105話「ただの小雨」
エリセツアの魂を身体に戻す儀式の日、儀式が成功した後、ヴィアレンはジャンヌに呼ばれた。
「これはお前にしか頼めない。ヴィアレン、あの子をしばらく任せるぞ」
「何だよ辛気臭い。分かってるさ、あいつらは気づかなかっただろうけど、黒魔法使いである以上代償については詳しい。僕が面倒見るよ」
そうしてヴィアレンはパラキースの家に通う事となったのだ。パラキースの家は療養のため、空気の澄んでいる森林地帯に移され、「男立ち入るべからず」の看板はなくなっていた。
「ヴィアレンさん。良かったら記憶を失う前の私について教えてくれないかしら、、何となく大きなきっかけがあって何かを忘れてしまったのは分かるのだけれど、」
「そうは言っても僕とあなたは面識は少なかった。だから聞いた話しか出来ないけど良いかい?」
「ええ構わないわ」
ヴィアレンはスピリアの見たパラキースについて話し、儀式の経緯について話した。
「そうなのね。私は多分自分から記憶を捨てたんだわ。不必要な記憶、でも大事だった記憶。悩んだ末に捨てる事を選んだのね、」
「多分その記憶は過去の恋人についてじゃないかな。あなたは大魔女は知っててもスピリアは知らない。スピリアに何か過去の話してたんだよ。だからそれに関する記憶全てを代償に使ったんだ」
「男性とは無縁の生き方をしていたと思っていたけれど、そうではなかったのね。ふふ、何だか面白いわね」
「でもあなたは自分の現状を理解してるのかい?儀式の時は確かに若かったのに、老けてしまっているんだ」
パラキースは二つの代償を儀式で払った。それは大事な男ダンテに関する記憶全て、そしてもう一つはこの魔女の国ゼイノカンウとの契約破棄だ。
つまりパラキースはもう魔女の国の「小雨の魔女」ではなく、ただの人間。停滞させていた寿命は元に戻り、いつ死んでもおかしくない見た目へと変貌してしまったのだ。
「歳を取る事は悪い事じゃないのよ。代償を払った時の自分も同じ思いだったと思うわ。身体は重いけれど、人生を振り返る事が多くなるの。と言ってもほとんどこの国で過ごした記憶ばかりだけれど」
「僕には分からないね。あなたは人生に満足出来たのかい?」
「ええ。きっと人生に満足出来るかどうかに時間は関係ないと思う。それに今はヴィアレンさんと言う愉快な話し相手がいるから幸せだわ」
「ふーん。それなら僕にこれまでの人生を教えてよ。僕の方が辛い事が多かっただろうからね、勝負だ」
そうしてヴィアレンとパラキースは互いの人生を語り合った。ヴィアレンもパラキースもただただ普通に会話をして時間を過ごして行った。
昼下がり、空がオレンジ色になりつつある時、パラキースはおやつを用意してくれていた。
「僕のために?わざわざそんな負担のかかることする必要ないさ」
「趣味なのよ、この国に来てからの。自由な生活を求める私にとって、これ以上ないほど心地良い趣味だわ」
ヴィアレンは感謝を伝え、その焼き菓子を頬張った。口の中は甘い風味でいっぱいになり、塩が少しかかっているので甘さとしょっぱさが合わさり調和していた。
「あなたは食べないの?こんなにも美味しいのに」
「私は良いの。そのレシピを完成させる過程で何度も味見をして結局完成が分からないまま飽きてしまったから」
「それは災難だったね。でもこれは間違いなく完成されてるよ。今まで食べて来た焼き菓子の中で一番美味しい」
「ありがとう。お菓子を食べたらお茶も飲みたくなるはずよ。紅茶を淹れるわ」
するとパラキースは席を立ちキッチンへ向かおうとするとヴィアレンが止めた。
「いいよ僕がやるさ。これでも練習させられてある程度は上達したんだ。実力を見て欲しいな」
「まあそうなの?ではそうさせてもらうわね。器具は棚の中に入ってるわ」
そしてヴィアレンは茶葉とお湯の比率を測り、空気を混ぜることを意識しながらカップに紅茶を注いだ。その間、パラキースは目を閉じてヴィアレンが注ぐ音や香りを楽しんでいた。
「どうしたんだい眠いのかい?」
「たくさんお話をしたからかしら。それよりも早くヴィアレンさんの注いだ紅茶を飲みたいわ。いただけるかしら?」
「どうぞ。まああなたには勝てないだろうけど僕の中で頑張った方だ。召し上がれ」
パラキースは魔法で少し緩くして、香りを楽しみゆっくりと口へ注いだ。そして朗らかな笑顔を見せ、美味しい、とヴィアレンへ伝えた。
「そうか良かったよ。誰にも言ってないけど僕って繊細なんだ。誰かと差を感じたり、自分を否定されたりするととても辛いんだ」
「ふふふ、多分ヴィアレンさんの周りの方々は気づいていると思うわ。だって貴方って意外に表情豊かじゃない」
「そうか、僕は表情豊かになったのか。ありがとうパラキース、気づかせてくれて」
「どういたしまして。ごめんなさいヴィアレンさん、少し眠くなってしまったわ。少し休んでもいいかしら」
「ああ、良いよ」
パラキースは揺り椅子に腰掛け、目を閉じて眠りについた。
しかしその朗らかな表情とは裏腹にヴィアレンはやるせない顔だった。
エリセツアにとっては自分を犠牲にして命を救ってくれた魔女、スピリアにとってはひとときとは言え話し合いをして仲を深めた魔女、ケイディはまだ未熟だから死と向き合うにはまだ早い。彼女の死には僕が対面すべきだったって事だ。
「あなたと話せて良かった、、僕のおばあちゃん、」
それからしばらくヴィアレンはパラキースの焼き菓子を食べ、悲しみに暮れていた。するとドアが叩かれた。
「大魔女か。パラキースは安らかに眠ったさ」
「辛い役目を任せてしまったな。まあお前のためにもなっただろう。気が合いそうだしな」
そして大魔女は家に入り、目を瞑るパラキースと対面した。
「遺体はどうするんだい?」
「魔女と言うのはな、本来死んだら灰になるんだ。だがパラキースは人間に戻って人間として死んだから遺体が残っている。だから人間のように丁重に弔わねばならない」
「手伝うさ。土に埋めるんだろ?」
「いいやこの子は私が葬る。私がそうしたいんだ」
ジャンヌはパラキースを抱え、外に出て、魔法で地面を掘り、優しく遺体を埋めた。
「パラキース、私は寂しいぞ」
ジャンヌは涙を流した。ジャンヌにとって魔女の国の魔女たちは一人一人が娘であり、言葉には出さないが誰よりも大切にしていたのだ。
ヴィアレンは察していたので、つい数時間前までパラキースと共に話していた食卓を撫でてジャンヌを待っていた。
「ヴィアレン待たせたな」
「いいさ。それより辛気臭い雰囲気をどうにかしてくれないかい?」
「じゃあエリセツアの愚痴でも言い合おうか」
そして二人はパラキースの家を出た。するとその時、ジャンヌが空を見ると雨が降り始めた。
「夕立だね。それも穏やかで優しい夕立だ」
「これは夕立じゃない、ただの小雨だ」




