EP 6
焦る勇者と、アナステシア最強の自滅装置
ポポロ村の広場は、偽善勇者ゼロスの嫌がらせを完全に退け、再び活気と平穏を取り戻していた。
『タローマン製・魔導保冷コンテナ』を使ったコールドチェーン(低温物流網)の運用は順調そのもので、近隣の農家が持ち込む新鮮な朝採れ野菜や、遠方からの海産物が次々とコンテナに詰め込まれ、王都やルナミス帝国へと運ばれていく。
「オリヒメ様。先ほど王都のギルドから魔導通信が入りまして、我が村から出荷した『ロックバイソンの極上生肉』が、王家の晩餐会用に通常の五倍の価格で落札されたとのことです」
村長室で帳簿をつけていた私の元へ、リバロンが優雅な足取りで報告にやってきた。
「五倍……! さすがに王都の購買力は桁違いですね。これで農家さんたちの利益も大幅に還元できますわ」
私がホッと胸を撫で下ろして微笑むと、リバロンは黄金の瞳を柔らかく細め、私のデスクの端にそっと腰を掛けた。
「ええ。貴女の構築したシステムは、今や大陸の経済そのものを牽引しています。……ですが、私にとって一番の利益は、こうして貴女の満面の笑みを特等席で独占できることですよ」
彼の顔が、スッと近づいてくる。
昨夜の「明確な恋心の自覚」以来、彼がこうして距離を詰めてくるたびに、私の心臓は爆発しそうなほどの音を立ててしまう。
「り、リバロンさん……っ。今は執務中ですから、距離が……」
「おや? 私はただ、インクが貴女の美しい頬に跳ねているのを拭おうとしただけですよ?」
彼は喉の奥で低く笑い、ハンカチで私の頬をそっと拭った。指先が微かに肌に触れ、彼の男らしい香りが私を包み込む。
からかわれていると分かっていても、顔から火が出そうだった。
「……あ、あの! ゼロスが買い占めた古い物資はどうなりましたか!?」
私はたまらず、話題を強引に仕事へと逸らした。
「ああ、あの愚か者ですか」
リバロンは少しだけ残念そうにハンカチを引くと、冷徹な宰相の顔に戻って答えた。
「彼が買い占め、村の入り口付近に野ざらしで積み上げていた穀物や豆類は、昨夜の雨と湿気で完全に腐敗が始まりました。今頃は、莫大な金貨と引き換えに『巨大な生ゴミの山』を抱えて途方に暮れていることでしょう。哀れなものです」
彼が私の築き上げた『信用』を見下し、札束の暴力で市場を独占しようとした結果がこれだ。
生鮮食品という『新しい価値』の前に、彼が買い占めた古い物資は文字通り腐り果て、彼の資金はただ空回りしただけで終わったのだ。
***
――同時刻。
ルナミス帝国の中央歓楽街にある、薄暗く豪奢な高級酒場『黒金亭』。
VIP専用の個室で、偽善勇者ゼロスはギリッと歯を食いしばり、テーブルを乱暴に叩いていた。
「クソッ、クソォォォッ!! あの生意気な田舎の事務員女め! 俺の『マネー』の買い占めが通じねえどころか、俺が買った物資が腐って大赤字だと!?」
ゼロスの足元には、すり減った厚底ブーツと、神の裏口座から横領して引き出した『残り少ない金貨の袋』が転がっていた。
莫大な資金を投じて買い占めた物資は無価値となり、彼は今、凄まじい焦りに駆られていた。
「落ち着きなされ、勇者殿。感情に任せて吠えても、金は戻ってきませんぞ」
向かいの席で、ワイングラスを傾けながら下劣な笑みを浮かべていたのは、ルナミス帝国の大商人であり、裏ギルドの元締めである男、ゴメスだった。
「うるせえ! お前を呼んだのは他でもねえ、あのアマの村を法的に潰すためだ!」
ゼロスは身を乗り出し、ゴメスに顔を近づけた。
「あの村が始めた『魔導保冷コンテナ』とやらの流通ルート。あれを、お前のギルドの権限で『帝国の安全基準を満たしていない違法取引』として差し止めろ! 俺の資金でギルドの役人を買収し、ポポロ村を完全に封鎖するんだ!」
ゴメスは太った顎を撫で、ニヤリと笑った。
「ククク……なるほど、経済封鎖ですか。勇者殿の資金力と、私の政治力があれば、あのような辺境の村など一週間で干上がりましょう。……ですが、役人を動かすには、それ相応の『裏金』が必要ですぞ?」
「金ならある! 神からのバックアップがな!」
ゼロスが強がって見せると、個室のドアがノックされ、店主が恭しく料理を運んできた。
「お待たせいたしました。こちら、当店自慢の特別なお通し『茹でロコシ』でございます。最近、大陸の一部で密かに流行している珍味でしてな」
皿に乗っていたのは、黄金色に輝く、ホカホカに茹で上がった一本のトウモロコシだった。
「ほう、美味そうな匂いだな」
ゼロスは苛立ちを紛らわすように、そのトウモロコシを手に取り、ガブリと齧り付いた。
プチンッ、と甘い汁が口の中に弾ける。
「……ん? なんだこれ、やけに美味えな。甘みが強くて、ついパクパク食っちまう」
ゼロスは止まらなくなり、あっという間にそのトウモロコシを半分以上平らげてしまった。
だが、彼は知る由もなかった。
この世界において、『ロコシ』と呼ばれる食材の恐ろしさを。
アナステシア世界には、食べると嘘がつけなくなり、親友同士のように心を開いてあらゆる秘密をペラペラと自白してしまう最凶の危険食材が存在する。
その名も――『ずっ友ロコシ』。
過去に私を陥れようとした悪徳商人や貴族たちも、このロコシの魔力に屈し、衆人環視の中で自らの汚職を暴露して自滅していった、いわば「自滅のトリガー」である。
それが今、何かの因果か、それとも神の采配か、ゼロスの口へと運ばれてしまったのだ。
「……さて、勇者殿。裏金の話ですが、具体的にどれほどの額を……」
ゴメスが話を切り出そうとした、その時だった。
「あー、その裏金なんだけどさァ!」
突然、ゼロスの口調が、酒場にいる親友に愚痴をこぼすような、やけにフランクなものに変わった。
「実は俺、もうあんまり手持ちがねえんだよ! 買い占めでスッカラカンになっちまってよォ!」
「……は? いや、先ほど『神のバックアップがある』と……」
「アッハハハ! あんなの嘘に決まってんだろ! 俺のスキル『マネー』の資金源なんてな、神界の炎上神ワイズの『裏口座』から、俺が勝手に横領してるだけの借金なんだよ! ワイズの奴、自分がPV稼げなくて予算ないくせに俺に無理ばっかり言いやがって、ホントに腹立つぜ!」
「なっ……!?」
ゴメスはワインを吹き出しそうになり、目を見開いた。
「ゆ、勇者殿!? 資金源が、神からの横領(借金)!? それは、真実ですか!?」
「真実も真実! 超真実だぜ、ゴメスゥ!」
ゼロスは『ずっ友ロコシ』の魔力によって完全に心のブレーキが壊れ、自分の最大の弱みを、今日初めて会った裏ギルドの元締めに向かって、満面の笑みでペラペラと自白し始めた。
「だからよォ、お前が立て替えてくれよ! あの村を潰してオリヒメを俺の女にしたら、村の利益で借金返してやるからさ! な? 俺たち、親友だろ!?」
ゼロスはゴメスの肩をバンバンと叩き、ゲラゲラと笑う。
(……こいつ、頭がイカれたのか!?)
ゴメスは冷や汗を流しながら、ゼロスの狂態を見つめていた。
だが、裏ギルドの元締めとして数々の修羅場を潜り抜けてきたゴメスの頭の中で、瞬時に冷酷な『計算』が弾き出された。
(神の口座からの横領……。こいつの資金力は偽物。しかも、この事実を全大陸ギルドにタレ込めば、こいつは勇者の権威を剥奪され、ただの犯罪者へと転落する。……待てよ? ここでこいつの借金地獄に巻き込まれるより、この情報をポポロ村の『オリヒメ』とやらに高く売りつけた方が、遥かに儲かるのではないか……?)
ゴメスは、目の前で「俺の厚底ブーツ、実は十センチも盛っててさぁ! 歩くたびに膝が痛くてよォ!」と笑いながら自白を続けるゼロスを見て、口角を吊り上げた。
「……ええ、ええ。分かりましたよ、親友(勇者殿)。あなたの秘密、確かに私が預かりました」
ゼロスは、私が彼に直接手を下すまでもなく、見下した相手の村を潰そうと焦るあまり、自らの足で最悪の『自爆スイッチ』を踏み抜いてしまったのだ。
『ずっ友ロコシ』による暴露の連鎖は、ここからさらに加速していく。
偽善と札束の暴力で塗り固められた勇者の仮面が、音を立てて崩れ去る瞬間は、もう目の前まで迫っていた。
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