15話 夜の提案
夜は、静かだった。
いつもより、少しだけ。
空気が重い。
「リディア」
呼ばれて、振り返る。
リカルドが、すぐ近くにいた。
距離が、近い。
いつもよりも。
「……顔色がいいな」
低く、落ちる声。
指先が、頬に触れる。
そのまま、ゆっくりと。
首筋へと滑っていく。
ひやりとした感触に、息が止まる。
「血の巡りが良くなっている」
さらりと、言う。
まるで当然みたいに。
「……あの」
言葉を探す。
でも。
うまく出てこない。
「そろそろ、いい頃だ」
静かに、告げられる。
その意味が、すぐには分からない。
ただ。
視線が、逃げ場を塞ぐ。
「君は、私に適応してきている」
一歩、近づく。
背中が、壁に触れる。
「だから」
逃げられない距離で。
囁くように。
「次の段階に進む」
心臓が、大きく鳴る。
「……次、って」
かすれる声で、問い返す。
リカルドは、ほんの少しだけ目を細めた。
「簡単なことだ」
指が、首元にかかる。
「私の血を受け入れる」
その言葉に。
一瞬、思考が止まる。
「そして」
続く声は、静かで。
逃げ場がなかった。
「君の血を、私に」
息が、浅くなる。
「それで、完成する」
まるで、最初から決まっていたみたいに。
「……それって」
言葉が、震える。
怖い。
でも。
「断る理由はないだろう」
優しく、言われる。
その言い方が。
一番、逃げ場がなかった。
「君は、ここにいる」
指先が、軽くなぞる。
「私のために作り」
「私のために生きている」
その一つ一つが。
静かに、積み重なる。
「なら」
わずかに、顔が近づく。
「最後まで、私のものになれ」
その言葉が、胸の奥に落ちる。
重くて。
甘くて。
逃げられない。
「……はい」
すぐに答えそうになって。
言葉が、止まる。
違う。
それじゃ、だめだ。
少しだけ、息を吸う。
「……それは」
声が、震える。
怖い。
でも。
聞かなきゃいけない気がした。
「人間じゃ、なくなるってことですか」
静かに、問いかける。
リカルドは、少しだけ目を細めた。
「近いな」
否定しない。
それだけで。
胸の奥が、きゅっと締まる。
「……じゃあ」
言葉が、続かない。
ここを出ることは、考えられない。
でも。
戻る場所も、もうない。
「……私」
指先が、わずかに震える。
「ちゃんと、いられますか」
何を指しているのか。
自分でも、うまく分からない。
でも。
「……壊れたり、しませんか」
小さく、こぼれる。
沈黙。
短いはずなのに、長く感じる。
リカルドは、ゆっくりと手を伸ばす。
指先が、頬に触れる。
「壊さない」
静かに、言う。
断言するように。
「その程度のこともできないなら」
わずかに、声が低くなる。
「最初から選ばない」
その一言が。
不思議と、怖くなかった。
むしろ。
少しだけ、安心した。
「……でも」
まだ、残っている。
胸の奥に。
小さな、引っかかり。
「……戻れなくなりますよね」
確認するみたいに、呟く。
リカルドは、わずかに目を細めた。
「戻る必要があるのか」
問い返される。
言葉が、詰まる。
——ない。
もう。
どこにも。
それでも。
「……」
すぐには、頷けなかった。




