EP 8
夜のステージと執事の独占欲
フェスを翌日に控えた、前夜のこと。
村の広場からは人波が引き、静かな虫の音だけが秋の夜風に乗って響いていた。
タローマン製の『魔導特設ステージ』は、すでに魔導LEDランタンの試運転を終え、暗闇の中に黒々とした威容を潜めている。
「スピーカーの魔力伝導ケーブルよし。照明のバックアップ電源よし。……屋台の搬入ルートも、これなら問題ないわね」
私は手に持ったクリップボード(タローマン製)にチェックを入れながら、一人でステージ裏の配線や導線の最終確認を行っていた。
前世のブラック企業時代、イベントの前日は決まって私が一人で会場に残り、日付が変わるまで設営の不備やトラブルの種を潰して回っていた。誰も見ていない裏方の仕事。誰にも感謝されない地味な作業。だが、ここで手を抜けば明日本番で泣くのは自分であり、楽しみに来てくれたお客さんなのだ。
(あの頃の癖が抜けないわね。……でも、今回はやらされてるんじゃない。私が、私の意志で、この村とリーザちゃんのために成功させたいからやっているんだわ)
フゥ、と息を吐き出すと、白い吐息が夜の空気に溶けて消えた。
国境の村の夜は、秋口ともなると想像以上に冷え込む。私は思わず、薄手のブラウスの肩をさすって身震いをした。
「……こんな夜更けまで、何をしておいでですか。我が愛しきワーカホリック(仕事中毒)のお嬢様」
不意に、背後からふわりと、上質な布地が私の肩に掛けられた。
「えっ……?」
驚いて振り返ると、そこには完璧な燕尾服から上着を脱ぎ、ベスト姿になったリバロンが立っていた。
私の肩を包み込んだのは、彼が直前まで着ていた背広だった。体温の残る布地から、彼特有の清廉で上品な紅茶の香りと、ほんの少しの野性的な匂いが漂ってくる。
「リ、リバロンさん。どうしてここに? 明日に備えて、もう休んでいるはずじゃ……」
「キャルル様とリーザは、明日の本番に向けて熟睡しております。ですが、私が眠れるはずがありません。私が心からお仕えする絶対の主が、こんな夜風の中で一人、冷たい機材と睨めっこをしているのですから」
リバロンは、もう片方の手で持っていた銀のトレイから、湯気を立てる美しいティーカップを取り出し、私に手渡した。
「夜の冷え込みを計算した、深煎りのポポロコーヒーです。疲労回復の陽薬草を極薄くブレンドしております。……どうぞ、体を温めてください」
「ありがとうございます……」
両手でカップを受け取り、一口飲む。
芳醇なコーヒーのコクと、陽薬草の微かな清涼感が、冷え切った体にじんわりと染み渡っていく。細胞の一つ一つが解きほぐされるような、完璧な一杯だった。
「美味しい……。リバロンさんの淹れてくれるコーヒーを飲むと、どんな疲れも吹き飛んじゃいますね」
私が自然と微笑みを浮かべると、リバロンは黄金の瞳を細め、長い指で私の肩に掛けた背広の襟元をそっと直した。
「貴女は、ご自身を粗末に扱いすぎます。前世とやらで、どれほど過酷な労働を強いられてきたのか……その一端を垣間見るたび、私はその世界を滅ぼしたくなる衝動に駆られますよ」
「そんな、大げさですよ。私は裏方が性に合っているんです。リーザちゃんみたいにステージで輝くことはできないけれど、彼女が一番輝ける場所を作ることはできるから」
私が照れ隠しにクリップボードを抱え直すと、リバロンの大きな手が、私の頬をそっと包み込んだ。
「……っ」
「いいえ。貴女は誰の目にも見えない場所で、誰よりも美しい光を放っている」
彼の手のひらの熱が、私の頬に伝わってくる。逃げ場のない至近距離で、人狼族の強烈な『雄』の気配が私を包み込んでいた。
「貴女は、泥にまみれた村を黄金の都に変え、居場所を失った王女にステージを与えた。貴女が采配を振るうその手腕、その慈愛こそが、このポポロ村の真の光です。……貴女は誰にでも、輝ける場所を与えることができる」
リバロンの顔が、ゆっくりと近づいてくる。
彼の端正な顔立ちが月明かりに照らされ、黄金の瞳が、私だけを射抜くように熱く燃えていた。
「ですが……貴女ご自身の居場所は、どうか私の隣から、一歩も動かさないでいただきたい。貴女のすべてを私だけのものとして、この先永遠に、私の腕の中で甘やかさせてください」
低く、甘く、胸の奥を直接震わせるような囁き。
執事としての絶対的な忠誠と、一人の男としての猛烈な独占欲が入り混じった言葉に、私の心臓は爆発しそうなほどの音を立てた。
「り、リバロンさん……っ、顔、近いです……」
私が顔を真っ赤にして俯くと、彼は喉の奥で低く笑い、私の額にそっと、羽が触れるような口づけを落とした。
「本番は明日です。今夜はこれくらいで我慢しておきましょう。……さあ、冷える前に村長室へ戻りますよ。最後の戸締まりと警備網のチェックは、私が完璧にこなしておきますから」
「は、はい……」
私はリバロンの背広をしっかりと握りしめたまま、彼の優雅なエスコートに引かれて、ステージ裏を後にした。
前世で、誰もいないオフィスで一人ぼっちで泣きそうになりながら仕事をしていた私。
でも今は、私が頑張ったことを誰よりも高く評価し、大切にしてくれる人が隣にいる。その事実が、私に明日への底知れぬ活力を与えてくれていた。
***
――その頃。
村の広場から少し離れた暗がりに、卑劣な笑みを浮かべる男たちが潜伏していた。
悪徳プロモーター・ガレオンの手下たちだ。
「……チッ。あの執事と人間の女がイチャつきやがって。隙を見てステージの配線を切ってやろうと思ったが、あの執事の闘気感知エリアに入り込めねぇ」
男の一人が、舌打ちをしながら苛立たしげに呟く。
「焦るな。俺たちには、社長から預かったとっておきの切り札がある」
もう一人の男が、ドス黒い瘴気を放つ布袋を不敵に持ち上げた。
「『腐敗特化型・ネタキャベツ』だ。明日のフェス本番……あの芋ジャージの小娘がステージで一番盛り上がってる瞬間に、こいつを客席のど真ん中に投げ込んでやる。強烈な悪臭と、この村の嘘っぱちの暴露話で、フェスは一瞬で地獄絵図だ」
「ククク……違いない。商人どもも一目散に逃げ出し、村の信用は地に落ちる。そして借用書を盾に小娘を拉致し、この村の物流利権も丸ごとガレオン商会がいただくって寸法だ」
彼らはニヤニヤと下劣な笑みを交わし合いながら、闇の中へと姿を消していった。
だが、彼らは知らない。
この世界において、善意で構築された完璧なシステム(エコシステム)に対し、小手先の悪意や嫌がらせなど、自らを破滅させるための『自爆スイッチ』にしかならないということを。
そして、彼らの企みすらも、神界のモニター越しに女神カグヤがポップコーンを片手に見下ろしており、「さあ、最高のざまぁの準備が整いましたわ!」と歓喜の声を上げていることなど、知る由もなかったのだ。
読んでいただきありがとうございます。
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