. ラクシア:学問側の抵抗
会議室の窓から差し込む夕陽が、ラクシアの横顔を橙色に染めていた。
彼女の指先は資料を握りしめたまま震えている。
恐怖ではない。
責任が形を持った重さだ。
灰燼会の襲撃で、彼女は教え子を一人守れなかった。
魔術障壁は破られ、魂鎖が胸を貫いた。
死ではない。魂値が剥ぎ取られ、器だけが倒れた。
残ったのは、目を開けたままこちらを見つめる空虚な身体。
呼吸はあるのに、誰もそこにいない。
以来、彼女にとって「研究の自由」は理念ではなく墓標になった。
「研究の自由は尊厳よ。」
ラクシアは静かに言う。
だがその声は教義を説く者のそれではなく、
罪を吐露する者の震えだった。
灰燼会によって奪われた魂を想像してはいけない。
魂鎖研究が兵器へ利用される未来を想像してもいけない。
彼女の恐怖はそれらのどちらでもなかった。
屈服する研究者を見る恐怖。
権力と交換に、魂の概念そのものを差し出す未来。
研究者が“人を測る道具”へと堕落していく構造に対する嫌悪だった。
「魂鎖は倫理的に未確立の領域よ。」
彼女は眼鏡を外し、机に置く。
白衣の袖を握りしめる手が微かに震える。
「論文化は慎重でなければならない。
段階を踏まずに解析を武器化すれば、人間そのものが道具になる。
魂を測定する権利なんて、私たちにはない。」
沈黙。
その刹那、彼女の視線がケイを避けていることに気づく者は少なかった。
ケイの変質はまだ噂に過ぎない。
だが一人、魂値を数値として扱う存在がすでに誕生してしまった現実が、
ラクシアの言葉を裏打ちしていた。
そこへ、軍側の研究顧問が淡々と返す。
まるで教授の不備を訂正するかのように。
「魂を殺す敵は既に存在する。」
彼は机の上に灰燼会の残滓報告を置く。
「敵が魂を奪うのなら、我々は魂を守るために測定しなければならない。
それが防衛だ。」
論理の輪は破綻しない。
彼らにとって「魂の測定」は倫理ではなく安全保障だ。
ラクシアの主張は正しい。
しかしそれは科学の議場では強いが、政治の盤面では常に敗北する。
研究室に戻った夜、ラクシアは人のいない廊下に立ち尽くす。
消灯したガラスに映る自分の姿は、教師でも研究者でもなかった。
ただの一人の失敗者。
守れなかった魂の影が、彼女の足元に落ち続ける。
「……私は間違ってない。
間違っているのは、奪う側よ。」
その呟きは祈りではない。
決意でもない。
ただ、自分がまだ人間であるための最後の証明だった。




