第十八話 手負いの獣
壁を組み直し、罠を整えて——二日後の朝。
森の主は、約束したかのように戻ってきた。
木立がざわめき、地が揺れる。前と同じ、岩を擦り合わせる重い足音。
だが、今度は迎える側も、前とは違う。
村の中央に、一本の道ができていた。両脇を、積み直した防壁と横倒しの荷車で固めた、まっすぐな隘路。出口のない、誘い込みの道だ。
配置は、昨夜のうちに頭が痛くなるほど確かめた。
あとは、あいつをこの道へ引きずり込むだけだった。
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「——さあて。ひと仕事といくか」
ヴァルガが、ひとり、道の入口へ進み出た。
森の主の正面。いちばん危ない場所だ。
「旦那の絵図だ。外したら、化けて出るぞ」
軽口を最後に、彼は石を投げた。硬い甲羅に当たって、乾いた音が鳴る。
森の主の濁った目が、ぎろりとヴァルガを捉えた。
「こっちだ、のろま」
ヴァルガが走る。付与されてから、あの足はさらに速くなっていた。森の主を背に引き連れて、まっすぐ、道の中へ。
巨体が、道へ突っ込んでくる。
両脇は壁。曲がれない。止まれない。
読み通り——あいつは今、一直線の的になっていた。
そして道の終わりに、エルナが立っている。
たった一人で、山のような突進を、正面から受けて。
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「エルナさん!」
俺は叫んだ。叫ぶことしか、できない。
森の主が迫る。地面が鳴る。あと十歩。五歩。
エルナは、動かない。
来る——もう、止まれない、その一瞬。
彼女の体が、横へ流れた。
紙一重。岩の巨体が、すぐ脇を轟音とともに走り抜ける。
その刹那、エルナの剣が突き出された。斬るのではなく、刺す。狙うは、脇腹のただ一点。五十年、塞がらなかった古傷。
切っ先が、吸い込まれた。
今度は、滑らなかった。
肉を抉る、確かな手応え。森の主の巨体が、初めて、びくりと震えた。
黒い血が、噴き出す。
「やった——!」
村人の誰かが、叫んだ。
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俺も、一瞬、勝ちを確信しかけた。
計画では、ここで森の主は痛みに顔を上げ、咆える。喉が開く。そこへ、止めを刺す。
だが。
森の主は、咆えなかった。
代わりに——壊れた。
古傷を抉られた激痛が、あの巨体に残っていた最後の理性を、焼き切ったらしい。
黄色い目が、白く濁る。狙いも、間合いも、もうない。ただ、めちゃくちゃに暴れ始めた。
長い顎が、防壁を薙ぎ払う。積み上げた壁が、紙細工のように吹き飛んだ。
誘い込みの道が、一瞬で崩れていく。
手負いの獣は、こちらの計算の、外にいた。
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「散れ! 道から離れろ!」
俺は怒鳴った。だが、遅かった。
暴れる巨体のすぐ脇。逃げ遅れた影が、ひとつ。
ヴァルガだった。囮の役を終えて、まだ道の中に残っていた。
崩れた荷車に足を取られ、体勢を崩している。
森の主の前脚が、何の狙いもなく、ただの暴力として、振り下ろされた。
「ヴァルガ!」
間に合わない。
鈍い音がした。ヴァルガの体が宙を舞い、壁際まで叩きつけられる。一度跳ねて、動かなくなった。
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エルナが反射的に駆け寄ろうとして、暴れる巨体に阻まれ、近づけない。
森の主は、なおも荒れ狂っている。手負いになった分だけ、前よりも手がつけられない。
俺は、倒れたヴァルガを見た。
脇腹から下が、赤い。さっき森の主が流したのと、同じ色だ。
動かない。胸が上下しているのかどうかも、ここからでは見えない。
絵図は、当たっていた。古傷も、抉った。刃は、確かに届いた。
なのに——足りなかった。
強い相手を、知恵で出し抜いたつもりだった。その一手が、あいつを、もっと手のつけられない化け物に変えてしまった。
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戦えない俺は、その場に立ち尽くした。
手の中に、武器はない。倒れた仲間を引きずり出す足の速さもない。
——どうする。
ヴァルガが死ぬ。暴れる獣は止まらない。崩れた道の向こうでは、村人が逃げ惑っている。
俺の計画は半分まで当たって、半分から、崩れ落ちた。
その時だった。
倒れたヴァルガのもとへ、ひとつの影が迷わず走り込んだ。
薬籠を抱えた、セリアだった。




