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婚約破棄された社畜令嬢、追放先の村でのんびり善行通販していたら、人狼の最強執事に溺愛されて捨てた国は自滅しました  作者: 月神世一


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EP 4

夜の執務室と、明確な恋心の自覚

魔導保冷コンテナの導入により、『コールドチェーン(低温物流網)』という新たな武器を手に入れたポポロ村の経済は、偽善勇者ゼロスによる兵糧攻めを完全に無力化した。

だが、新しいインフラを稼働させるということは、それに伴う新しい実務が発生するということだ。

「ええと……明日の朝一番で王都へ向かう海産物のコンテナが五基。氷魔法石の魔力残量はそれぞれ八十パーセントだから、途中の補給拠点は……よし、中継地点のギルドに魔力充填を委託しましょう」

深夜の村長室。

魔導ランタンの柔らかな光に照らされながら、私は一人、デスクに広げた大量の羊皮紙と魔導計算機を相手に格闘していた。

静まり返った部屋に、私がペンを走らせる音と、計算機のカチャカチャという乾いた音だけが響いている。

前世の社畜OL時代、私が最も憎んでいたのが「深夜の残業」だった。

誰もいないオフィス。上司や他部署が散らかした尻拭いのための数字合わせ。どれだけ完璧に仕上げても「やって当たり前」と見下され、感謝されることすらなかった孤独な時間。

(でも……不思議ね。今は全然、嫌じゃない)

私はフッと息を吐き、背伸びをして凝り固まった肩を回した。

今、私が計算しているのは、村の農家さんたちが丹精込めて育てた朝採れ野菜を、一番高く、新鮮な状態で市場に届けるための最適なルートだ。

私の引いたこの一本の線が、村の人々の明日の笑顔に直結している。

誰かにやらされているのではない。私が、私の意志で、皆の生活を豊かにするためにやっているのだ。その充実感が、心地よい疲労と共に私を満たしていた。

「……やはり、まだ起きておられましたね」

不意に、静寂を破って低く甘い声が響いた。

ハッとして顔を上げると、ドアの枠に寄りかかるようにして、リバロンが立っていた。

完璧な燕尾服から上着を脱ぎ、タイを少しだけ緩めたラフなベスト姿。普段の隙のない執事の顔とは違う、夜の静寂に溶け込むような、少しだけ気怠げで色気のある佇まいだった。

「リバロンさん。どうして……もう休まれたと思っていました」

「我が愛しきワーカホリック(仕事中毒)のお嬢様が、深夜まで一人で戦っているというのに、私が呑気に眠れるはずがないでしょう?」

リバロンは呆れたように肩をすくめると、手に持っていた銀のトレイを私のデスクの空いたスペースにそっと置いた。

「夜食をお持ちしました。貴女がポイントでお取り寄せされた『ルナキン特製・厚焼き玉子サンド』と、疲労回復の陽薬草をブレンドした特製ポポロコーヒーです。……さあ、ペンを置いて。少し脳を休ませてください」

トレイからは、出汁の効いた厚焼き玉子の甘い香りと、深煎りコーヒーの芳醇な香りが漂ってきた。

私の胃袋が、キュルル……と小さな音を立てる。

「ふふ、お腹が空いていたのですね」

「うっ……恥ずかしいです」

私が赤くなって俯くと、リバロンは喉の奥で低く笑い、トングでサンドイッチを一つ摘み上げると、私の口元へと差し出してきた。

「さあ、あーん、して」

「えっ!? い、自分で食べられますから!」

「手がインクで汚れているでしょう? 私が食べさせて差し上げます。……それとも、執事の私から食べさせられるのは不服ですか?」

黄金の瞳が、悪戯っぽく、しかし逃げ場を塞ぐような熱を帯びて私を見つめる。

私は完全に退路を断たれ、顔から火が出るほどの羞恥に耐えながら、小さく口を開けた。

パクッ。

「……美味しい」

ルナキンの厚焼き玉子サンドは、ふわふわのパンに、少し甘めの出汁がじゅわっと染み込んだ玉子焼きが挟まっていて、深夜の疲れた脳に染み渡るような優しい味がした。

「それは何よりです」

リバロンは満足げに頷き、ナプキンで私の口元をそっと拭ってくれた。

その一連の動作があまりにも自然で、そして甘やかされていることに、私の心臓はトクトクと早鐘を打ち始めていた。

「オリヒメ様」

リバロンが、コーヒーのカップを手渡しながら、静かに口を開いた。

「あのような成金勇者の卑劣な『兵糧攻め』に対し、貴女は一切の怒りも絶望も見せず、ただ静かに『市場のアップデート』という完璧な一手を打ってみせた。……その折れない知性と、不屈の魂。貴女は本当に、恐ろしいほどに美しい人だ」

リバロンの大きな手が、私の頬をそっと包み込んだ。

「え……」

「前世で、貴女がどれほどの理不尽に耐え、どれほど孤独な夜を過ごしてきたのか……私は知る由もありません。ですが、貴女のその強さは、間違いなくその地獄が培ったものなのでしょう」

彼の手のひらから伝わる熱が、私の冷え切っていた心を溶かしていくようだった。

「私は、貴女のその強さを心から尊敬し、愛おしく思います。……ですが同時に、貴女がこれ以上、一人で戦わなくてもいいように、私が貴女のすべてを腕の中に囲い込んでしまいたくなるのです」

至近距離。

彼の顔が近づき、月の光を反射する黄金の瞳が、私だけを射抜く。

人狼特有の、純粋で、圧倒的な『雄』の独占欲。

それは、彼がこれまで向けてくれていた「忠誠」や「敬意」といった言葉では到底括りきれない、深くて重い感情の奔流だった。

「リバロン、さん……っ」

チュッ。

彼の唇が、私の額にそっと、羽のように触れた。

熱い吐息が前髪を揺らし、上品な紅茶と、彼の微かな野性の匂いが私の鼻腔をくすぐる。

「今夜は、このくらいで我慢しておきます。……ですがオリヒメ様。私がいつまでも『聞き分けの良い執事』でいられるとは思わないでくださいね。貴女の準備ができ次第、私は貴女を、私の妻として完全に独占するつもりですから」

低く、甘く、鼓膜を直接震わせるような囁き。

リバロンはそれだけ言い残すと、「おやすみなさいませ」と優雅に一礼し、静かに村長室を出て行った。

パタン、とドアが閉まる。

一人取り残された部屋の中で、私は顔を両手で覆い、机に突っ伏した。

「〜〜〜〜ッ!!」

心臓が、肋骨を突き破りそうなほどの勢いで暴走している。

顔が熱い。息が苦しい。

今まで私は、彼の甘い言葉やエスコートを「過保護な執事の冗談」や「からかわれているだけ」と、心のどこかで防波堤を作って受け止めていた。前世で誰にも愛されなかった私が、こんな完璧な人に愛されるはずがないという、無意識の自己防衛。

(でも……違う。違うわ)

額に落ちたキスの感触。

私を真っ直ぐに見つめる、あの黄金の瞳。

そして何より、彼に触れられた時、彼からの熱い言葉を聞いた時、私自身の心がどうしようもなく彼を求めてしまっているという事実。

(私……リバロンさんのことが、好きなんだ)

尊敬や、感謝や、信頼といった箱から、その感情は完全に溢れ出していた。

誰の目にも留まらなかった私を、一番価値ある存在だと認めてくれた人。

私が一人で戦う夜に、温かいコーヒーを淹れて寄り添ってくれる人。

明確な「恋心」の自覚。

それは、恋愛というものに縁がなかった社畜OLの私にとって、世界がひっくり返るほどの激しい動揺だった。

「ど、どうしよう……。明日から、どんな顔して彼に会えばいいの……っ」

私は真っ赤になった顔をデスクに擦り付けながら、深夜の村長室で一人、静かに悶絶した。

だが、その苦しさは、前世の孤独な残業とは全く違う、甘く、胸の奥を温かく満たすような、幸せな苦しさだった。

私の心の中の「恋愛ラダー(階段)」が、大きな音を立てて一段、確実に上へと登った瞬間だった。

***

――だが、私がそんな甘い動揺に浸っている一方で。

ポポロ村の外縁部、闇に包まれた街道には、どす黒い悪意が渦を巻いていた。

「……クソッ! 買い占めが通じねぇなら、あのアマの流通網を法的に根こそぎ封鎖してやる!」

偽善勇者ゼロスは、懐から魔導通信石を取り出し、ギラギラと血走った目で誰かと通信を繋いでいた。

『……おや、勇者ゼロス殿。こんな夜更けに通信とは、何の御用で?』

通信の先から聞こえてきたのは、ルナミス帝国の中央で絶大な権力を持つ、大商人(裏ギルドの元締め)のしわがれた声だ。

「おい、俺の『マネー』であの村の利権を全部買うって話、お前も一枚噛め。裏金はいくらでも積んでやる。……あの女が始めた『保冷コンテナ』とやらの流通を、帝国ギルドの権限で『未認可の違法取引』として差し止めろ」

ゼロスは下劣な笑みを浮かべた。

「俺の圧倒的な資金力と、お前の政治力。この二つが合わされば、あんな田舎村のインフラなんて一瞬で紙切れだ。……そうだろ?」

『ククク……なるほど。勇者殿の莫大な資金がバックにあるなら、ギルドの法を捻じ曲げることなど造作もありませんな。契約、成立です』

ワイズの裏口座から横領した莫大な資金を使い、法と権力を金で買い叩こうとする偽善勇者。

だが、彼は決定的な事実を見落としていた。

悪意に満ちた密約を交わす彼らが、数日後、絶対に嘘がつけなくなるアナステシア世界の最凶の自滅装置……『ずっ友ロコシ』の罠に自ら足を踏み入れることになるということを。

読んでいただきありがとうございます。

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