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龍の腕は世界を抱く  作者: 萌葱クレイオ
第三章 想いの継承、世界と人の業
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79話 蹂躙

読んでいただきありがとうございます。

本日二話目。

 


 ――空。


 それは遥か上空から突風と共に地面に飛来した。


 空気の塊、竜気の塊、竜気が人の形をしている。

 言葉に表すとすればそう言った類の者。()()を目にしたアルフォンゾは一目で、()()が人間ではないと悟った。


 まるで空そのものが落ちてきたかのようなこれまでに感じたことも無い強風が吹き荒れたかと思うと、()()はアルフォンゾの背後に出現した。

 実際には出現したのではなく、ただ遥か上空から人一人が抱えるには大きすぎる竜気を纏って落ちてきただけなのだが、騎士達にとって大切なのは、生きて帰れるかどうかの一点だけだった。


 なぜなら、既に()()の足元には一人、地面に伏していたのだから。



「――ハズレ」



 ぽつり、と呟かれた声は淡々としており、人一人を殺した後に吐くような言葉ではない。そもそも人ですらない化け物の言葉を理解するつもりも無かったが、何を意味するのかは分からずとも「ハズレ」があるのなら「アタリ」があるのだと言う事だけは分かった。それはつまり、()()は騎士にとって排除すべき敵であり、立ち向かわなければならない巨悪だと言う事だけは分かった。


 だが、この状況で誰が得体の知れない化け物に立ち向かっていけるものか。


 あの傲岸不遜を貫くアルフォンゾでさえも、()()を前にしては腰が引け、脚は地面に縫い付けられたかのように一歩も動けない。

 竜気に気圧されただけでは無く、生き物としての格の違いを見せつける、人間の枠組みから外れた、人間の範疇にはない存在を前に息をするのがやっとだった。


 それはアルフォンゾ以外もまた同様で、竜気を感知できないはずの部下達ですら息を飲み、()()を目に収めて初めてアルフォンゾやジガレイトが感じていた異常事態に理解が追い付いた様子。


 とは言え、部下の様子に気を配る余裕など今のアルフォンゾにはあるはずもない。なぜならば、アルフォンゾにとって竜気の存在はどんな場所でも圧倒的なまでのアドバンテージを彼に与えてくれていたものであり、彼が他者を見下すための要素の一つであったから。

 それは三年前のあの日、竜気を封じられての惜敗を経てより色濃くなっており、魔女との対峙においても更なる自信を彼に与えてくれていた。


 だと言うのに。


 アルフォンゾの自信の源である竜気を遥かに上回る――否、上回る、なんてそんな粗末で貧弱な言葉で言い表していいようなものではない程に差が開いている現状を目の当たりにして、決して崩れるはずのなかったアルフォンゾと言う男の足元に積み上がったプライドは脆く崩れ去り、蒸発して消えた。


 ゆえに、咄嗟の事態に相対した場合の、その場に即した動きを取ることができなかった。


 いわば、自分が井の中の蛙であったことを思い知らされた状態。それも、プライドばかりが先行して成長した偏屈なアルフォンゾの凝り固まって鉄のような固さにまで成長しているプライドを粉々に打ち砕かれた状態。敵を目の前にしてなければ、膝をついて打ちひしがれていてもおかしくはない状態だった。


 そのため、アルフォンゾは()()の足元に転がる人物に意識を裂くことができない。

 地面に倒れ伏しているのは、アルフォンゾ隊の中でも一番歳若い青年騎士マスリ。

 彼の剣は鞘に収められたまま、鎧は原形を留めないまでに踏み砕かれており、陥没した地面の中で意識を失っていた。

 アルフォンゾからすれば、目の前にいる恐怖の存在を目の当たりにしないで意識を飛ばせることがどんなにありがたい事か、らしくもない弱音ばかりが頭の中を過る。



「――カハッ……!」



 益体もないことに思考を割き、瞬きをしようと瞼が降りた刹那、大きく息を吐き出す音が耳元を過ぎ、瞬間的に開かれたアルフォンゾの視界は目の端に映った人影を捉える。

 ボールのように跳ねては転がり、森の奥へと弾き飛ばされたのは、アルフォンゾの顔色を伺っていた狡賢い騎士キリスカ。


 マスリと同じように砕かれた鎧の破片が地面に転がっている中で、()()の背後でジガレイトが動いたのが見える。


「……お前、何者だ?」


 ジガレイトもまた、普段と異なる、先の一瞬に見せた被っていた皮を脱いだ状態の様子で慎重に言葉を選ぶ。


 騎士達の目から見える()()の姿は、少年と呼んでも過言では無いくらいに小さい。けれどもその身から放たれる竜気の存在は遥かに強大。中性的な顔つきの中でも特に目を引くのが、竜気に煽られて舞い上がる前髪から覗く深い傷跡。それは魔物による傷跡などではなく、剣を扱う騎士だからこそ分かる、同等の使い手によって付けられた生涯消えぬ刻印である追放刑の一つでもあることに咄嗟に気付く。

 とは言え王国で追放刑が執行されたのは、魔法使いが台頭し始めた二百年前が最後という記録が残っている。だからこそ、アルフォンゾとジガレイトの目には少年の姿が、()()の姿が亡霊のように、化け物の姿のようにしか見えないのであった。


 ジガレイトが当然のように魔力と竜気を併用している姿に、アルフォンゾはようやく目が覚めたかのように腰のナイフに手を伸ばす。




「――お前ら動くんじゃねぇ! 全力で逃げろッ!!」




 しかし、突如としてジガレイトが突き付ける矛盾によってその手は止まり、ジガレイトが動き出す。


 身の丈に合わない剣を片手に、少年に突き進むジガレイト。

 アルフォンゾの目でも追うのがやっとの速度で動き、彼我の距離を無いものにして見せた動きは到底一兵卒がこなせる動きではない。

 足の運びも、腕の振りも、鍛え抜かれた歴戦の騎士の動きであり、これまでアルフォンゾに見せてきた動きとはまるで異なる現状に対してアルフォンゾは珍しく苛立ってはいなかった。

 ジガレイトが見せた裏切りは、今の状況では腹を立てるどころか頼もしいくらいだったから。



「うぉおおおおおおおおおおおッ――」



 夜の森に轟く大男の咆哮。

 迫るジガレイトに対して、少年の形をした化け物はようやく後ろを振り返る。

 その状態からは反応しきれまい、とアルフォンゾが追撃に向かおうとした刹那――。





 ――ジガレイトは木々を薙ぎ倒しながら後方へと吹き飛んでいく。





「っ、な……!?」



 ガキン、と音を立てて崩れるのはジガレイトが手にしていた剣。その刃先が地面に落ち、少年の姿をした化け物はただ腕を突き出して止まっている状態。


 アルフォンゾの隣に立つ騎士、サイオンは何が起こったか分かっておらず、ただジガレイトが吹き飛んでいった方向を見て恐怖に顔を染める。対するアルフォンゾもまた、少年の姿をした化け物が何をしてどう動いたのかなど、サイオンと同じく見えもしなければ分かってもいなかった。


 だが同時に、まだ終わっていないことだけは理解できた。


 夜の闇を切り裂くようにして半ばから折れた剣が少年の姿をした化け物目掛けて飛来する。

 当然、そんななんの工夫も無い攻撃が通じるはずも無く難なく落とされてしまうも、腰に携えたナイフを片手に少年の死角を縫うようにしてジガレイトが姿を現す。



「――もらったァァッッ!!!!」



 あの大柄な体をあそこまで器用に隠して移動する技術は見事なもので、アルフォンゾでさえも舌を巻くほどのもの。

 しかしそれ以上に驚いたのは、ジガレイトの動きに完璧に対応している少年の動きだった。

 一瞬前までは剣の飛来した方向を向いていたはずなのに、今は完全にジガレイトが迫る方に面を向かせており、相対するジガレイトもまた「そんな馬鹿な」と目を見開いている。



「――空牙」



 瞬間、リンと鳴る鈴の音のような声が夜の森の中に染み渡る。

 ジガレイトが逆手に持ったナイフが少年の首に迫るゼロコンマ以下の時間でもって膨れ上がった竜気は、少年の指の動きに従うように指向性を持ってジガレイトの肌を撫ぜる。


 直後、羽虫のような音と共に無数の天色の軌跡がジガレイトに迫るや否や、ひび割れた鎧の上から容赦なく全身を切り裂いた。




「ぁ、が……ッ!? 逃、げ――」




 真昼の空が顔を覗かせたのはほんの僅か一、二秒の間。

 青空の輝きが失せた後には、ジガレイトの鎧は無残にも切り刻まれ、全身から血を流してその場に倒れ伏す。


 ジガレイトと言う男が何らかの事情で身分を隠しているのはこの異常事態を通して理解した。


 同時に、ジガレイトの強さが自分にも匹敵、あるいは上を行く存在であることも理解できてしまった以上、ジガレイトが為す術なくやられてしまった事実からアルフォンゾとサイオンのたった二人で目の前の少年の姿をした化け物に抗う術は最早何ひとつ残されていないことを理解してしまったのだ。


 それは最早、蹂躙なんて生温い、一方的な殺戮でしかなかった。



「……生きてるよ。まだ、ね」



 淡々とした口調で、この場にそぐわない気楽な様子で少年が口にするのは、一縷の希望。しかし、放って置かれては確実に死に向かうであろう言葉は、残る騎士の足を鈍らせるには十分だった。


 耳を澄ませば聞こえてくるのは、ジガレイトの虫の息、キリスカの苦しみ喘ぐ声。

 マスリは完全に沈黙しているが、死者の気配は感じられない以上生きてはいる。


 アルフォンゾにとって、部下は足を引っ張らなければ何でもいいただの捨て駒であり、ただの踏み台でしかなかった。

 ゆえにこそ最小規模の分隊で自分の栄誉だけを追い求めてきたわけであり、真っ先に浮かんだのは部下たちを囮に魔女の首だけを持って逃げてしまおうかという判断だった。


 けれども、それは目の前の少年の姿をした化け物によって妨げられてしまう。

 騎士として一目散に逃げる事などあってはならない。守るべき国民が最優先である以上、隊長格あるいは中央騎士は率先して最前線に立つ必要があった。


 これまではアルフォンゾもこれ以上の失墜は許されない、と自ら率先して魔物を排除し、今回も魔女を排した。当然それらは中央への点数稼ぎであったが、同時に「竜気」という自信につながるアドバンテージを有していたから出来る事でもあった。実際魔女との対峙の際も竜気がなければ死んでいたし、竜気に助けられてきた場面はいくつもあった。だからこそ自身にも繋がっていたのだが、今こうして自分よりも圧倒的なまでに力の差が開いた相手を前にして、竜気というアドバンテージも無くしたアルフォンゾは勇敢に立ち向かうことができなくなっていた。


 しかし、少年の姿をした化け物は部下たちの命を奪わないことで、あえてアルフォンゾに立ち向かってくることを強要してくる。魔物が、化け物が人を襲う理由はただ一つ、命を奪うため。だと言うのに、目の前の少年の姿をした化け物はそんな常識を嘲笑うかのように騎士に試練を押し付けてくる。

 部下が生きている状況で逃げ出すことは騎士として決して拭えぬ汚点。たとえ魔女の首を持って帰ったところで、アルフォンゾの未来は暗く淀んだものと決定づけられてしまう。


 化け物が騎士の規則を理解しているとも思えないが、アルフォンゾからすればとにかく不味い状況の中、文句を言ったところで結局は立ち向かわざるを得ない。それだけが、中央へ向かうために必要なことだから。


「……っ、アルフォンゾ様だけでも、お逃げください! うおぉぉぉぉ!!!」


 アルフォンゾを信奉するサイオンだからこそできた行動。

 敬愛してやまない上官の命を優先するという使命があるからこそ、人を凌駕した存在に立ち向かう事ができたのだ。


 手に持った麻袋を投げ捨てる。

 サイオンは、魔女の首と言う成果よりもアルフォンゾが生き延びることが最良だと判断したがゆえの行動。


 しかし、その行動は完全に裏目に出る。


 麻袋から滴る血。

 口から覗いた濃紺の髪の束。


 暗闇の中、迫るサイオンよりも麻袋を注視していた少年は、麻袋が地面に落ちるよりも早く動き、気付けばアルフォンゾのすぐ傍で生首の入った麻袋を大事そうに抱き締める姿があった。


「おおぉぉぉぉ……、は?」


 サイオンは目的を見失っていることに剣を振り下ろしてから気付く。

 同時に、突如として背後から明確な殺意が浴びせかけられたことで、サイオンは振り返ることも出来ずに喉が締め付けられたかのような呼吸困難に陥ってしまう。


 竜気でもなければ魔力でもない。

 ただの殺意を向けられただけで一介の騎士が行動不能になる。その事実がどれだけ恐ろしいものか。

 加えて、急激に膨れ上がった竜気が少年の右腕に集められていく。


 その身に宿る竜気は底無しか、と思えるほどに膨大で、殺意も竜気も向けられていないはずのアルフォンゾでさえ、少年に手を出すことができないでいた。

 手を伸ばせば届く距離だというのに、決して届きはしない程に遠い場所にその少年がいるような錯覚に落ち居ていたからであった。


 左腕で魔女の首が入った麻袋を抱いた状態で高まる竜気は、もしも放たれてしまえばこの場所で瀕死の騎士はおろか、アルフォンゾもこの森も、地図上から消え去るだろうと言う考えが真っ先に思い浮かぶ。



「破空……」



 アルフォンゾが何年、何十年と時間をかけたところで到底辿り着けない程の竜気量。

 それで何をするのか、何が起こるのか。その足元にも及ばないアルフォンゾには見当もつかないが、分かることは一つだけある。


 それは、それによってもたらされるもの、訪れるのが避けようのない「死」と言う事だけ。


 果たしてそれは自分のもつ竜気と同じものなのか、と諦めの領域で口を開けてただ死を待つだけのアルフォンゾだったが、次の瞬間、その開いた口が更に大きく開く羽目になる。



「竜掌――、痛ッ!」



「――落ち着け。森を消すつもりか」



 限界を超えて尚高まる竜気が遂に放たれようとしたその瞬間、三つの衝撃がこの場に走った。



 一つはサイオンが鎧を砕かれて地面にたたきつけられた衝撃。

 もう一つは、少年の額を弾き集っていた竜気が霧散していく衝撃。

 更には、突如として現れた、今度こそ人の形もしていない化け物が現れた衝撃。



 少年の化け物と並ぶかそれ以上の、天災とも呼べる魔物の出現。

 それも、少年の化け物と相対していない様子を前にアルフォンゾは遂に考えるのを止める。

 最早人間が相対することなど、自然災害を前に人間が同行できる問題ではない、と大きく口を開けたまま、引き攣って乾いた笑みを零すことで恐慌に陥らないようにすることで精一杯だった。








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