第二章 芋ジャージと健康サンダルの来訪者
芋ジャージと健康サンダルの来訪者
ポポロ村の秋空は、どこまでも高く澄み渡っていた。
かつて私を「書類整理係の無能な人間」と見下し、婚約破棄を突きつけた傲慢な獅子耳の男が、自身の無能さから領地を破綻させ、今頃シーラン国の『マグローザ漁船』で借金奴隷としてチンチロリンを振っているという噂を聞いてから、数日が経った頃。
村の広場にそびえ立つ『タローマン製・魔導プレハブ倉庫』は、今日も活気に満ち溢れていた。
「オリヒメ様。本日のポポロ・コーヒーの出荷分、ルナミス帝国の商業ギルドへの積載が完了いたしました。帳簿の数字も一寸の狂いもございません」
「ありがとうございます、リバロンさん。皆さんの作業が早いおかげで、午後には少し息抜きができそうですね」
私がプレハブ倉庫の窓口で魔導計算機を弾き終えると、完璧な燕尾服を着こなした人狼族の宰相兼執事、リバロンが優雅に一礼した。
「息抜き、ですか。それは素晴らしい。では午後は、私が極上の陽薬茶と、お嬢様がお好きなタローソンのスイーツをご用意いたしましょう」
リバロンはすっと距離を詰め、私の手元にあったペンをそっと取り上げると、空いた私の手を両手で優しく包み込んだ。
「お嬢様がこの村に築き上げたシステムは、今や大陸中の商人が羨むほどの富を生み出しています。ですが、私にとって最大の富は、こうして貴女の健やかな笑顔を特等席で拝見できること……。どうか、午後からの時間は私に独占させてください」
黄金の瞳が、甘く、熱っぽい独占欲を滲ませて私を見つめ下ろす。
「り、リバロンさん……っ、ここは窓口ですから、誰か来たら……」
顔がカッと熱くなり、私が視線を泳がせていると――。
「うわあああぁぁぁん!! キャルルちゃ〜〜〜んっ!!」
突如、プレハブ倉庫の外から、けたたましい泣き声が響き渡った。
甘やかな空気が一瞬で吹き飛び、リバロンがスッと目を細めて冷徹な執事の顔に戻る。
「……何者ですか。我が主の安らぎの時間を切り裂く、この無粋な騒音は」
私とリバロンが倉庫の外に出ると、そこには信じられない光景が広がっていた。
「だ、誰かキャルルちゃんを呼んでぇぇ! 死んじゃう! 飢えと寒さで死んじゃうんですの〜〜っ!」
地面に這いつくばり、大粒の涙を流して号泣している一人の少女。
年齢は十六歳くらいだろうか。透き通るような白い肌に、海の底を思わせる美しいアクアブルーの長い髪。その美貌だけを見れば、どこかの国のお姫様と言われても疑わないほどの可憐さだ。
だが、彼女の服装は、その美貌を台無しにするほど『終わって』いた。
上下は、ルナミスデパートの特売ワゴンで売られていそうな、絶妙にダサい赤紫色の『芋ジャージ』。そして足元には、小石のようなイボイボがびっしりと敷き詰められたプラスチック製の『健康サンダル』が突っかけられている。
ペタペタ、ペチペチと健康サンダル特有の情けない音を鳴らしながら、美少女は倉庫の前で盛大に土下座を決めたのだ。
「ええっと……どちら様、ですか?」
私が戸惑いながら声をかけると、芋ジャージの美少女はハッと顔を上げ、私にすがりつくように手を伸ばしてきた。
「あ、貴女がこの村の新しい責任者ですの!? お願いします、何でもします! 草むしりでも、公園の鳩の餌やりでもしますから、パンの耳……パンの耳と、できれば茹で卵を一つ恵んでくださいませぇぇっ!」
「パ、パンの耳!?」
あまりの要求の低さに、私がギョッとしていると、背後から「月影流・破衝撃!!」という威勢の良い声と共に、一陣の風が吹き抜けた。
ドゴォォン! と、村の広場にタローマン製の特注安全靴が着地する。
「ちょっと! 誰さ、村の広場で騒いでるの……って、ゲェッ!!」
駆けつけてきた村長キャルルが、芋ジャージの美少女を見た瞬間、ウサギ耳をピンと逆立てて露骨に嫌そうな顔をした。
「キャルルちゃ〜〜ん!! 会いたかったんですのぉぉ!」
「来るな! 寄るな! なんであんたがポポロ村にいるのさ、リーザ!!」
「家賃! アパートの家賃が三ヶ月払えなくて、大家さんに段ボール箱ごと追い出されたんですの! もう行くところがなくて……!」
キャルルの足元にすがりつき、健康サンダルをペチペチ鳴らしながら号泣するリーザと呼ばれた少女。
私はポカンと口を開け、隣のリバロンを見上げた。リバロンもまた、鼻先をハンカチで押さえながら深々とため息をついていた。
「キャルル様。この……王族の威厳も品格も微塵も感じられない、芋ジャージの不審者は一体?」
「あー……うん。ごめんオリヒメ、リバロン。こいつ、私がルナミス帝国で冒険者やりながらシェアハウスに住んでた時の、ルームメイト」
キャルルは頭を抱えながら、信じられない事実を口にした。
「こいつ、こう見えてもシーラン国の『人魚姫』なんだよ。女王リヴァイアサン様の娘」
「「……は?」」
私とリバロンの声が見事にハモる。
シーラン国といえば、海中を治める強大な国家だ。そこの王女が、なぜルナミス帝国の安アパートを追い出され、ポポロ村でパンの耳を乞うているのか。
「元々は、ルナミス帝国との友好の証として親善大使に来てたんだけどさ。なんかルナミスの歓楽街で『アイドル』っていう文化に感銘を受けちゃって。親善大使の仕事をほっぽり出して、勝手に地下アイドル始めちゃったのよ。で、売れないから極貧生活」
キャルルが呆れ返ったように説明する。
「ち、違いますわ! 私は絶対無敵のスパチャアイドル、リーザですの! 今は少しだけ、そう、ほんの少しだけファンからの『五円(ご縁)』が足りていないだけで、私の歌で世界は救えるんですのよ!」
リーザは芋ジャージの膝の土を払いながら、謎のポーズを決めてふんす! と鼻息を荒くした。
だが、その直後。
『ギュルルルルルルゥゥゥゥ……』
彼女のお腹から、雷鳴のような激しい空腹の音が鳴り響いた。
「……あうぅ。アイドルは、施しは受けない主義なんですけど……限界ですの。ルナミスマートの試食コーナーのウインナーだけじゃ、ここまで歩けませんでしたわ……」
リーザは再びパタリと地面に倒れ伏し、健康サンダルをピクピクと痙攣させた。
「……信じられませんね。王族たる者が、試食コーナーで食い繋いでいるなど。マキャヴェリが見たら『君主論』の原稿を破り捨てて激怒するレベルの没落ぶりです」
リバロンが冷ややかな視線を下ろす。
だが、私は――前世で、給料日前の三日間を『会社にあった賞味期限切れのビスケット』と『公園の水道水』だけで生き延びた社畜OLである私は、彼女のその情けない姿に、どうしようもない共感と哀愁を覚えてしまっていた。
(極貧ポイ活……わかる。生きるために試食コーナーを何周もするあの惨めさと、それでも捨てられない妙なプライド……!)
「オリヒメ様? なぜ貴女が、そんな慈愛に満ちた瞳でこの不審者を見つめているのですか?」
リバロンがいぶかしげに首を傾げる中、私はしゃがみ込み、リーザの背中を優しくさすった。
「リーザちゃん、と言いましたね。……よく、ここまで頑張って歩いてきましたね」
「お姉様……?」
「パンの耳じゃなくて、もっと温かくて美味しいもの、食べましょうか」
この、どう見ても残念な第一印象から始まる騒動が、ポポロ村に新たな嵐と『狂気』のライブステージをもたらすことになるとは、この時の私にはまだ予想もついていなかった。
読んでいただきありがとうございます。
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