事』を演じることは不可能です。……これからは、貴女が息苦しくなるほどに、私の愛と独占欲で甘やかさせていただきますよ」
「……はい。覚悟、してます」
私が彼の胸の中で小さく頷くと、彼は喉の奥で嬉しそうに笑い、私の額に、そして鼻先に、羽が触れるような優しいキスを何度も落とした。
甘くて、温かくて、息が止まりそうなほど幸せな時間。
私たちは、広場の喧騒から少し離れたバルコニーで、確かな絆と愛情を深め合っていた。
***
――だが。
この幸福な村の平穏の裏で、世界の『別の場所』では、新たな火種が静かに燻り始めていた。
ルナミス帝国の遥か北に位置する、険しい山脈の向こう側。
空は常に暗雲に覆われ、瘴気が漂うその大地――『魔王領』の深部にある、漆黒の城の玉座の間。
「……勇者ゼロスが、失脚しただと?」
玉座に深々と腰掛ける、巨大な漆黒の角を生やした男――魔王軍の最高幹部の一人である『将軍ヴォルザード』が、配下からの報告書を読み上げ、冷酷な笑みを浮かべていた。
「はっ。神の裏口座からの横領が発覚し、現在はシーラン海の漁船で奴隷労働をしているとのこと。ルナミス帝国は現在、勇者不在の混乱状態にあります」
「ククク……愚かな人間の小倅め。自らの見栄で自滅するとはな」
ヴォルザードは、報告書の二枚目に目を通し、その鋭い目を細めた。
「だが、俺が興味を惹かれたのは、その勇者を破滅に追いやったという、国境の小さな村だ。『ポポロ村』……人間の小娘が、見たこともない【魔導コールドチェーン】なる技術で、莫大な富と物流網を支配していると」
魔王軍は現在、慢性的な「食糧不足」と「劣悪な物流」に悩まされていた。
痩せた土地しか持たない魔族にとって、ポポロ村が構築した『新鮮な物資を大量に輸送できるインフラ』は、喉から手が出るほど欲しい技術だった。
「その『オリヒメ』という小娘の持つシステム……そして、村に流れる莫大な富。我ら魔王軍の兵站を立て直すために、これほど都合の良い獲物はあるまい」
ヴォルザードは、玉座からゆっくりと立ち上がった。
「勇者が消え、帝国の防衛網が緩んだ今こそ好機。……おい、我が直属の『特務部隊』を動かせ。武力と恐怖で、あの村のシステムごと、小娘を俺の足元にひざまずかせてやる」
「ハッ!!」
魔王軍の恐るべき武力と、非道な略奪の意思。
これまで相手にしてきた「薄っぺらい権威」や「金だけの勇者」とは全く違う、本物の『殺意と軍事力』を伴った巨大な影が、ポポロ村に向けて静かに動き出そうとしていた。
だが、彼らもまた知る由もないのだ。
神界からの圧倒的な支援を受け、絶対的な武力を持つ仲間たちに護られ、そして何よりも「前世の社畜時代に鍛え上げられた無敵の実務能力」を持つオリヒメに対し、中途半端な軍事力(武力による見下し)など、最悪の『自滅』への特急券にしかならないということを。
嵐の前の静けさを楽しむポポロ村の夜空には、ただ美しく、澄んだ月が輝いていた。
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