灰燼会の次の手
噂は風のように入ったり出たりしない。
それは、誰かの喉奥の熱が漏れた瞬間に、形を持って走り出す。
魂鎖研究に軍が介入する──その一文が地下聖堂の卓上に届いたとき、灰燼会の空気は一変した。
「国家は魂を量るつもりだ。」
司祭帽を被る長老が、火の揺れる壇上で低く吐き捨てる。
言葉の奥に怒りはなかった。怒りですら、この思想には贅沢だからだ。
奪われる前に燃やす。
神の書は、焚書によってのみ守られる。
声が重なり、祈りのような命令になる。
それに応じた信徒たちは、ためらい無く立ち上がった。
標的は研究者ではない。意思ではない。**「成果そのもの」**だ。
魔術科学の火種を、歴史の地層ごと掘り出して焼くために。
学院の結界は改修済みだった。
灰燼会の紋章を検知すれば容赦なく弾き飛ばす。
それは、前回の司祭団への対処として丹念に組み込まれた保険だ。
しかし、彼らは紋章を持たない。
襲撃者の先陣は、まだ魔術を知らぬ新米の青年たちだった。
魂鎖を刻まれた器──“未燃の魂層”を抱えた、生け贄。
青年たちの歩みは驚くほど静かだった。
魔力波は澄み切っている。恐れを感じる生物の波動に近い。
結界はそれを「非悪意」と判定し、門を開く。
彼らが通り過ぎた瞬間、背後にいた術式の主体が起動した。
低位魔術士の指が弾かれ、魂鎖に火が入る。
青年の胸に刻まれた環状紋は一度だけ脈動し、灰の炎に変わった。
護送車の鍵穴に火薬を詰めるように、彼らは一瞬で焼却される。
残ったのは、使用済みの鍵と、侵入済みの回路だけ。
結界が異常を検知したのは数秒後。
だが防御は遅れた。既に“主体”は内部だった。
灰燼会の襲撃者は、通路を走らない。
走る必要がないからだ。
標的の位置は把握している。
一歩ごとに詠唱の断片を床へ刻む。
魔道炉室。試験体保管庫。研究記録の根幹を担う書庫。
彼らの視界には、人間は不要な背景として映っている。
老人研究員が通路で立ちはだかる。
震える手で杖を上げ、詠唱の一節を口にした。
襲撃者の女は、顔を上げすらしない。
魔導式を床に落とし、そのまま歩みを続けた。
研究員の体が崩れ落ち、空洞のような音を立てて倒れた。
死ではない。ただ目的外の物体が一つ減っただけだ。
彼らは笑わない。怒鳴らない。
破壊は使命ではなく、正義に付随する作業に過ぎなかった。
研究成果を残すことは背信。
灰燼の神に背く罪。
ゆえに焼く。書架も、炉心も、魂鎖の試験体も。
ただ、それだけ。
館内警報が腹の底で鳴り始めた。
誰かが叫ぶ。誰かが逃げる。
だが灰燼会の歩調は乱れない。
その行軍は、あまりにも静かで、
それゆえに恐ろしく速かった。




