76話 醜悪の片鱗
読んでいただきありがとうございます。
本日四話目。
「これだけあれば足りるかな?」
薬草やキノコ、他にも頼まれた物以外にもレイが知る薬草や薬になる虫の類でパンパンに膨らんだ鞄を眺め、レイは呟く。
帰らずの森は方向感覚を奪う霧で満ちてはいるが、入り口付近程度の濃さであればシオに跨って上空に顔を出せれば帰り道は簡単にわかる。中層に近付きさえしなければレイ一人でも帰り道に迷う事はない程度の霧であったが、そもそも「帰らずの森」の低層、及び外周は極端に広く、レイ達が初めて森の外に出ることができたのもグレイ爺の家を発ってから半月かかったのだ。中層に近付くなんて、一日やそこいら、むしろ半日程度では到底辿り着けない広さがあった。
「集まったか? 夜の間に帰ろうぜ」
レイが薬草類を採取している間、襲い掛かる霧の中の魔物をシオは蹴散らしてくれていた。採取には手を貸せないと言ったところで暇を持て余してじゃれ合っていたとも言えるが、それでもレイ一人で採取するよりもずっと効率的に、手早く集められたのもシオのお陰であった。
レイの感謝の言葉を「はいはい」とおざなりに受け流したシオは、暇つぶしの戯れの相手をしてくれていた魔物を口から放すと、死と隣り合わせだった魔物は脇目も振らずに走り去っていく。
「……ぁんだよその目は」
「ううん、別に。シオは優しいなって思っただけ」
「別に、じゃねぇじゃねぇか。それに、魔物だろうと無暗に殺すのは無しだって話だったろ?」
「うん、そう、それ。別に僕の言ったことを必ず守る必要なんてないのに、気を遣って守ってくれてるんでしょ? そういうところが、優しくて好きだよ」
「かぁ~~~~~っ! レイお前、おま、お前……っ。本っ当に、そういうところだぞ?」
「……?」
目を細めて柔らかな眼差しで微笑むレイの言葉を受け、シオの胸の中は直接感情を揺さぶられたようなむずがゆい思いがせり上がってくる。
いつものように照れ隠しで攻めっけのある言葉を口にするも、シオはいつものサイズに戻って空中でくねくねと体を捩らせる。照れている証拠だ。
対するレイは何か照れる要素があっただろうかと疑問に首を傾げている。
レイはヒジリと出会ってから日々の生活で彼女の影響を強く受けており、思ったことを何でも口にしてしまう直接的な言葉遣いもまた、ヒジリの影響の一つだった。彼女は、必ず一日に一回は「愛しているわ」や「大好きよ」と甘い囁きをレイに向かって口にしていた。それはヒジリがいつ自分の体に突然の死が襲い掛かってきてもいいように、悔いのない日々を送ろうとした結果、自分の気持ちを素直に伝えることを決めたのだが、それに付き合わされていたレイもいつしか同じような事を口走るようになってしまったのだった。
始めは意味が分からなかった言葉も、レイは次第に意味を理解し、真似をするように口にするようになった。
幻想の森を出た後も悪い事では無かったからシオは咎めることはなく、相手に対して素直な気持ちを口にしてくれるレイはグレイ爺にも、ギンにも好かれた。
自分よりずっと幼く小さな子供に「好き」だと言われてしまえば、グレイ爺のような人間は表情をだらしなく緩めて甘やかす。加えて、どんなに捻くれ者で、性格の悪いギンであっても、レイの純真を前にしてはたじたじになる。
その様を傍から見る分にはたまらなく面白かった事を、グレイ爺と共に腹を抱えて笑ったのをシオは忘れないだろう。その後は無事に稽古と言う名のストレス発散にて、グレイ爺と共に風の魔法で痛めつけられたことはすっかり忘れているが。
それが外の世界に出て、アイリーンやセリカと接するようになって、異性にも軽々しく口にしてしまうのではないかと内心シオは一人、ハラハラしていた。
アイリーンはグレイ爺の愛した女性だからか、それを理解しているレイは深入りするに留まり、セリカはまだ関わるようになって日が浅い。
前髪で額の傷を隠す必要があるとは言え、その整った顔と純真な性格は誰も彼もを惹き付けてしまいかねないのではないか、とシオは親バカな思考を夜な夜な繰り返していた。
「アイリーンさん喜んでくれるかなぁ」
「そんだけありゃ、喜ぶだろうよ」
レイを幸せにする会の会員にナンバー3で入会したアイリーンならばレイが石ころを拾ってきても可愛がってくれるだろう。なんて考えるシオを他所に、レイはシオの背で風を感じていた。
……本来、シオのように幻想種が自らの半身以外を慈しむようなことは無い。それは幻想の森でも常にそうだった。幻想種は半身以外に興味を示さず、それぞれがそれぞれの世界で生きていた。
ゆえに、魔物であろうと人間であろうと、他種族の命を奪うことには何の抵抗も示すことは無い。半身以外の人間は道端の石ころと何ら変わらないように、敵意を向けるのも容易い。それは無慈悲にレイを追い出した牡鹿の幻想種しかり、死に至らしめると知っていながら毒を用いたマンティコアしかり。
幻想種が何よりも優先するのは半身の利益のみ。それが叶うのであれば、同族であろうと容赦なく命を奪い去る。その点で言えば、幻想種はどこまでいっても獣でしかなかった。
幻想師の中には、そんな幻想種を、自らの半身を下僕のように扱う者もいれば、逆に自我や意志の強い幻想種に支配される者もいるが、それはごく一部に限られた話。普通は皆、半身たる幻想種と仲良く今日を生きている。
極端な例でいえば、幻想の森を生み出し運営し続ける真祖の龍もまた、幻想の森に住まう人間を支配しているとも言えるのだが、それは龍の力が圧倒的なだけであり、他の幻想種ではせいぜいが半身を支配する程度だろう。
そんな人間と幻想種の関係が多様に存在する中で、レイとシオはとりわけ平凡な関係を築いていた。
どちらかが支配するのではなく、お互いにお互いを信頼し、時に干渉し合う、家族のような存在。シオと言う特殊な幻想種を半身にしてそのような通常の関係を築ける事自体異常であるのを、レイは理解していない。シオがその気になればレイの自由を奪い、意のままに動かせる。言うなればシオの体にはそれだけの力が宿っており、ふとした拍子にその力が顔を覗かせているのを、シオは必死に堪えていた。
そのふとした拍子と言うのが、『竜気覚醒』のタイミングなのだが、実際には竜気の制御よりもレイに干渉しようとする龍と言う圧倒的強者としての自我を抑え込む方がシオとしては苦労する。
けれども、恐怖や力で大切な家族を支配すると言う行為がどれだけ無駄なものか予想がつくシオにとっては、そんなもの必要ない。要らないのであった。
縛り付けるよりもずっと深く、強固な繋がりがレイと自分を繋いでいるからと言う確信があったから。その繋がりに名前を付けるのであれば、それは家族や兄弟、相棒と言った垣根を超える誰よりも強い「信頼」という絆だろう。
だからこそ、レイが嫌がることはしないし、自分の意見もきちんと通す。
レイはシオが魔物を無暗に殺さないことを気遣い、と称したが、実際にレイが頼んだのは人の命を奪わない事。それはレイが突如として最愛の姉を奪われた時の悲しみと同じ思いをする人が出ないようにと課したルール。
けれどもシオはレイが魔物相手にも少なからずの慈悲を持っているが故に、レイの目に映る場所では無暗に命を散らせることはしないようにしていた。
レイが口にした「気遣い」と言う言葉は遠からず的を射ており、図星を突かれたが故にシオはそっけない反応を返したのだった。
そんな気遣いの中でも、当然自分たちに牙を剥くものには容赦はしない。
森での暮らしで磨き抜かれたレイの察知能力は敏感に敵意や殺意を感じ取り、襲い来る魔物に対しては一切の手加減など許さずに弓矢で完封する。しかし、その後は魔物であろうとなんであろうと、命に感謝を告げて魔物を一つの命として胃袋に収めるなり、素材にするなどして扱っていた。
過去にヒジリの死を間近で感じた心の傷を乗り越え、レイは「死」と言うものを、「殺す」ことを必要以上に恐れることは無くなった。そうしなければ生きていけないと知り、割り切った節も感じられるが、寝る前の暗闇を恐れなくなった。
しかし、その代わりと言っては何だが、レイは必要以上に生き物の死を悼む行為、「弔う」ことに執拗にこだわるようになっていた。
人に害を為す魔物の命であろうとも、一つ一つの命を慮るその姿勢は、まさしく聖職者と言っても過言ではない姿で、傍から見れば称えられるような行為だろう。
けれども、シオにはその行動の真意がぬぐい切れない不安となってこびりつく。
シオの目には、その行為こそが、弔うことができていない姉に縛られているようにも見えていたから。
グレイ爺の最期を看取りその手で弔ったがために、余計姉を弔う事が出来ていない現状がレイの中では自覚がないまま膨れ上がっていて、その不安を魔物達をその手で弔う事で解消、ないし目を背けている事にしているのではないかと、シオは密かに考えていた。
レイが無意識化で取る行動の端々から感じられる思いの欠片を繋ぎ合わせて推測したに過ぎない考えであったが、シオは自分でも的を射ているとも思っていた。
その行為がレイ自身の心を守るための防衛措置だと理解できるのは、グレイ爺の死を乗り越え、いつまでもクヨクヨしていられないと成長した――ように見せた背中が、常に泣いているように見えたから。
いくら時を経ようとも、いつか姉をその手で弔うことができる日が来るまでレイは本当の意味で泣き止むことは無いだろう。成長したとしても、レイはいつだって泣き虫なまま。
そして、シオはレイが悲しみに暮れることを、良しとしていた。
それを「もう泣かない」と強がるレイに正面切って伝えることは無かったが、外の世界に出て、アイリーンを始めとする様々な人との関りを経ていつしか、きちんと向き合うべき時に備えることが、半身として自分がレイの為にやるべきことだと考えていた。
レイはまだまだ子供だから。ようやく甘える事を知った、幼い子供なのだ。
弔う事を知って前を向けたように、いつか必ず後ろを振り返ることができる。背けていた目を元に戻すきっかけが必ず見つかるはずだと信じて、シオはレイを見守ることを決意した。
ゆっくりでいい。ゆっくりでいいから、もう二度と、レイが傷付かないように。
今はただ、やりたいようにやればいい。好きなだけ姉の夢を追いかければいい。
過ぎた日に、シオは何があろうともレイの味方であると誓ったのであった。
「もう、真っ暗だね」
「出る時はまだ昼過ぎだったんだけどな。レイがあまりにも熱中するからなぁ」
「でもでも! きっとアイリーンさんも喜んでくれるような薬草キノコいっぱい採ったから!」
「まぁ、アイリーンなら間違いなく喜ぶぜ」
「そうだといいいなぁ……。また、一緒に空飛ぼうね、って言ってたし、僕たちもたくさん協力しないとだね」
「あの川を戻せるっつうのも、凄い話だよな。アイリーンの魔術には俺も興味があるぜ」
「魔術なら、魔力がない僕でも使えるのかな!?」
「魔力がねぇなら無理だろうよ。あのコンロだって魔道具、つまりは魔術の一環らしいしな」
「……ぶぅ。いいもんいいもん。僕だってアイリーンさんにお菓子の作り方とか教えてもらうもん」
「おうおう、それは俺にも徳のある話だぜ。是非聞いて是非覚えてくれよ?」
シオの反応が思っていたのと違って、もう! と憤慨するレイと、その様子を見て呵々大笑のシオが夜空を駆ける。
闇が広がる夜の世界の下で、世界の醜悪が片鱗を見せ、牙を剥いて笑うことも知らずに、レイとシオは地上へと降り立っていく――。
夜闇を裂いて川辺に降り立つレイとシオ。
帰る時は裏口から、と言われた通りそちらに向かう道中、先に異変に気が付いたのはシオの方だった。
異臭のする川辺に降り立ってすぐに「嫌な予感がする」と口にした。
それは鱗の下の肌が鋭敏に察知した魔力の乱れからくるものだったが、レイはそれを聞き返すこともなく、耳にしてすぐに表情を引き締める。
家に近付いていくと、魔力を感じることができないレイにも分かるくらいの異常事態、丘の家から煙が吐き出されているのが分かった。見通しの悪い夜の世界では、レイの自慢の視力も満足に働かないが故に、気が付くのが遅れてしまったのだ。
「――ッ!!」
「――待てレイ、落ち着け……って、聞こえてねぇ!!」
自分の失態を恥じるよりも早く駆けだしたレイは、裏口では無く正面へと回っていく。
欠けていく最中にも最悪の事態が頭に過る中で、近付くにつれて悪臭の中に血の匂いが混じっていることに気が付く。
「はぁっ、はぁっ……!」
玄関の前に辿り着いたレイは、その悲惨な有様に心臓が早鐘を打つのを止められずに息が荒くなる。
昼に出てきた時とはまるで異なる光景。
破壊された庭先のカンテラが足元に転がり、アイリーンから学んだ木の魔道具は家の中に侵攻したままの状態で動きを止めている。魔力を感じることができないレイでも、その木が死んでいることは容易に感じ取れた。
散らばる壁材、砕け散った柵。
ただ一つ安心できるのは、この煙が火事によるものではなく、中から聞こえるすすり泣く声が生存者を意味している事だろうか。
「……アイリーンさんは」
いつしか、レイを呼び止めていたシオの声も止んでいた。
破壊された家に近づけば近づくほど異臭は形を潜め、レイの鼻腔を刺激するのは鮮烈なまでの血の匂いが占めていた。
それが何を意味するのか。
勝手に判断を下す脳を黙らせるかのようにしてふらつく足取りで木の魔道具を跨いで玄関をくぐる。
もしかしたらこれは襲撃者の血の匂いで、この扉を潜ってみれば、後片付けに勤しむアイリーンが顔を出してくれるのではないか。
『お帰りなさい、レイ君』
――そうであれば、どれだけ良かったものか。
玄関に足を踏み入れたレイはその瞬間、淡い期待を無残にも打ち砕かれる。
荒れた室内と、何よりも目を引く大量の赤い血だまり。
鉄が錆びたような匂いがレイの脳内に辿り着くと同時に、レイの肩から薬草の類がいっぱいに入ったカバンがずり落ちる。
「あ、あぁ……、あぁ……!!」
アイリーンに褒めてもらえるはずだった鞄が床に落ち、はみ出していた薬草が床に散らばる。
その音でようやくレイが戻ってきたことを知ったセリカが、光の失われた目でレイを見上げる。
「れい、レイ……、ままが、ママが……っ」
血で真っ赤に塗られた顔で、アイリーンだったものを抱くセリカがレイに絶望に染まった表情を向ける。
その様子は、何があったのかを説明されるよりもずっと苦痛で、落ち着いていたはずのレイの精神が乱されるには十分な情報量だった。
――また、大切な人を奪われた。
それはヒジリの存在を思い出させるには十分すぎるほどに苦痛を伴うもので、レイはおろか、シオにも実に堪える現状であった。
「……今じゃ、ねぇんだよッ」
レイの精神が崩れていく音を感じながら、シオは誰に聞かせるでもなく呟き、天井を仰ぐのだった。




