EP 2
札束ビンタと勇者の見下し
「徹底的に兵糧攻めにしてやるから覚悟しろ」
偽善勇者ゼロスが厚底ブーツをガションと鳴らして宣言した直後から、ポポロ村の広場は異様な空気に包まれ始めた。
「おい、そこの商人! その荷馬車に積んでるのは、ポポロ・コーヒーの生豆だな? ここに納品する予定だったものを、俺が全部買い取ってやる。……相場の三倍の価格でな!」
ゼロスが指を鳴らすと、屈強な護衛が金貨の詰まった革袋を商人の足元へ無造作に放り投げた。
チャリンッ! という重々しい音が響く。
「さ、三倍!? ひゃ、百金貨が三百金貨に……!?」
「そうだ。ルナミス帝国から運ばれてきた『月光薬』の材料も、ポポロ村で消費される予定の小麦や肉も、すべて俺が買い占める。売らねぇってんなら、勇者の権限でこの街道の通行許可を取り消すぞ!」
ゼロスの横暴な脅しと、圧倒的な札束ビンタ。
商売で生計を立てている商人たちにとって、相場の三倍という破格の買取価格は、悪魔の誘惑だった。
「も、申し訳ねえ、オリヒメ様! 三倍と言われちゃあ、俺たちも背に腹は代えられねえ!」
「許してくれ、これも商売なんだ!」
次々と、ポポロ村に納品されるはずだった物資が、ゼロスの馬車へと積み替えられていく。
「アッハハハハ! 見たか、オリヒメ! これが俺のユニークスキル『マネー』の力だ! 金の力の前じゃあ、お前がチマチマと築き上げた『信用』なんて紙切れ同然なんだよ!」
ゼロスはピカピカの聖騎士の鎧を揺らし、下劣な高笑いを上げた。
「ちょっと! なに勝手なことしてんのさ! この村の物流を妨害する気!?」
キャルルがウサギ耳を逆立ててトンファーを構えるが、ゼロスは鼻で笑った。
「妨害? 人聞きの悪いことを言うなよ、ウサギ村長。俺はただ『正当な取引』をしてるだけだぜ? 商人どもは納得して俺に売った。法的に何の問題もねえ」
ゼロスは得意げに胸を張り、私の方へ歩み寄ってきた。ガション、ガションと、十センチはあるシークレットブーツが重苦しい音を立てる。
だが、その時。
彼と私の間に、芋ジャージ姿のリーザがトテトテと割り込んできた。
「あのぉ、ちょっといいですの?」
「あァ? なんだお前は。……ほう、お前が噂のアイドルか。俺がこの村を買い取った暁には、俺の専属としてベッドで歌わせてやるよ」
ゼロスが下品な視線をリーザに向けるが、彼女は全く意に介さず、首を傾げて彼の足元を指差した。
「それより、その靴、すっごく歩きにくくないんですの?」
「……は?」
「だって、底がレンガみたいに分厚いですわよ? しかも、歩くたびに膝が全然曲がってなくて、ロボットみたいにガションガション言ってますし。足首、グキッていきそうですわ! 痛くないんですの?」
純真無垢な瞳での、ド直球すぎるツッコミ。
ゼロスの顔が、一瞬で茹でダコのように真っ赤になった。
「ばっ、バカ野郎! これは勇者専用の聖なるブーツだ! 決して背を高く見せるためとか、そういう浅ましい理由じゃねぇ!」
「えっ、でもそれ、ルナミスデパートの『こっそり身長アップ・シークレット靴コーナー』で売ってたのと同じデザインですわよ? 私、テスターの化粧水を塗りに通ってたから知ってますの!」
「黙れェェェッ!!」
図星を突かれたゼロスが激怒し、リーザに向かって手を振り上げようとした。
――だが、その腕が振り下ろされることはなかった。
「……そこまでです。その汚い手を一ミリでも動かせば、貴様の腕は肩から切り離されることになりますよ」
氷点下の声。
いつの間にか、リバロンがゼロスの背後に音もなく立ち、彼の首筋に『名刺刃』をピタリと添えていた。
黄金の瞳からは、一切の感情が消え失せ、ただ純粋な『殺意』だけが静かに燃えている。
「ヒッ……! じ、人狼……!」
「我が主の築き上げた市場を、汚い金で荒らしたばかりか、客人にも手を上げようとする。……万死に値する愚行ですね。オリヒメ様、ご許可を。こいつの首を切り落とし、シーラン海のマグローザの餌にしてまいりましょうか」
リバロンの放つ圧倒的な闘気に、ゼロスの護衛たちも顔面蒼白になり、一歩も動けなくなっている。
だが、私はスッと手で制した。
「いけません、リバロンさん。彼らはまだ『暴力』は振るっていません。ここで私たちが手を出せば、それこそ『勇者に暴行を働いた野蛮な村』として、彼に付け入る隙を与えることになります」
「……御意。貴女がそう仰るのであれば」
リバロンは名刺刃を引き、スッと私の傍らへ戻ってきた。だが、その目は依然としてゼロスを狩りの獲物として睨み据えている。
命拾いしたゼロスは、冷や汗を拭いながら強がって見せた。
「ク、ククク……そうだ、暴力は感心しねぇな。だが、経済の暴力からは逃げられねぇぞ!」
ゼロスは私を指差した。
「おい、オリヒメ。お前みたいな地味で貧相な田舎の事務員風情が、頭を使ってシステムを作ったつもりだろうがな。金がなきゃモノは動かねぇんだよ!」
彼は、勝ち誇ったように私を見下した。
「これから毎日、この村に入ってくる物資を全部俺が買い占めてやる。在庫が尽き、商人たちが離れていけば、この村は一週間で干上がる。そうやって泣いて土下座して、俺に全てを譲り渡す日を楽しみに待ってるぜ!」
そう言い残すと、ゼロスは不格好に厚底ブーツを鳴らしながら、護衛たちと共に去っていった。
広場には、彼が強引に買い占めていった空っぽの荷馬車の跡と、困惑する村人たちだけが取り残された。
「……最悪だ。あんな成金勇者のせいで、ゴルド商会に納品する予定だったコーヒー豆の在庫がショートしちゃうよ」
キャルルがギリッと歯を食いしばる。
「私のせいなら、ごめんなさいですの……。さっき、靴のこといじっちゃったから……」
リーザがしゅんとしてウサギ耳(人魚だが)を垂らしている。
「リーザちゃんのせいじゃないわ。彼は最初から、この村の経済を破壊する目的で来たのよ」
私は冷静に状況を分析していた。
彼の言う通り、このままでは村の在庫は数日で底をつく。ゴルド商会への納品が滞れば、ポポロ村の「物流拠点」としての信用は地に落ちるだろう。
それが、炎上神ワイズの差し金であるゼロスの狙いだ。力ではなく、金による兵糧攻め。
(前世でも、大企業が資金力にモノを言わせて、下請けの材料を買い占めて干上がらせるような嫌がらせがあったわね。……ほんと、どこに行っても見下してくる奴のやることは同じね)
「オリヒメ様……。やはり、私が夜の闇に乗じて、あの男を社会的に抹殺してまいりましょうか」
リバロンが、私の心情を慮ってか、酷く冷たく危険な声で提案してくる。
「ダメですよ、リバロンさん。そんなことしたら、私たちが犯罪者になってしまいます」
私はふっと息を吐き出し、胸ポケットから『エンジェルすまーとふぉん』を取り出した。
「相手が『金』で今あるルートを塞ぐなら……私たちは『知恵』で、彼が手を出せない新しいルートと新しい価値を作ればいいだけのことです」
ゼロスが買い占めたのは、あくまで「常温で運べる保存のきく物資(コーヒー豆や穀物)」だ。
なぜなら、この世界にはまだ『冷蔵・冷凍輸送』の技術が確立されていないからだ。
「キャルル、リーザちゃん。村の皆さんに伝えてください。……ポポロ村は明日から、今までこの大陸の誰も扱えなかった『新しい特産品』の流通を始めます、と」
「えっ? 新しい特産品?」
「はい。ゼロスの買い占めなんて追いつかないくらいの、莫大な価値を持つものを」
私の目には、社畜OL時代に培った『逆境を覆すための企画力』の炎が静かに燃え上がっていた。
彼が自分の資金力を見せびらかし、私を「田舎の事務員」と見下したその傲慢さこそが、彼自身を破滅させる『因果の落とし穴』となるのだ。
神界のモニター越しに、女神カグヤが「よっしゃあ! オリヒメちゃんの本気ターンキター!」とペンライトを振って狂喜乱舞している様子が、目に見えるようだった。
反撃の狼煙は、静かに、しかし確実に上がろうとしていた。
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