アルノ:軍寄りの合理主義
灰燼会との戦闘から、まだ二週間と経っていなかった。
アルノは研究棟の講義席に腰を下ろし、指先で机を叩き続けていた。
癖ではない。魔力循環を整えるリズムだ。
本来は瞑想の補助だが、今の彼には自己防衛の疑似儀式になっていた。
あの時、彼の展開した防御魔術は完璧だった。
学院標準の三層盾、魂値吸収対策の補助陣、位相反転の緩衝装置。
それらすべてを魂鎖は爪先で裂くように突破した。
焼け焦げた袖口。
腕から胸へ走った冷たい線。
痛覚ではなく、魔力が「掴まれた」感覚。
あの恐怖は、どれほど論文を積み上げても拭えない。
その日以来、アルノは信条を獲得した。
防御は敗者の戦術。
奪われたくないなら、奪う側に立つべきだ。
研究班の議論の場で、彼の発言は静かに、しかし刺すように響く。
「魂鎖研究の成果は軍に提出するべきだ。
制御権は彼らに渡る。なら――先に席を取る。
私たちが“使用条件”を書く。」
声は冷静だが、裏には幾度も擦り切れた焦燥が溶けていた。
彼は過激ではない。激情もない。
ただ一度の致命的敗北を、合理性という外套で包んだだけだった。
周囲の研究員は眉をひそめる。
兵器化、軍事化、監視――どれも忌避する単語だ。
だが、アルノの論理は完璧だった。
感情ではなく統計。恐怖ではなく予防。
「軍が力を握るなら、こちらの意思が届く場所にいる必要がある。
拒絶したところで、研究は奪われる。
なら交渉する権利を取る。それが防衛だ。」
反論は浮かぶのに、言葉にならない。
彼の腕を貫いた魂鎖の記憶が、全員の脳裏を焼くからだ。
あの銀白に脈打つ鎖は、誰も守らなかった。
学院の術士も、理事会も、都市の防壁すら。
そして、決定的な瞬間は唐突に訪れた。
ヴァルディオが学院へ命令書を置いて去った翌朝、
掲示板に簡潔な一枚の通達が貼られる。
――アルノ・グラシオン
軍研究顧問補佐 任用
昇格。肩書。保証された予算。
それは理論ではなく報酬だった。
その瞬間、空気は揺れた。
会議室の背後で沈黙していた研究者たちが、
ゆっくりとアルノの側へ傾いていく。
守りたい、という動機は彼らにもある。
力が必要だ、という焦りも同じ。
ただ一人が“軍へ接続された未来”を見せたことで、
信念は静かに、しかし確実に移動した。
アルノはその視線を受け止めながら、ただ一つの言葉を胸に刻む。
握る側に立つ。
その座標を占める者だけが、未来を選ぶ権利を得る。




