77話 降り注げ厄災
読んでいただきありがとうございます。
本日五話目。
確かにレイが自分の過去に向き合えるきっかけが欲しいとは願ったものの、それは決して『今』なんかではない。
人格の基礎が歪んでいるレイが今すべきことはその基盤をしっかりと整えることで、それは長い時間をかけて人との関りを通して培うものであり、今の状態のレイに荒療治を試みたところで、それは彼の精神的苦痛、トラウマを刺激することに他ならなかった。
不用意に心の闇という藪をつついてしまえば、鬼でも蛇でも無く、龍が顔を出す。
「……セリカ、何が……、あった、の?」
胸を裂いて龍が顔を出すのを抑え込むかのように、何かを必死でこらえる様子のレイが震えた声でセリカに尋ねる。俯き、固く握られた拳は手の平に爪が食い込んでいく。
泣きじゃくるセリカは、後ろから軽く小突くだけでも限界を迎えそうな状態のレイに気付くことなく語り出した。
「ママが、ママが騎士に……っ、ジークが、騎士を呼んだから……! ママは、最後に、愛っ、してるって言って、くれたのに、あたしはっ……、あたしはっ……!」
「っ、セリカ、落ち着いて」
後悔に苛まれるセリカを見て、自分の感情よりも優先して彼女の手を取るレイ。
レイもまた現実に目を向けるのが酷く恐ろしいが、それ以上にセリカの方が傷を負っているはずなのだ。
アイリーンの体から離れようとしないセリカを慎重に引き離し、椅子に腰かけさせる。
目を見て、同じ悲しみを背負うレイの言う事を聞ける辺り、セリカはまだ正常だった。
――だが、大切な人を、家族を奪われた絶望の恐ろしさは、この後に襲ってくることをレイとシオは知っている。
当たり前の日常に、あるべきはずの人がいない。それを痛感する度に、レイは苦しみ、憎み、ただひたすらに泣き続けた。
そんな辛い思いをセリカにさせるわけにはいかない。けれども、レイはセリカの事を良く知らない以上、彼女を支えるべき人間は別でいなければならない。
それこそが、彼女の婚約者であるジークだろう。
だが、セリカの言葉に信じられない話が並んでいたのもまた事実。
血だまりに落ちていた紐の切れた首飾りをセリカに握らせ、少しでも落ち着きが戻ってくるのを期待しながら、レイは部屋の隅で一人虚ろな目をしてぶつぶつと聞こえない声で何かを呟き続けるジークに視線を向けた。
「――俺のせいじゃない俺は悪くないセリカのためだった、俺のせいじゃない俺は悪くないセリカのためだった、俺のせいじゃない俺は悪くないセリカのためだった、俺のせいじゃない俺は悪くないセリカのためだった、俺のせいじゃない俺は悪くないセリカのためだった……」
ジークは部屋の隅で縮こまって、床を凝視していた。
レイが近付いても何の反応も示さず、ただひたすらに自分の弁護だけをうわごとのように繰り返す。
「ジーク」
「――俺のせいじゃない俺は悪くないセリカのためだった、俺のせいじゃない俺は悪くないセリカのためだった、俺のせいじゃない俺は悪くないセリカのためだった、俺のせいじゃない俺は悪くないセリカのためだった、俺のせいじゃない俺は悪くないセリカのためだった……」
声をかけても反応一つも示さない。
ジークは自ら考えることを放棄して、自失の状態で自分の世界に閉じ籠るを選択したようだった。
自分の心が壊れることを防ぐ人間としての防衛措置とも言えるその行為は正しいとも言えるもので、その行動に関してはレイは咎めることは無い。実際にレイもまたそうしていた時期があったから。
けれども、それを許すのはレイではないし、ましてやジーク本人でもない。
この場でそれを許すことができる人物は、セリカ以外に存在しないだろう。
だと言うのに――。
――血の一滴、微かな埃すらも届かない一際綺麗な部屋の隅で膝を抱えて縮こまっているジークの姿が、レイの目には酷く薄汚れて映っては不快で仕方がなかった。
ゆえに、レイはジークの胸倉を掴んで頭を上げさせ、その目を覗き込む。
「俺のせいじゃない俺は悪くないセリカのためだった、俺のせいじゃない俺は悪くないセリカのためだった――」
「……ふんっ!!」
それでも尚、目に光を宿そうとしないジークに向かって、レイは躊躇うことなく頭突きを食らわせた。
「――ぁがっ!?」
前頭骨がジークの鼻の頭に見事にクリーンヒットし、ジークは吹き出た鼻血を抑えながら困惑と非難に満ちた目をレイに向ける。
非難? 非難しているのはこちらだ、とばかりに不快を露にした表情を隠そうとしないレイからは普段温厚な様子が嘘のように消え、冷徹な眼差しがジークの心を刺す。
もしもジークが本気でレイに非難を訴えているのであれば、レイは今すぐにその差し伸べている手を引き戻す心づもりでいた。
助ける価値など無い、と判断して。
間接的にと言えど、この男はセリカから大事な人を奪ったのだ。それを許してしまえば、姉を死に導いた元凶以外を許すことになる。当然それらにはレイ自身も含まれており、それだけは、何があっても許してはいけないものだった。
ギリッ、と歯噛みするレイから、感情の昂ぶりに応じて竜気が漏れる。
「ジーク、どうして、騎士を中に入れたの」
途端、その漏れ出た竜気が指向性を持ってジークに襲い掛かる。
竜気を感知できないジークは、訳も分からず襲い来る強大過ぎる力の波に呑まれていくようで、今まで感じていた騎士アルフォンゾに対する恐怖が流され、どうして恐怖していたのか分からなくなる。
あまりにも大きな存在を前にして、騎士に対して感じていた恐怖がちっぽけに感じる。
今なら全て話してしまえる程に自分を取り戻したジークであったが、騎士への恐怖ですら立ち向かうことができなかったジークがいったいどうしてそれを遥かに上回る、それも自分に対して怒りの感情を向けてくる相手に立ち向かうことができるだろうか。
どうすれば、目の前の少年を怒らせることがなかったか。どうすれば、道を間違わずに済んだだろうか。
真なる恐怖を前にして、ジークはようやく自分を縛っていた恐怖の鎖を解き放つことができたが、考えられるのは天災かと思えるほどに恐ろしい目の前の少年から逃れることばかり。
止まることのない体の震え、体の芯から凍り付いたような恐怖。これらを感じていながら正気を保っていられたのは、偏に鼻に残る痛みがあったおかげだろう。それがなければ今頃は、目を白く剝き、失禁したみっともない姿をさらしていたことだろう。
「レイ」
「……うん」
固く握り締め、爪が手のひらを食い破った拳を開かせたのは、他の誰でもない、シオだった。
瞬間、肺に流れ込んでくる空気は冷たく、乾ききったジークの肺を潤していく。
荒い呼吸を繰り返す中で、シオもまたレイと同様に冷たい視線を向けながらレイと同じ問いをジークに投げかけた。
「……っ、せ、セリカを、守れるって、聞かされて、約束されて……!」
「約束、ね。代わにりにアイリーンを殺す手引きをしたってわけか」
「あ、あぁ。で、でも――」
「――あたしはッ!!!」
ジークの話を遮って、甲高い悲鳴にも似た、セリカの魂の叫びが響き渡る。
「あんたに守られるくらいならっ、ママと死んだ方がずっとマシよ! せっかく……、せっかく仲直り、できたと思ったのに……!!」
完全な拒絶。
それを示したセリカは、目から血を流しているかと錯覚できるほどに険しい眼差しをジークに向けており、再び泣き崩れるセリカにレイは駆け寄る。
レイやシオもまた、ジークにのみ責任を負わせるつもりはない。二人もまた、こんな状況で騎士の問題を棚に上げ、希望的観測を述べて席を外したことに責任を感じずにはいられなかった。
ゆえに、レイはセリカの涙を受け止める事、シオにはジークを立ち上がらせることでしか、その責任を果たす方法が見つからなかった。
「ち、違うッ!! 俺は、まさか殺すなんて思っても――」
悲しみに暮れるセリカに対して、ジークがかけた言葉は謝罪でなければ慰めでもない。
これ以上嫌われたくはないと言う思いが先行して出た欲に塗れた自己保身。
瞬間、それ以上セリカの思いを穢すものか、と放たれた矢がジークの股の間に突き刺さる。
それは数センチでもずれていればジークの体に穴が空いていた事だろう。
加えて、ジークもセリカも、シオでさえも、レイが矢を番えて放った瞬間を目にしていない。それを理解できたのはシオだけであったが、ジークがそれ以上心無い言葉を続けることができなくなるには十分すぎるものであった。
「ひっ……!?」
ジークの目線の先では、レイは既に第二射を番えており、その狙いは間違いなくジークの眉間を捉えていた。
「……言い訳をするな。罪から逃げるな。誰かを犠牲にして生きることがどれだけ辛いものか、想像してみろ」
それはレイが過去の自分に言い聞かせているようで、重く、苦しい言葉はセリカの涙も止めている。
温厚なレイが、シオにも見せたことのない怒りの形相で、底冷えするような声音で語る声に、ジークはようやく目の前の状況に思考を割けるだけの余力を見出す。レイの言葉に誘導されてようやくとも言える程に遅かったが。
ジークにとっての大切な人が失われても尚生きていかなければならない人生を夢想し、ジークの顔色は次第に恐怖に染まっていく。
「これから先、そんな人生をお前は愛する人に送らせるんだ。その責任から逃げることを、目を背けることを、僕は絶対に許さない」
「っ、あぁ、あぁ……! 俺は、なんてことをしてしまったんだ……! 俺は一体、どうすればいい!?」
「自分で考えるこったな。……強いて言うならまずは、愛する人の涙を止めてやるのが先決だろうよ」
ジークに後悔の念と共に目の光が戻ってきたことを確認したレイは構えを解いて背を向ける。
今一度レイは姉への思い、アイリーンへの思いを再確認し、同時に奪った者に対しての怒りを思い出す。
シオの言葉を聞いてフラフラとした足取りでセリカの元に向かったジークであったが、当然のように「来ないで!」と拒絶され、手持ち無沙汰に立ち尽くす。
けれどもその姿は、表情はこれまでとは異なり、セリカのために何ができるかを考える真剣なようすに変わっていた。
とは言え、それでもレイは彼を許せそうにない以上、湧き出た怒りをジークに向けるより先に外へと足を向ける。
「……シオ」
「あぁ、魔力どころか竜気もばっちり残して行きやがった。ばっちり追えるが……大丈夫か?」
「……大丈夫じゃないよ」
「でも、行くんだろ?」
「行かなきゃ、いけないからね」
弓と矢筒を担いで外に向かうレイだったが、後ろから袖を引かれて立ち止まる。
「……レイ、どこに行くの……?」
その声は震えており、どこにも行かないでくれと遠回しに告げているほどに弱く掠れていた。
今までのセリカからは遠くかけ離れた声に、レイは振り返ってその手を強く握り締める。
「アイリーンさんを、取り戻しに行ってくる」
その言葉を聞いたセリカは、聞き取るのも難しい程に小さい感謝の言葉を口にし、再び泣き出してしまう。
今は存分に泣くべき、好きなだけ泣いて、泣いて、泣き果たすべきだ。
それ以外のやるべきことは、レイとシオが、ジークがやればいい。
血の海に沈む、姉と同じ最期を迎えたアイリーンの体に目を向けたのち、一息吐いてからセリカに問いかける。
「アイリーンさんの最期は、どんなだった」
その声にハッ、とする様子で顔を上げたセリカは、レイの真意を敏感にも感じ取って声に出す。
「……笑って、いたわ」
その言葉を聞いてレイは静かな笑みを浮かべ、セリカの頬を流れる涙を指先で拭う。
そうして振り返ったレイの表情は暗く、冷たい夜に溶け込むかのようで、静かな怒りを湛えているのだった。
冷たい夜風は、レイの憤怒で沸騰した頭を程よく冷まして、落ち着きを取り戻してくれる。
シオは魔力も竜気も感知できるゆえに、あの家に残された痕跡を追うことができる。
アイリーンの魔力が特に濃く残されていたのは、アイリーンが死の間際、何かを遺してくれたおかげか、必ずレイとシオが来てくれると言う確かな信頼の表れだと言う事をシオはレイに伝えられなかった。シオには、それを伝えた時にレイがその信頼を裏切った形になる事を酷く落ち込む未来が見えていたから。
その痕跡を追って、今は森の上空を夜風を切って追いかけていた。
「少しは落ち着いたか?」
「全然」
「ハハッ! 俺もだ」
口では笑っていながらも、シオの目もまたレイと同じように激情を宿している。
レイとシオにとっても、アイリーンは特別な存在だった。
グレイ爺の妻と言う点もあるが、外の世界に出て一番最初に繋がりを持った人物であり、短い時間で様々なことを、グレイ爺もギンも教えてくれなかった事を教えてくれた人だったから。
その中でもレイにとっては、アイリーンはヒジリと重なる点が多く、レイの知り得なかった「母」と言う存在を最も大きく感じられた相手でもあった。
加えて、セリカとの仲を取り持ったこともあり、これから先、アイリーンの元には明るい未来が訪れるだろうと思った矢先の出来事だったが故に、レイは自分の事以上に腹立たしく、より憎しみが強まっていた。
そんな中でも、毎度の事ながら自分を責めるのはレイの悪い癖であった。
直接的な原因は騎士、そしてそれに手を貸したジークであるが、セリカが「死んでしまいたかった」と口にしたのは、長年の確執を取り除いたからでもあった。
それはつまり、あのままセリカとアイリーンの仲を取り持たずに、今もセリカがアイリーンを憎んでいれば、セリカは今のように悲しむことも無かったかもしれないと考えては、ありもしない罪悪感を自ら進んで背負おうとするレイ。
その様子をおくびにも出さないレイであったが、当然シオには相棒の暗澹たる思考は筒抜けであり、シオは自分の背に跨るレイを注意するようにして声を上げた。
「……レイ、セリカが悲しんでいるのはお前のお陰だ。セリカが悲しまない結末を望んでいたら、レイは今頃もっと後悔していただろうが。それに何より、母が死んで悲しまない娘がいるなんて、そんなのはあまりにもアイリーンがかわいそうだろう」
「そう、かな……」
「そうなんだよ。だから、今は前を向け」
前を向け、との言葉に、レイは眼下に広がる森の中を突き進む松明の光をその目で捉える。
「最期は、笑ってた、って……」
「レイ、落ち着けよ」
グレイ爺と同じ、夫婦揃って同じ死に顔。それに加えて、姉もまたレイの目の前で笑って逝った。
その事実は、レイにとって十分に取り乱しかねない情報であり、それはシオもまた同じであった。
自分に言い聞かせるようにしてレイに注意を促すが、シオもレイと同じくして眼下の灯りを目撃する。
(笑って死んだら、笑顔で死んだら幸せか? そんなはずはない。そうであっていいはずがない。三人の中で、最後まで幸せだったのはグレイ爺だけ。人は、生を全うしてこそ幸せなはず。人生は、誰かが奪っていいなんてこと、絶対にあってはいけないんだ……!!)
これまでずっと抱えていた不安が、アイリーンの死を受けようやく言葉として浮かび上がる。
その想いは口にこそしていないものの、シオにもひしひしと伝わっており、遥か上空で竜気が奔る。
レイはゆっくりとシオの背に立ち、感情のままに竜気を放出する。
「危なくなったら止めてね、シオ」
「無茶な注文だぜ、それは。俺も、俺自身を止めるので精一杯なんだからよ」
牙を剥いて、されど笑顔は浮かばない両者が、眼下に見える鎧姿の人間に怒りの矛先を向ける。
レイはゆっくりと上空の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んで、感情を力に、荒ぶる竜気を完全に御して呟いた。
「――竜気覚醒。真名解放、空を導く龍」
瞬間、夜空が一瞬、昼の空のように青く光る。
そうして間もなく、夜空を支配した龍の怒りが少年と共に大地へ降り立つ。
それは人が決して逆らう事の出来ない天の厄災。
空そのものとも言える暴威が、王国の片田舎の森に出現する。
魔の力を有した人間如きが、逆らう事など出来ない圧倒的な力を纏って、少年の姿でもって権限する。
天色の鱗を剥がしながら、夜空に描く一条の軌跡を残しながら、レイは一直線に空を落ちていくのであった。
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