EP 3
善行通販・魔導コールドチェーンと逆転の流通網
偽善勇者ゼロスによる「札束ビンタ」の買い占め攻撃が始まってから二日が経過した。
ポポロ村の広場は、普段の活気が嘘のように静まり返っていた。
無理もない。村に運び込まれるはずのポポロ・コーヒーの生豆、保存用の穀物、月光薬の材料に至るまで、村の入り口で待ち構えているゼロスとその手下たちによって、相場の三倍という異常な価格で片っ端から買い叩かれているのだ。
商人たちも商売である以上、目の前に積まれた莫大な金貨の誘惑には抗えない。結果として、村のプレハブ倉庫の在庫は急速に底をつき始めていた。
「くっそー……! あの厚底成金野郎、本当に村に入る荷車を全部ストップさせてるよ!」
村長室の窓から外を睨みつけ、キャルルがギリッと歯を食いしばる。
「オリヒメ、私やっぱり行ってくる! あいつの自慢のピカピカ鎧ごと、月影流で地平線の彼方まで吹っ飛ばしてやる!」
「ダメですよ、キャルル。手を出せば相手の思う壺です」
私はデスクに広げた白紙の企画書に向かいながら、冷静に親友を制止した。
「でもさぁ! このままじゃ、ゴルド商会への納品も止まっちゃうし、村のみんなの冬越しの備蓄だってヤバいよ! リーザのライブだって、売るモノがなきゃただの無料コンサートになっちゃうし!」
「そうですわ! 私の歌で集まったお客様に、買ってもらう商品がないなんて、スパチャアイドルとして痛恨の極みですの!」
ソファの上で、リーザが芋ジャージの膝を抱えて涙目になっている。
「……ご安心を。我が主の瞳には、一切の焦りも絶望も浮かんでおりません」
リバロンが、完璧な温度で淹れられた陽薬茶を私のデスクにそっと置きながら、静かに微笑んだ。
「彼女のこの静けさは、盤面を完全にひっくり返す『次の一手』がすでに計算し尽くされている証。ですよね、オリヒメ様?」
「ふふっ、リバロンさんにはお見通しですね」
私はペンを置き、手元にあった『エンジェルすまーとふぉん』の画面を立ち上げた。
前世で、理不尽な上司や取引先にプロジェクトを潰されそうになった時、私がどうやって生き延びてきたか。
それは「相手の土俵で戦わない」ことだ。
相手が資金力で既存のルートを買い占めるなら、相手が手も足も出ない『全く新しいルートと価値』を作り出せばいい。
「キャルル、リーザちゃん。ポポロ村は今日から、経済の次元を一つ上のステージへ引き上げます」
私は画面をタップし、これまで蓄積してきた莫大な善行ポイントを解放した。
村の広場に、巨大な魔法陣が展開される。
「な、なんだ!? 何が起きるんだ!」
広場で途方に暮れていた商人たちや村人たちが驚きの声を上げる中、光の渦から次々と出現したのは、真っ白な塗装が施された、巨大な『箱』の群れだった。
ドワーフの魔導工学と現代地球の概念が融合したその箱からは、ひんやりとした冷気が白い靄となって漂っている。
「これは……『タローマン製・魔導保冷コンテナ(コールドチェーン仕様)』です!」
私が村長室から広場へと降り立ち、胸を張って宣言すると、商人たちは目を丸くした。
「ほ、保冷……コンテナ?」
「はい。内部に強力な『氷魔法石』の冷気循環システムを搭載し、中の温度を常に一定の低温状態に保つことができる魔法の箱です。これを荷馬車に積載すれば、今までこの世界では絶対に運べなかったものが流通可能になります」
私はコンテナの一つを開け放った。
中には、私がポイントで試験的に取り寄せた、シーラン海で獲れたばかりの『新鮮な海の幸』や、ルナキン農園で採れた『朝摘みシャキシャキ野菜』、そして最高級の『ロックバイソンの生肉』が、氷の冷気に包まれて鮮度を完璧に保ったまま鎮座していた。
「なっ……! 海から何日も離れたこの内陸の村に、生の魚が!? しかも、全く腐ってないぞ!」
「この生肉もだ! 普通なら一日で色が変わっちまうのに、まるで今さばいたばかりみたいに新鮮だ!」
商人たちの間に、どよめきと興奮が走った。
このアナステシア世界において、生鮮食品は「その土地でしか食べられない」のが常識だった。干物や塩漬けにしなければ長距離輸送は不可能であり、それゆえに内陸の貴族たちは、新鮮な海産物を喉から手が出るほど欲しがっていたのだ。
「そうです。ゼロスが買い占めているのは、常温で保存が利くコーヒー豆や穀物などの『既存の物資』だけです。しかし、この魔導保冷コンテナを使った『コールドチェーン(低温物流網)』を使えば、新鮮な海産物や生肉という、圧倒的に高付加価値な商品の取引が可能になります!」
私の声に、商人たちの目の色が完全に変わった。
「す、すげえ……! この生の魚を王都に運べば、貴族連中が金に糸目をつけずに買い漁るぞ!」
「穀物を三倍で売るより、こっちの流通ルートに乗ったほうが、桁違いの利益が出るじゃねえか!」
「オリヒメ様! 俺の馬車にもその箱を積ませてくれ! シーラン国の港までひとっ走りしてくるぜ!」
商人たちが、ゼロスに買い占められた穀物のことなど完全に忘れ去り、我先にと私の前に列を作り始めた。
「慌てないでください。コンテナの数は十分にあります。まずは、近隣の農家さんたちが朝採れ野菜を運べるように手配しましょう」
「す、すごい……! お姉様、本当に魔法使いみたいですわ!」
リーザが目を輝かせて拍手喝采している。
「へへっ、さすがオリヒメ! あの金ピカ厚底野郎の嫌がらせなんて、全く意味なくなっちゃったね!」
キャルルも痛快そうに笑った。
「……見事です」
背後で、リバロンが深い感嘆の息を漏らした。
「敵の『兵糧攻め』に対して、同じ土俵で資金戦を挑むのではなく、市場そのものをアップデートして無力化する。しかも、この保冷技術は、周辺の貧しい村々に新鮮な食料や薬を届けることにも繋がる。……貴女は、ご自身の反撃すらも『善行』へと変えてしまわれるのですね」
彼の黄金の瞳が、私だけを真っ直ぐに捉え、熱っぽい光を放つ。
「ああ……貴女のその眩しさに触れるたび、私は執事としての分を忘れ、一人の男として貴女をこの胸に強く抱きしめたくなるのです」
耳元で囁かれた極甘の言葉に、私の顔は一瞬でリンゴのように真っ赤に染まった。
「り、リバロンさん……っ、みんな見てますから、そんなに顔を近づけないで……っ!」
私がパニックになって後ずさると、彼は喉の奥で低く笑い、私の手を取って優雅に口づけを落とした。
***
――一方、村の入り口。
魔導保冷コンテナの導入により、村の経済が別次元へとシフトしたことなど露知らず、偽善勇者ゼロスは、買い占めた穀物や豆の山に囲まれてふんぞり返っていた。
「アッハハハ! 今日も大量の物資を買い占めてやったぜ! どうだ、そろそろあの田舎の事務員女も、泣きべそかいて俺のブーツを舐めにくる頃だろう!」
ゼロスが厚底ブーツをガションと鳴らして高笑いしていると、見張りをしていた護衛が慌てた様子で駆け寄ってきた。
「ぜ、ゼロス様! 大変です! 商人たちが、誰もこっちに見向きもしなくなりました!」
「あァ? どういうことだ。相場の三倍で買ってやるって言ってんだぞ?」
「それが……あの村の女が、何やら『冷たい箱』を用意したらしく、商人たちはみんな、海産物や生肉の輸送に夢中で……。俺たちが買い占めた古い穀物なんて、もう誰も欲しがらないんです!」
「な、なんだとォ!?」
ゼロスは目を見開き、自分が買い占めた「常温保存の物資」の山を振り返った。
膨大な金貨をつぎ込んで手に入れたその山は、新しいコールドチェーンの流通網が完成した今、ただの「かさばる在庫」へと成り下がっていたのだ。
「ふざけるなッ! 俺のスキル『マネー』の買い占めが、たかが事務員の女に破られたってのか!? こんなこと、神が許すわけねえだろうが!」
ゼロスの顔が、怒りと屈辱で醜く歪む。
彼が見下していた「田舎の事務員」の知恵とインフラは、彼の薄っぺらい資金力をいとも簡単に凌駕してしまったのだ。
「……クソッ! こうなったら、強行手段に出るしかねぇ。あの女の流通網を、法的に根こそぎ封鎖してやる!」
ゼロスは懐の魔導通信石を握りしめ、ギリッと歯を食いしばった。
彼の卑劣な陰謀はまだ終わらない。だが、彼が足掻けば足掻くほど、その足元には『見下した因果』という名の破滅の落とし穴が、深く、確実に掘り進められているのだった。
そして神界では、カグヤが「よし! コールドチェーン構築でPV大爆発ですわーっ!」と歓喜の舞を踊り、さらなる莫大な予算をオリヒメに注ぎ込む準備を整えていた。
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