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龍の腕は世界を抱く  作者: 萌葱クレイオ
第三章 想いの継承、世界と人の業
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91話 命令されて動く人形

読んでいただきありがとうございます。

本日二話目。

 


「君の名前は、ヒバリだ」

「――ヒ、バリ……?」


 もう一度「ヒジリ」と呼ばれるのかと目を瞠った少女であったが、見開かれたのも束の間、少女は目をぱちくりと瞬かせた後、肩の力を抜いてゆっくりと目を伏せていく。


 ヒジリの名をほんの少し変化させただけの単調な名前。

 レイとしても、ヒジリの名を気に入ってもらえるのは悪い気分では無かったし、少女が想像以上に気に入っている様子を見て、問答無用で名前を奪い取るのはまた話が違うかもしれないと考えた結果、最初に閃いた名前が、「ヒバリ」だった。


 けれども、ヒバリと言う名前を、少女は気に入らなかった様子。

 顔を俯かせてしまっているため表情は伺えないが、その様子を見て、その場にいた誰もが諦めの念を込めた溜め息を吐いたのが分かるからこそ、レイもまた力なく肩を落とす。


 そして、その様子を前に不快感を露にしたのは他でもない、シオであった。



「それも気に入らねぇってんなら、お前はたった今からゲロシャ――」



 シオの口から悪態が、その正気の沙汰とは思えない嫌がらせのような名前を口にしようとした、その時――。


 シオの声も遮って、少女が勢いよく顔を上げる。



「――ヒバリ!! 気に入りますっ、気に入りました!! あぁ、ヒバリ……。なんて甘美な、なんて美しい音なのでしょう。これがヒバリに与えられた名前なのかと思うと、どんなに素晴らしい名前かと感激に打ち震えていました、マスター。こんなにもヒバリの事を思って、ヒバリの事を考えて素敵な名前を与えてくれるマスターは、やはり貴方様しかございません! ヒバリと言う名には、これ以上ない程の愛が込められているのだと実感しております。やはり、マスターはご主人様(マスター)で間違いなかったのですね! ……ヒバリは一生、マスターから離れません! このヒバリ、この仮初の生命が尽きるその日までマスターに仕えることをここに誓います。マスターも、ヒバリをずっと傍に置いてくれますか? ずっと傍にいてもいいですか? ヒバリを、捨てないでいてくれますか?」



「うわ、(おっも)っ……」


 この場にいる全員の心の声を代弁したかのようなシオの声も届かないくらい、ヒバリの名を得た少女は脇目もふらずにレイだけをその目に捉える。


 どうやら少女はレイの提案した「ヒバリ」という名前が嫌だったわけでは無く、その名前を自分に刻み込むかのように繰り返し呟いていただけのようだった。


 ずい、ずずい、とレイに迫るヒバリの目は、興奮冷めやらぬと言った様子で輝いているが、決して桃色に染まってはおらず、深い深い青の瞳を純真無垢な様で輝かせているだけであった。

 それはさながら命を吹き込まれたばかりの人形のようで、生まれたばかりの小鳥のようで。刷り込みにも近い様でレイの手を取る姿は妄信的。


 シオが口にした「重い」という感情もただ不安を口にしただけに過ぎず、ヒバリと言う名前を得た今、繋がりを得た今、その繋がりを強固にしたいと縋る姿はレイの身に覚えがないと言えば嘘になる。


 ――グレイ爺に拾われてすぐ、ヒジリを奪った連中への憎悪が燃える中、時折落ち着きを取り戻してはグレイ爺に捨てられないか、放り出されてしまわないか不安に駆られた夜が何度もあったから。


 当時は小屋の周囲に足を踏み出すことさえ恐怖していた。

 それもそのはず、その時のレイは生まれてこの方幻想の森の隠れ里しか知らなかった。見るもの全てが新鮮と言えば聞こえがいいが、知らないものは怖くて当たり前。そんなものに囲まれた外の世界は全てが敵に見えたし、全てに恐怖していた。

 ゆえに、自分を助けてくれたグレイ爺に捨てられないように必死で良い子に振舞おうと繕っていたのをヒバリの仕草を見て思い出す。


 ヒバリの言葉に反応を示さないレイを見てか、ヒバリの目が潤み始めるのを慌てて止めるべくレイは口を開く。

 当時のグレイ爺がなんの反応も示さずに、世界の広さを感じさせてくれていなければ、レイは今ここに立っていなかっただろうから、レイにとってグレイ爺のような存在になるべくヒバリと向き合う。


「いや、僕は君のマスターじゃなくて、話を聞かせてほしい――」

「君、ではなく、是非ともヒバリと呼んでくださいマスター。ヒバリは既にマスターに全てを捧げる準備はできております。ご命令下されば、ヒバリの知る全てを教えて差し上げます。ゆえに、どうかご命令を。ヒバリに話せ、とマスターがご命令下さいっ」


 当然グレイ爺のような豪胆さも図々しさも持ち得ていないレイに出来る事など限られており、それでもまずは少しでもいいから歩み寄ろうかと考えていたところを、ヒバリから歩み寄ってくるペースが速すぎるあまり、思わず頷きかけてしまった自分を諫めるのであった。


 ヒバリにはレイの声に乗った思いが届いていないのか、それとも自分の都合の良いように聞こえているのか。

 恐らくは後者であろうと思いながら、柔らかな手の平で包んだレイの手を、見間違いでなければどこか艶っぽい表情で頬ずりをするヒバリを見てレイは顔色を青く染める。


「あぁ、マスターの、御手……っ」


 はぁはぁ、と荒い吐息を繰り返すその姿は、先ほどまで捨てられた子猫のような眼をしていた少女では無いし、レイが救おうと手を差し伸べた少女でもない変わり身を前に、今まで感じたことのない怖気が背筋を駆け抜ける。


 森の深層で培われた身の危険を知らせる危機感知が頭の中で警鐘をかき鳴らすも、ヒジリと良く似たその顔を弾くことなど、レイに出来るはずも無かった。


 ――良く似た容姿、けれども中身はまるで違う。

 頭ではそうであると理解できていても、最愛の姉を傷付けるような真似は憚られる以前に、考える事すらレイの精神に大きなストレスがかかるものだった。


 そうなると、レイが取れる手段は自慢の相棒に頼る事だけなのだが、助けを求めた先では、シオの冷酷な言葉が待ち受けていた。



「いや、無理。普通にキモいし……。それによぉレイ。その女拾う時、レイが責任もって世話するって約束だったよな?」



「ぅぐ……っ!」


 シオの言う事はごもっとも。

 昨夜の出来事は鮮明に覚えているし、僅か一晩で簡単に忘れられる程薄っぺらい夜では無かった。


 レイが同情して拾う際に、シオは間違いなく「止めておけ」と言っていた事実は、間違いなくレイの記憶にも残っている。

 そうして忠告した理由は、まさかこの事態を予測していたのか……!? と驚愕の目をシオに向けるも、シオのヒバリを見る目が本気で気味悪がっている様子なのがありありと見て取れる以上、昨夜のやり取りを切り取って自分に都合の良い言い訳として利用したのだと思うと、レイの笑みが余計に引き攣るのであった。


 セリカもジークも見て見ぬふりをしているせいで、結局レイは自分でどうにかするしかない。

 ヒバリの玉のような肌の感触とほのかな温もり、それから熱のこもった吐息を手指に感じながら、絞り出すように口を開く。


「い、色々と聞きたいことがあるから、ヒバリに話してほしいんだ。お願いしても、良いかな」

「それは命令ですか? ヒバリは命令されればマスターの言う事には何でも従います。ですから是非、このヒバリにマスターからの命令をお与えください」


 会話の最中も何度かヒバリの手から抜けようと試みるも、想像以上に強い力で繋ぎ留められており、これ以上力をこめるとヒバリに怪我をさせてしまう可能性がある以上、レイは諦めてヒバリに手を委ねる。

 そんな最中でも、レイの申請は遠回しに却下され、何故かヒバリは頑なに命令されることを望み続ける。そんなヒバリに対してレイは嫌な予感を感じ取っており、命令だけは絶対に避けねばならないと考えていた。


 そんなレイの嫌な予感は的中しており、ヒバリ相手に命令したが最後、お互いに契約上の繋がりが生まれてしまい、レイは死ぬまでヒバリを手放せなくなり、ヒバリは死ぬまでレイに尽くさなければならなくなる。そのような魔術が隠れていることを知らずとも嗅ぎ分けるレイの危機感知は優秀で、ヒバリにとっては言質さえ取ってしまえば終わるだけのはずが上手くいかないことに不安を覚えていた。


 しかしレイはそんな危機感知が無くとも、命令するような関係性を築くつもりはさらさらなかった。


「僕は、ヒバリのご主人様(マスター)にはなれないよ。だから当然、命令もしない。嫌なら嫌だと言うべきだし、好きなら好きと言える関係こそが正しいものだと僕は思ってる。だから、ヒバリも命令を待つんじゃなくて、自分で考えて自分の意思で自分から行動に移せるようになってほしい」


 ――思考を止めるな、死ぬその時まで考えるのを止めるな。


 グレイ爺亡き後、レイとシオを二人まとめて戦闘訓練を請け負ってくれたギンから、常に心掛けるようにと言いつけられた言葉。ただでさえ戦闘に意識を割くので精一杯だというのに、思考を止めるな、なんて言うのは今までのグレイ爺のどんな鍛錬よりも厳しく、苦痛を伴うものだった。さらにギンの口にする言葉には続きがあって。


 ――考えるのを止めなければ、必ず生きる道に繋がるはずだ。逆に止めてしまえば、それは死の道へ真っ逆さまだ。一度でも動き出した死は、決して止まってはくれない。だからレイ、シオ。決して思考を放棄するな。生きるのを諦めるな。


 戦闘が始まる前には必ずこの言葉をかけてから、レイとシオはギンにボコボコにされる。

 ギンはグレイ爺のように優しくはなかったが、その言葉をかけるという行為自体がギンの優しさなのかと思うと照れ隠しも悪くはないと思えるものだった。

 けれども、そんな考えは戦闘訓練が始まってしまえば嘘のように消え、レイとシオは戦闘に十、思考に十を割かなければ殺される状況に身を置くことになる。半々では足りず、上限を超えて息を吸うように戦闘こなし、息を吐くように思考を続けられるようになったのは外に出る数日前のことだった。


 そしてこの考えは戦闘のみならず、日々を送る中でも変わらずレイの心に宿っている。

 それはギンに言われたからでもなければシオに言われたからでもない、レイ自身が考えて自分から行動に移した結果なのだが、なんでもいいから目についたものに思考を巡らせることは、生きている実感にも繋がるものであった。

 シオに言わせれば「暇なヤツだな」とのことだったが、レイにとっては考えを巡らせることは生の証でもあると思っていた。


 それは、思考を繰り返すことで自分自身の事が分かるような気がするから。認められるような気がするから。


 ――自分の醜い心の中も、自分の正しいと思った道も、自分の歩むと決めた夢の道も、全部が自分のものだと、考えに考え、悩みに悩んで導き出した答えが『今』だから。


 それが誰かに与えられたものじゃない、確かに自分が考え続けて整理して出た答えこそが、レイの原動力。レイの足を動かす、夢への原動力足りうるものだからこそ、ヒバリにもそうであってほしかった。


 これがもし、レイの意思無くして、レイの考えの及ばない、半身であるシオに思考も肉体も制御を任せた結果、それは果たしてレイが生きていると言えるのか。


 ――命令されて動く人形は、生きていると言えるのか。


 レイの答えは、肯定。生きているというだろう。

 だがしかし、それは生きているのではなく、ただ死んでいないという状態にあるだけだと答えるだろう。


 ゆえに、レイは「死んでいない」、だけでは無く、「生きている」という実感を求めて今も思考を巡らせている。


 どうやったらヒバリを動かすことができるか。

 どうやったらヒバリの心に声を届けることができるのか。

 どうやったらシオと仲良くなってもらうか。

 どうやったら……。


 当然その中には、解決不可能な問題が幾つも無数に発生する。


 どうやったらアイリーンさんは死なずに済んだのか。

 どうやったらグレイ爺がアイリーンさんの元を離れずに済んだのか。

 どうやったら姉さんは普通の生活を送ることができたのか。


 もう二度と叶わない考え、願いと言った方が正しい思考は、休まる時を迎えることなく繰り広げられ、思考回路が焼き切れる寸前まで集中するなんてこともしばしば。

 けれどもその思考が導き出す未来は全てレイ自身のためであり、何者にも奪われない力の一端こそがその思考力・判断力の高さでもあった。ゆえに、思考はレイのライフワークでもあり、同時に生きている証なのだとつくづく思えるのであった。


 そしてレイは今、自分と似た境遇、否、少しでも過去が違っていればレイがこうなっていたかもしれない、有り得たかもしれない状況にいる少女を、救ってやりたかったのだ。


 だからこそ伝えたい全てを口に出して、言葉にして、過去の自分に手を差し伸べる。



「――自分の行動に責任を持てるのは自分だけ。他の誰も、責任を取ってくれはしないんだ。例えどんなに厳しい制約があっても、契約で縛られていようとも、人はみんな自分のためなら簡単にその誓いを破れる。だからヒバリ、自分の選択を誰かに委ねるのは、命を預けるのと同じ。簡単に許していいものじゃないんだ。これからは、ヒバリはヒバリの意思で、自分の思いを優先して生きるべきだよ。……もし考えても分からないようであれば、僕が何でも相談に乗るから」



 だから考えてみよう、とレイから一度たりとも目を離さないヒバリに言い聞かせるように微笑みかける。


 ――人を守るべき立場の幻想師に、姉は殺された。

 ――民を守るべき存在の騎士に、アイリーンは殺された。


 守り手は、いつだって自分たちを助けてなどくれはしない。

 自分の守りたいものは、自分で守るしかない。

 ヒバリの守りたいものを守れるのは、レイでもなければシオでもない。ヒバリ本人にしかできない事なのだ。


 レイやシオと言った周りの人が助けられるのは、最後に及ぶ一歩手前まで。

 そこまでは一緒に居られるから、と突き放すようで寄り添う、レイはそんな言葉をヒバリにかけたのであった。









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