EP 3
餌付けとプライド、そしてルナキン特大ハンバーグ
「んんっ……。なんだか、とっても良い匂いがしますわ……」
ポポロ村の村長室。
ふかふかのソファの上で、芋ジャージ姿のリーザがゆっくりと瞼を開けた。
気絶から目覚めた彼女の鼻腔をくすぐったのは、パンの耳や公園の雑草サラダとは次元の違う、暴力的とも言えるほど濃厚な肉の脂と、香ばしいソースの香りだった。
「目が覚めましたか、リーザちゃん」
私が声をかけると、リーザはバッと身を起こした。
彼女の視線の先――ローテーブルの上には、私が『エンジェルすまーとふぉん』でポイントを使ってお取り寄せした【ルナキン特製・超特大チーズインハンバーグ定食(大盛りライス・サラダ・コーンスープ付き)】が、湯気を立てて鎮座していた。
ジュウウゥゥッ!と熱々の鉄板の上で、ロックバイソンの粗挽き肉から肉汁が溢れ出している。ソーリーフ(ソース味の葉)で作られた特製デミグラスソースが焦げる匂いに、リーザの喉が「ゴクリ」と限界の音を鳴らした。
「さあ、どうぞ。温かいうちに食べてくださいね」
私が優しく促すと、リーザの目はハンバーグに釘付けになり、震える手がフォークへと伸びかけた。
だが――。
「……っ! い、いけませんわ!」
彼女はバチン!と自分の両頬を叩き、ギュッと目を閉じて顔を背けたのだ。
「私は、歌で世界を救う絶対無敵のスパチャアイドルですの! アイドルは、ファンに夢を与える存在! 決して、無償の施し(タダ飯)は受けない主義なんですのよ!」
「でも、さっき広場で倒れちゃったじゃない。強がんなくていいって」
キャルルが横から呆れたように言うが、リーザは頑として首を縦に振らない。
「嫌ですわ! 施しを受けてしまったら、私はただの『芋ジャージを着た哀れな家出少女』になってしまいますの! 私には、アイドルとしての誇りがありますのよ!」
グゥゥゥゥルルルルッ……!
誇り高き宣言の直後、彼女のお腹が悲鳴のような大音量を奏でた。リーザは涙目で腹を押さえ、「うるさいですわ、私の胃袋……!」と必死に耐えている。
(……なんて不器用で、真っ直ぐなプライドなの)
前世の私なら、「意地を張らずに食べればいいのに」と冷めた目で見ていたかもしれない。
でも、今の私にはわかる。彼女がこの異国で、たった一人で地下アイドルとして極貧ポイ活生活を生き抜いてこられたのは、その『誇り』という一本の芯があったからこそなのだ。
それを「かわいそうだから」という同情で折ってしまうのは、彼女の生き方を否定することになる。
ならば、彼女のプライドを傷つけずに、このハンバーグを食べさせる『理由』を作ればいい。
私は社畜OL時代、気難しい取引先や、プライドの高い上司を動かすために使っていた『企画提案』のスイッチを切り替えた。
私はコホンと咳払いをして、居住まいを正した。
「リーザちゃん。少し、誤解があるようです」
「……誤解、ですの?」
「ええ。これは決して『施し』ではありません。私――ポポロ村の物流責任者から、アイドルである貴女への『正式な業務委託(お仕事)』です」
「お、お仕事……!?」
リーザのウサギのような耳(人魚だが)がピクッと反応する。
「現在、ポポロ村は物流拠点として急成長しており、商人や農家の皆さんの労働環境改善が急務となっています。そこで、ルナミス帝国で大人気の『ルナキン』の食事を、福利厚生として導入する計画を立てているのです」
私は手元のバインダー(白紙だが)をめくりながら、いかにもプロフェッショナルな顔つきで続けた。
「しかし、本格導入の前に、そのボリュームや味、疲労回復効果についての『モニター調査』が必要不可欠です。そこで、過酷なステージをこなす体力と、豊かな表現力を持つ貴女に、第一号の『試食モニター』としてPR協力をお願いしたいのです」
「し、試食モニター……! 私に、PRのオファーですの!?」
リーザの顔に、ぱぁぁっ!と輝かしい光が差し込んだ。
地下アイドルとして、パンの耳と無料の炊き出しで食い繋いできた彼女にとって、「企業からの公式PR案件」は、喉から手が出るほど欲しい『実績』に他ならない。
「はい。もちろん、報酬はこの『超特大チーズインハンバーグ定食』の現物支給となります。……受けていただけますか?」
私が尋ねると、リーザは感極まったように立ち上がり、深々と頭を下げた。
「お受けしますわ! このスパチャアイドル・リーザ、魂を込めてモニター業務を全うしてみせますの!」
リーザは勢いよくソファに座り直すと、「いただきますわ!」と両手を合わせ、フォークとナイフを構えた。
ナイフを入れた瞬間、中からトロットロの黄金色のチーズと、透明な肉汁が滝のように溢れ出す。
それを大きめに切り出し、ライスと一緒に口の中へ放り込んだ。
「――――ッ!!?」
リーザの目が、限界まで見開かれた。
「お、美味しい……! 何ですのこれ、お肉の旨味が爆発していますわ! ソースのコクが、チーズのまろやかさと絡み合って……これに比べたら、昨日タローソンの前で野良犬と奪い合った廃棄弁当なんて、ただの生ゴミですわぁぁっ!」
「あはは、野良犬と争ったのは忘れていいよ」
キャルルが苦笑する中、リーザはもう止まらなかった。
「ライスが進みますわ! サラダのドレッシングも最高! ああ、パンの耳じゃない、本物のご飯……私、生きててよかったですわぁぁっ!」
涙と鼻水を流しながら、光の速さで大盛りライスと特大ハンバーグを吸引していく。
まさに、餌付け完了の瞬間だった。
「ぷはぁっ! ごちそうさまでしたの! 完璧なPRコメント、後で提出しますわ!」
お腹をポンポコリンに膨らませたリーザは、ソファの上で幸せそうに仰向けにひっくり返った。
そして、私の手をギュッと握りしめ、キラキラした瞳で見上げてくる。
「オリヒメお姉様! 私、お姉様のためなら何でもしますわ! ファンクラブの会員番号0番(名誉会長)の座を差し上げますの!」
完全に陥落した極貧アイドルの姿に、私は「ふふっ、ありがとう」と優しく微笑み返した。
「……見事な手腕ですね、オリヒメ様」
その時、部屋の隅で静かに控えていたリバロンが、スッと私の背後に歩み寄ってきた。
彼は純白のハンカチを取り出すと、リーザに握られた私の手をそっと引き寄せ、肉の脂がつかないように丁寧に拭き取っていく。
「相手の『自尊心』という最も厄介な感情を、一切傷つけることなく保護し、その上で見事に利益(食事)を提供してみせた。ただの慈善では人は甘えるか反発するのみ。貴女は『仕事』という名目を与えることで、彼女の心すらも救済したのですね」
リバロンの黄金の瞳が、私を覗き込み、熱っぽい光を帯びて細められた。
「完璧な人事管理です。ああ……貴女のその賢さと優しさに触れるたび、私は執事としての理性を保つのが困難になっていく。どうしてくれるのですか」
耳元で、低く、甘い声で囁かれる。
彼の手のひらが、ハンカチ越しではなく、直接私の指先に絡め取られ、優しく口づけが落とされる。
「リ、リバロンさん……っ、からかわないでください。私はただ、彼女に元気になってほしかっただけで……」
「ええ、知っています。貴女のその無自覚な慈愛こそが、私を最も狂わせるのだと」
「ちょっとリバロン! あんたまたドサクサに紛れてオリヒメに触ってるでしょ! 離れなさいよ!」
キャルルが怒って間に割り込んでくる。
「キャルルちゃん……お腹いっぱいですわ……むにゃむにゃ……」
ソファの上では、すっかり幸せな夢の世界へ旅立ったリーザが、芋ジャージ姿で無防備に丸まっていた。
(賑やかになったわね)
私は二人のやり取りに苦笑しながら、心地よい疲労感と共に、この新しい『仲間』の寝顔を見つめていた。
***
――だが、この幸せな風景から少し離れた場所で。
ポポロ村の広場を見下ろす物見櫓の影に、下劣な笑みを浮かべる男たちが潜んでいた。
「……間違いない。あの芋ジャージの女は、うちの地下カジノの専属アイドルだったリーザだ。そして、あの人間の女……天野オリヒメが、この村の物流を仕切ってるってわけか」
魔導通信石に向かって、男が報告を入れる。
『ククク……良い獲物を見つけたな。その人間の小娘が作っている物流インフラ、我々ガレオン商会が丸ごと乗っ取ってやる。ついでに、そのアイドルの女も借金のカタに捕まえて、死ぬまで地下ステージで歌わせろ』
通信石の向こうから響くのは、隣街を牛耳る悪徳エンタメプロモーター・ガレオンの強欲な声だ。
『田舎者の素人商売が、プロの興行師の前にどれだけ無力か、思い知らせてやれ』
新たな『見下す者』の悪意が、ポポロ村に照準を合わせていた。
だが彼らは知らない。この村には、絶対的な武力と冷徹な法、そして何より――誰も蹴落とさずに因果を巡らせる、神の『善行システム』が存在しているということを。
読んでいただきありがとうございます。
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