78話 有頂天
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夜の森の中。
魔女の首を地面に引きずるかのようにして持ち運ぶ騎士、アルフォンゾは渇望していた未来が確たるものになる感触に愉悦を感じながら笑みを浮かべる。
雲の隙間から僅かに漏れた月明かりがその醜悪な笑みを映すのだが、その笑みを目撃する人物はアルフォンゾを除いて他にはいない。むしろアルフォンゾですらもその歪な笑みには自覚がないのかもしれないと言える程に自然で不自然な笑みであった。
夜の闇が支配する森の中でアルフォンゾが迷いなく足を運んでいると、次第にその目に松明の灯りが映る。このまま一人で魔女を討ったとエッジの騎士宿舎に駆け込むのも考えたが、万が一農村の村長が審問官に情報を伝えていた場合、アルフォンゾは怪しまれるだけでは済まなくなってしまう。
その可能性も踏まえて、無用な部下の騎士どもに証言をさせようかと目論んでいるがゆえに森の中で待機させていた部下の元へと向かっていたのだった。来た道をそのまま帰るだけならば、いちいち灯りを焚く必要などないのだ、と言う常人離れした感覚器官を誇るアルフォンゾに、部下がより深い憧憬を向けるようになったのは魔女を討ちに発つ前の話。
僅か一時間足らずで戻ってきた上官が暗闇の中から姿を現す。
全身に付着した真っ赤な血が返り血であり、アルフォンゾの体は傷一つない状態だと分かるや否や、一番歳若い騎士マスリが夜半にも関わらず昼間のような声音で憧れの眼差しを向けてくる。
「~~っ! アルフォンゾ様流石です! 悪しき魔術師、魔女を無傷で討伐せしめるとは、このマスリ感服致しました!! 栄誉である魔女殺しを、単独で成し遂げたアルフォンゾ様の下で働けましたこと、非常に光栄であります!!」
魔女狩りに出向く前とはまるで異なる様子に、流石のアルフォンゾも僅かに戸惑いを見せる。信奉される分には文句など無いが、ここまで変わり身が速いと逆に心配になると言うものだが、新人騎士マスリの背後でまるで自分の事のように頷き胸を張る騎士サイオンを見て粗方の事情を察するのだった。
「魔女の首を、しかも単独で刈り取ったとなれば、悲願でありました中央行きはもう叶ったも同然ですね!」
続けてアルフォンゾの動向には興味を示さなかったキリスカまでも褒め称えてくる。その語末には「その際には俺たちも」と続いているのがはっきりと分かるくらいに欲を出す男だが、自分に似て狡賢いキリスカの事を、アルフォンゾは嫌ってはいなかった。
「クハハ! もっと褒め称えろ。俺は今気分が高ぶって心地が良い。この俺の鎧は、魔女の術ごときでは傷一つ付けられなかったのだからな!」
戦闘の昂ぶりに加え、竜気を解き放った高揚は未だ収まらないまま有頂天に上り詰めたアルフォンゾが特注だと声高に叫んだ剣と鎧は、王国最高の技術を以て創造された魔力による身体強化に即した鎧。
それは身体強化の練度に応じて切れ味と堅牢さが増す物で、魔法使いの手が入った文明の利器とも呼ばれる思考の傑作。騎士はそれを卒業時に国王から賜る事で正式に「騎士」になる。ゆえに騎士たちにとって剣と鎧は命以上にかけがえのないものであり、同時に誇りでもあった。
それは他でもないアルフォンゾもまた同じで、どんなに傲慢で不遜であろうとも、騎士としての誇りは家督よりもずっと重いものだと考えていた。
それだけの剣と鎧を騎士の数だけ用意するのは不可能、とも思われているが、実際のところ仕組みは魔道具と何ら変わらぬものであり、魔法使いの手があれば量産は容易い。
けれどもその性質上一定の魔力を通せない者にはただただ重く脆い鎧に過ぎず、騎士育成学校を正式に卒業できるだけの実力がなければ扱うことは出来ないものだった。
当然他国にその情報が漏れることはなく、敵国はただひたすらに騎士と言う最高の軍事力に恐れ戦くばかりであった。
「傷と汚れは騎士の勲章、とも言われる鎧の傷ですが、アルフォンゾ様には当てはまりませんね。アルフォンゾ様の鎧は何者も傷付ける事能わず、敵の返り血でしか汚れることはない、と言えるでしょう!」
「……あれ? この前見た魔女はこんなにも老けていましたか?」
穏やかな笑みを浮かべる魔女の首。それを受け取り麻袋に押し込んでいた新人騎士が呟くと、魔女の首に視線が集まる。
騎士達が最後に魔女を見たのは村での騒動の時。あの時は紛れも無く妙齢の女性と言った程に歳若く、娘のセリカと並んでも姉妹で通じるような若々しさがあった。
けれども今マスリが手に持った首は間違いなく中年の女性で、顔に刻まれた皺が確かな年齢を想起させる。けれども濃紺の髪は確かに魔女のもの。
一体どういうことだ、と魔女に向かっていた視線がアルフォンゾに向かうとアルフォンゾは動揺することなく無知蒙昧な部下のために説明をする。それこそがアルフォンゾが上機嫌である事の証明に他ならないが、それでも一瞬でも疑いにかかった部下たちを鋭い視線で非難することを忘れない。
「魔女は時止め、もしくは成長停止の魔術をかけた魔道具を有していたのだろう。悠久の時を生きようと企む魔術師には多く見られる特徴だ、覚えておけ。人としてあるべき時間の流れに逆らおうなどとは、やはり魔術師ども、特に魔女は考えることが下種だな」
「――な、なるほど!」
「アルフォンゾ様は博識でいらっしゃる!!」
「魔術師とは実に愚かな存在ですね」
三者三様にアルフォンゾを褒め称える。
実際には、魔術研究には長い時間がかかるが故に、ガタが来ている古い肉体よりも健康的で若い肉体の方がずっと動きやすいからと言う理由に過ぎない。それは成長を止める魔術式が刻まれた魔道具であり、悠久なんて長い時間作動することは叶わないきちんとした終わりがある制限付きの魔道具であった。
しかしこの場にその間違いを指摘できる者はおらず、ただひたすらに投げかけられる称賛が、数日もすれば何十倍にも膨れ上がるだろうことを想像してご満悦なアルフォンゾ。
そんなめでたい連中の円に加わることなく傍から眺める男が一人。
それは他の誰でもないジガレイトと言う男であり、彼はこんな夜中にまで職務に付き合わされて不満でいっぱいの様子だった。
騎士としては職務怠慢。不真面目で女好き。辺境に飛ばされるには些か理由が薄いように感じるが、他の面々もまた似たような理由である以上ジガレイトもそんなものだろうと思われていた。
しかし、実際にジガレイトが部下として働くことになった班からすれば、ジガレイトの振る舞いは不真面目、と一言でくくるには有り余る不真面目さだった。
隊長であるアルフォンゾを敬わないだけでなく命令違反も数多ければ、こうして夜中の任務にはやる気を出さない。
ただでさえ辺境騎士の管轄騎士の下に就くと言うだけでもはらわたが煮えくり返りそうなところを、アルフォンゾは我慢に我慢を重ねてジガレイトを受け止め続けた。実際には何度も何度も繰り返し申請した異動願いを全て却下されただけなのだが。
中央に行くまでの辛抱、我慢だと自分に言い聞かせて堪えたアルフォンゾは、ついに中央への切符を手にしてジガレイトを非難する。
「これで貴様のクビを存分に宣言できるようになる」
騎士を裁くことができる騎士と言うのは審問官であるのは間違いないが、何も他の騎士が騎士を訴えることができないわけでは無い。
加えて、中央騎士は審問官と立ち位置が近いがゆえに、アルフォンゾはジガレイトに直接審問官にぶつけることが可能になると思っていた。実際には審問官と言うのは騎士の中でも独立した騎士であるのだが、中央騎士となる人物を貶めた罪はアルフォンゾが訴えても十分に勝ち目のある訴えだった。
ただでさえ問題のある騎士が多い、いわば騎士であることの最後の砦とも言える辺境勤務の中で有罪判決が出されれば、ジガレイトはまず間違いなく騎士としての素養無しと判断されて騎士の鎧も剥奪される。
そう言った嫌味も含めて言ってのけたアルフォンゾに対して、ジガレイトはいつになく険しい表情で、鋭い口調で口を開いた。
「魔女には娘がいたはずだ。その始末はどうしたのだ」
到底上官に対しての口の利き方とは思えない口を利くジガレイトに、アルフォンゾはこめかみに青筋を浮かべる。
折角の上機嫌もこの男のせいで台無しにされ、怒りのままにこの場で切って捨てようかとも考えたアルフォンゾであったが、騎士の喪失は余りにもリスクが大きすぎる。殺すことで得られるメリットが少なすぎる事に加え、先ほどまでの熱に浮かされたように思考が短絡的になっていることに気付き落ち着きを取り戻す。
「……すでに調べがついている通り、魔女の娘は国民登録された一王国民だ。魔女の欠片も有さない小娘を騎士が殺害したとあっては、大問題だろう?」
「であれば魔女もまた国民証を持っているはずだ。娘が国民証を手に入れたのは六年前。しかし娘が町に出入りしていた記録は最古の十年前から記録にある」
魔女の娘、セリカを生かしてあるのは、協力者ジークに対する口止め料であるが、それ以上にアルフォンゾの言う通り騎士が国民に手を出すことは重犯罪者でない限りは禁じられている。
「良くもまぁ調べたものだと言いたいが、魔女が国民審査に通る事自体おかしな話だ」
「アルフォンゾ、それは国民審査の実態、王が定めた国民証を侮辱する言葉であるぞ。それに、魔女が魔女であると言う証拠も――」
「証拠なら十分。俺たちはあの女に傷付けられた。それはつまり歯向かったってぇ訳だ。王国国民が騎士に歯向かう真似をするか? それに疑うべきは魔女じゃねぇ。国民証自体が偽造されている可能性を考えろって言ってんだ」
これまでジガレイトがアルフォンゾを敬わなかった態度とはこれまた違う、被っていた皮を一枚剥いだかのような真面目な態度に苛立ちが募る。それは騙されていたと言う事実に加え、ただでさえ大柄なアルフォンゾを見下ろすようにして語り詰めるジガレイトが気に食わないからであった。
「その可能性も踏まえる事にしよう。であれば、王国法に則り別れの挨拶は済ませてやったんだろうな?」
瞬間、ジガレイトの雰囲気が更に変化し、アルフォンゾにはどれがジガレイトの素なのかは判断しかねる思いだった。
『――アルハバート王国法第八十八条第二項。人間に仇なす存在が家庭内に生まれ出でた場合、その家族は別離の時を以て騎士に譲渡しなければならない。また、騎士は別離の時間を設けなければならない』
世の中には隔世遺伝であったり、先祖返りなるものを起こして生まれる存在がいる。
人類至上主義とは言え、過去には亜人との交配を繰り返しその血を体に宿す者がいる以上起こってしかるべき現象なのだが、王国はそれを許しはしない。
「まず前提がまるで違うが……。魔女にはそれなりの時間は与えた。それとも何か、真実しか語っていないこの俺が嘘を宣っているとでも言うつもりか? その疑念一つで、俺を審問にかけるか?」
途中で首を切り落とした事実には触れず、けれども与えていないとは言えない時間であったが、確かにアルフォンゾは魔女の家族に別離の時間を与えている。
ジガレイトが提唱する王国法は王国国民にのみ適応され、本来ならば魔女には適応されない。加えて、魔女が国民証を手にしていた以上、国民証があるからと言う理由で魔女ではないと決定づけるのもまた難しい話。今回のケースであれば、離別の時間など与えなくとも言い逃れは十分にできた。
だがアルフォンゾはあの時、久しぶりに身に纏う事を許された竜気に心躍らせていた。取り繕わずに言い表すのであれば、自分の圧倒的なまでの力に酔っていたとも言える。
そう言ったアルフォンゾの言葉の裏に隠れた意図を見聞きしていないジガレイトは、これ以上一方的に証拠も無く疑いをかけることは出来ないと悟り一歩引く。
「そうであればいい。……いや悪いな、無駄な時間を過ごさしちまったみたいで」
「チッ、ジガレイト貴様、覚えておけよ」
瞬き一つする間に切り替わったジガレイトの変わり身の早さに、却って疑念を抱くアルフォンゾ。
この男は何かある、と感じ睨みを利かせるも、ジガレイトはその幅の広い肩をわざとらしく竦めてはアルフォンゾの視線から逃げるようにして後退していく。
「魔女の首は、誰にも渡さん」
「紛れも無くアルフォンゾ様の功績ですから! この首は、私のこの剣と鎧に懸けてもお守りいたしましょう!」
「俺も身命を賭してお守りします! アルフォンゾ様が中央に行かれた際には是非……」
「ぼ……、俺も! アルフォンゾ様に全てを捧げます!」
これ以上は埃も出ないか、と諦めたジガレイトはアルフォンゾの行く末を見ているだけのようで、部下の威勢にいつもと変わらない飄々とした顔を見せるのみ。
そんな男を背後に置くのが憚れるが、殿として、騎士としての実力は申し分ないのがまた気に食わないポイントだった。
「まあいい。全員、灯りは持ったな。道中の魔物はすべて無視。もしくはこちらに向かう命知らずの化け物のみを排除して進む。夜が明ける前に森を抜け、エッジに帰投する!」
アルフォンゾの声に、部下たちはその手に灯りを掲げ短い返事が重なる。
そうして先陣を切って帰路にかかるアルフォンゾは、一歩一歩エッジに向かって足を踏み出すたびに、邪魔が入って失せたはずの高揚感が取り戻されていく。
中央騎士に上がるには十分な成果を手にしている事だけでは無く、自分を辺境に追いやった馬鹿な中央の連中が節穴だったことを知らしめ引きずり落とすことに加え、あの男に牙を突き立てる好機が巡ってくることに対しての高揚感。
既にアルフォンゾが向ける足先は「エッジ」などという木っ端な辺境の町では無く、王都に向かって踏み出しているようなものだった。
松明を片手に行軍するアルフォンゾの部隊は、そのままつつがなく森を抜けれると本気で確信していた。中央にしか目が向いていないアルフォンゾと同じく、サイオン、キリスカ、マスリの部下達もまた栄転の事で頭がいっぱいだった。
緊張感が足りないと然るべき人間が最も良くに塗れた表情を浮かべている。
それもそのはず、この辺境の森で素養無しの手前と判断された騎士でさえも片手間で倒せるような魔物しか辺境には生息しておらず、気を抜くには十分すぎる要素が揃ってしまっていたから。
――だが、その気の抜けた行軍も、一瞬のうちに露と消え果てる。
突如として襲った強大な威圧感。
それは浮ついたアルフォンゾの足を止めるには十分であり、同時に一瞬にして汗が全身の穴と言う穴から噴き出す。
それは生物が持つ生存本能が「逃げろ」と耳元で叫んでいるような状況で、咄嗟に周囲を見渡しても見えるのは夜の森の静けさだけ。
同時に、アルフォンゾと全く同じ反応を見せるのはジガレイトのみ。他の部下たちは先頭と殿の人間が異様なほどに警戒する理由が分からないようであった。
反応を示すジガレイトに違和感を覚える暇も無かったのは、それ以上に森の様子が異常とも言える状態だったから。
――静かすぎる。
夜は魔物の世界。いくら騎士の敵ではないからと言って、夜の森をこうして灯りを手にしていながらも襲われない状況がおかしいと理解できたのは、アルフォンゾの脳が浮ついた思考を捨てたからか。
一秒、二秒と経つ度に心臓の鼓動が速くなっていく。
そしてそれは勘違いなどでは無く、時が経つ度にこちらに迫って来ているのを肌で感じる。
周囲を警戒する様子のアルフォンゾとジガレイトの鎧の下は汗で重みを増すほどに緊張しており、二人の異変を察知した部下が呼びかける声も届かない。
――どこから、どこからくる。
夜の闇が支配する森の中。
アルフォンゾとジガレイトは目を皿にして周囲を警戒し続けていた。
だがしかし、その苦労虚しく、それはアルフォンゾとジガレイトの二人が予期していた方向とはまるで異なる、思いもよらぬ方向から現れるのであった。




