67話 お前は世界で一番不幸なんかじゃない
読んでいただきありがとうございます。
本日六話目。
「――お前、世界で一番自分が不幸だとでも思ってんのか?」
「「……え?」」
シオから放たれた辛辣な発言。
それは到底泣いている相手にかける言葉などではなく、苛立ちが募る声のトーンも相俟って、シオが怒りを携えているのだけはそこはなとなく理解できた。
セリカもまた、自分がここまで苦しんでいると言うのにもかかわらず、不意にかけられた言葉が慰めの要素を一切含んでいないとは考えてもみなかったからか、レイ同様にとぼけた様子で信じられないものを見る目でシオを見上げる。
けれどもすぐに言葉の意味を理解してか、理不尽な言葉の暴力に抗うべくシオを睨んだ。
だが対するシオの方はと言うと、その程度の眼力怯むに能わず、とばかりにふんぞり返って言葉を返す。
「……どういう意味よ」
「そのまんまだぜ? お前は、自分以外の全員が苦味も知らねぇ幸福な人生を送っていると思い込んでいやがる」
せめてもう少し気を遣ってやればいいのに、と思いやりの欠片も無い言葉のナイフを突き立てていくシオの横でレイはそんなことを考える。
だが、思いの外セリカには深々と突き刺さったようで、図星を言い当てられたせいか僅かに言い淀む素振りを見せる。
「……っ、それの、それのどこが悪いのよっ! 事実、そうでしょう!? 村の人たちは魔力もあって、平穏に暮らしているし、あの女はあたしの悩みなんて素知らぬ顔で生きている……。それに、あんただって!」
「僕?」
「あんただってそう! 何も考えてないような顔であたしの家にやってきて、あたしが欲しかったものを全部奪っていく! おかげであたしにはもう何も残っていない! これのどこが、不幸じゃないって言いきれるのよ!!」
突如として向けられた矛先に、レイは真っ直ぐにセリカの言葉を受け止める。
レイはただ、こうした方が良いと考えた末に行動を起こしているのであって、それが結果的にあの家でセリカの居場所を奪ってしまったのであれば、レイは謝罪し今すぐにでも立ち去るのも悪くは無いとすら思えてきてしまう。それでセリカとアイリーンの関係が良くなるのであれば。
キッ、と睨んでくるセリカに申し訳なく思い、謝罪しようと背を丸めたところで、シオに背中を引っ叩かれる。
「謝る必要はねぇ。シャンとしてろ」
「で、でも……、うん、分かった」
シオはレイに対しては優しくて角のない、穏やかな声でそう告げると、仇の如き視線を向けてくるセリカに冷たい視線を向けるのだった。
「な、何よ……!」
「聞いてりゃ、お前の環境はぬるま湯だ。自分が不幸だ、と言えば誰からも同情され、果てには結婚相手も斡旋される。それはさぞ気持ちよかっただろうなぁ? だが、それはお前が不幸から抜け出せない言い訳にはならない。不幸から抜け出す努力もせず、与えてくれる幸福も自ら投げ捨て、お前は何がしたい? 他人が転落する人生を見て自分を慰めるのはもう止めろ。お前の人生はお前のものだ。母親も父親も関係ない。お前が不幸でいようとする限り、お前の人生に幸せはやってこない」
きっぱりと言い放ったシオに、言い過ぎじゃないかと思わないことも無いレイであったが、シオの言い分は何も間違っていない。誰かと自分の不幸を見比べて傷つくなんて、本来する必要がない行為に苦しむセリカの人生は、何一つ楽しそうなんかではないのがレイにも分かるから。
レイから見てもそう感じるのは、目の前のセリカの姿が過去の自分と重なるからだ。
あの時は、ヒジリを奪われ、剣の才能も無いと無駄な努力に打ちひしがれ、弓矢の才能も無いかもしれないと良き詰まっていた頃に、今のセリカにかけた言葉と同じようなセリフをシオから言われたのを思い出す。
『――世界で一番不幸なのはお前じゃない。お前は世界で一番不幸なんかじゃないし、俺がさせない。……レイ、お前には俺がついている。レイが不幸だと言うのなら、俺がお前を世界で一番幸せな人間にしてやる。だから泣くな。前を向け。……な? まだもう少し、練習できるだろ?』
声のトーンも言葉の苛烈さもは全く異なるのだが、あの時に言われた言葉は今も胸に残り続けている。
後になって思い出しては「幸せにしてくれるんでしょ?」と揶揄うように尋ねると、シオは照れ臭そうにしてグレイ爺が後ろで手を引いていたことを教えてくれたものの、それでもあの時の言葉はシオの言葉として記憶していた。
それがどんなに心強くて、どんなに支えられたことか。それを懇切丁寧にシオに説明してやると「やめろォ」と言いながら天色の鱗を赤くしながら空中で渦を巻く姿はとても愛らしいものだった。
シオの言葉に励まされたレイにとって、今の言葉はとても心強く感じられた。セリカもまた同じだろうか、と細めていた目を開いてセリカに視線を向けると、レイはより一層目を見開いた。
「――うるさいっ!!! 蛇ごときあんたにあたしの何が分かるのよっ!! 不幸であることを不幸と言って何が悪いの!? 人間の感情とあんたら化け物の考えを一緒にしないで! 気持ち悪いのよっ!!」
肩を怒らせ、目を吊り上げ叫ぶセリカは、最早人の話に耳を傾ける余裕など無いようだった。
いまセリカの心は、レイの純真で薬を得たところにシオの突き刺す様な言葉の温度差を受け、荒んだ心が更に傷を広げていっている状態。セリカの心では自然消滅しかけた嵐が吹き荒れており、レイとシオを完全に拒絶しているようだった。
「……不幸でいい、幸福なんて高望みはしない、それでいいって決めたの! あたしはこれまでもこれからも、一人で生きていく。それがこれ以上不幸にならないための方法だから! あんたらにとやかく言われる筋合いはないのっ!!」
「……? 一人で、生きる? ジークは? 結婚、するんでしょ? これからは二人で生きていくんでしょ?」
アイリーンが寂しそうに、けれども嬉しそうに口にしていた娘の結婚。
それを蔑ろにするかのようなセリカの発言を、レイは見逃せなかった。
レイが口を挟むことが鬱陶しそうに腕を振り払って彼我の距離を離すと、アイリーンと同じ濃紺の髪も振り乱して息を荒げていく。
「――結婚なんて、女が一人で生きていくには危険だからする程度のものよ! それが偶々ジークであっただけで、そこに愛なんてものは存在しない。……それとも何、あんたも『愛さえあれば』なんて言っちゃう口かしら? そんなもの、今時の恋愛小説でも見かけないわよ、馬鹿馬鹿しい。あたしが今不幸である理由は何? その馬鹿げた愛を信じ、貫いた馬鹿な大人のせいでしょう!? それを人のせいにすることの、何が悪いのっ!?」
全てを吐き出さん、とばかりに心のままに叫ぶセリカ。
……こんなにも重くて苦しいものを溜め込んでいれば、誰も信じられなくなってしまうのも当然。
完全に陽が落ち、お互いの表情も見えない夜の暗闇も束の間、雲の切れ端から覗いた月明かりが照らすセリカの表情は、苦しそうだった。
自分の思いを、感情を解き放つ今、セリカからすればずっとずっと吐き出したかった思いの丈を吐き出せる待ちに待った瞬間であるはずなのに、彼女はどうしてそんなにも苦しみながら思いを吐露するのか、レイには想像がつかなかった。
ただ黙って受け止めるレイとシオを見て、セリカは言い返すことも出来ないのか、と涙で滲む視界のまま乾いた笑いを顔に張り付け言葉を続ける。
「結婚なんて契約に過ぎないわ。だって所詮他人だもの! ジークがあたしを理解することも、あたしがジークを理解する日は一生来ないわ! あたしはあたししか信じない、自分の力は自分のためにしか使わないし、一人で生きていくのは結婚したところで変わらないもの。結婚相手なんてただの隠れ蓑でしか、ないのよ!!」
思いの丈を、将来のビジョンまでもを一方的に言い放ったセリカの表情は、相も変わらず絶念したかのような苦々しい表情。
どうしてそんなに苦しそうな顔をするのか、どうして未だ見ぬ未来を思い描いては絶望するのか。レイには少なからず、セリカの感情の断片を理解していた。
(……怖いよね、周りが全て敵に見えるよね。でも、だからこそ、一人で抱えちゃいけないんだよ)
馬鹿正直に伝えたところで、今のセリカには何ひとつとして通じないだろう。
今も、荒々しいまでに肩で息を繰り返し、立ち去ろうと目の前の二人に背を向ける。
――セリカはきっと、責任感の強い女性だ。
思いのまま叫ぶことがこれまで出来なかったのも、相手に負担をかけてしまうから。
それが、今回ぽっと出のレイとシオは後腐れない相手として判断したからか、思いの丈を吐き出せたのだろう。だがそれも、きっと帰って一人になってから、必ず後悔する。
一人で生きていく、と言って無理矢理一人でいようとするのは、他の誰かを巻き込みたくないから。
心優しく、人一倍強い責任感の持ち主であることは容易に考え着く。そして同時に、それこそがアイリーンの娘である証拠に他ならないということを、セリカは理解していなかった。
それが分かっているからこそ、レイはこのままセリカを帰すつもりは無かった。
「――人は、一人じゃ生きていけないよ」
レイの言葉に、セリカは呼吸を整える間もなく潤んだ瞳を向けてくる。
その目からは色濃い敵意が滲み出しており、同時に驚嘆の色も見え隠れしていた。
それもそのはず。
シオもまた、レイの口から出された重みのある言葉に驚愕していたから。
自ら幸福を手放し続けるセリカに対して、シオは半ば諦めていた。これ以上介入する手間も惜しいし、義理も無いから。こうして声をかけたやっただけでも、十分な働きは示しただろうと考えていた。助けてくれと叫んでおきながら、その差し伸べられた手を振り払う愚かな女にこれ以上付き合っていられるかと、この説得の時間にも半ば飽きてきていた。
それと同時に、レイが諦めないことも分かってはいたが、結局最後にはその手もどうせ振り払われるだろう、とも。
だというのに、レイはシオの想像を遥かに超える一歩を踏み出し、セリカの目の前に手を差し伸べたと言うのだから驚かない方が難しいだろう。
セリカもまた、妙に大人ぶった蛇の化け物が腐った悪態を吐きかけるものかと思っていたが、現実では自分よりも幼く、小さな子供が真っ直ぐに自分を見ている事に加え、確かな重みを感じさせる言葉に微かな光明を見出してしまっている自分に驚いていた。
そんな二人に気付くことなく、レイは真剣な様子で言葉を口にする。
「赤ん坊を守り、育てるのは並大抵の人には難しい。それこそ、子供のために命を懸けられるくらいの人でなければ、赤ん坊の世話はできない」
レイが思い浮かべるのは、下級区の子供に等しく慈愛を注いだゲンさんとサオリおばさん。
そして、女手一つでセリカを育てた、アイリーン。
「セリカのために、手間を惜しまずに傍にいてくれたのは、誰? セリカに自由を与えてくれたのは、誰? その日の食事を当たり前のように用意してくれる人は、誰?」
レイには居なくて、セリカには居る。
アイリーンと話して、レイはアイリーンが母親であることを、心の底から羨んだ。
自分が不幸だ? 笑わせないでほしい。アイリーンという母親がいる時点で、セリカはそれ以上ないくらいの幸福に恵まれているのだ。それを見て見ぬ振りをするだなんて、無かったことにしようとするだなんて、アイリーンが報われない。
「毎朝挨拶をくれる人、生き方を教えてくれる人、お酒を買ってくれる人、売ってくれる人を、セリカは自分から切り捨てるつもりなの?」
結婚を心から祝福し、疎まれているのを知りながらも幸福を祈るアイリーンを悲しませるようなら、レイはセリカだろうと容赦するつもりは無い。
レイにとって、幻想の森ではどれ一つとして与えられなかったものを、セリカは持っている。
その逆に、セリカが持っていないものを、レイは持っている。だがそれはただ持っていないだけで、セリカも手に入れることができるもの。レイが欲しかったもの、失くしたくなかったものは、もう二度とレイの元には戻って来ないのだから。
今からでも遅くは無い、と手を差し伸べるどころか、無理矢理掴んで引き上げる勢いのレイに、セリカは最後の抵抗を見せる。
それは、両親を、自分だけが不幸であると世界を呪った時からずっと一緒だった――反骨心。
それが例え歪んでいようとも、これまでセリカには紛れも無く力を与え続けていたそれが、最後のこの瞬間でも、セリカに勇気を与えてくれる。
キッ、と睨みを強める表情は、今まで見せてきた表情の中では特別幼く、まるで甘え方を知らない幼児のようで。
「あんたに、何が分かるの……っ、あたしは、あたしは……!!」
だがしかし、反骨心が力を与えてくれたのは、立ち上がる瞬間のみ。
レイの腕を打ち払うための力はもう存在せず、静かに消えていく。
後はただ、腕を引くレイに任せて、閉じこもった部屋から一歩を踏み出すのであった。
レイに対して言いたいことはたくさんあったけれども、セリカの涙腺は遂に限界を迎え、わんわんと泣き出してしまう。
耐え切れなくなった少女の泣き顔を好んで覗く程落ちてはいないレイは、ボロボロと涙を流してぐちゃぐちゃになった顔のセリカの手を引いて、街道を歩く。
「――ばか、あほぉ……! トロルの糞で滑って転んで死んじゃえぇ……!」
「ガルピースにあたまから齧られろぉ……!」
背後からそんな暴言かどうかも分からない言葉が投げかけてくるセリカに苦笑しながら、ただ静かに帰り道を歩いて帰る。
いつの間にか、すすり泣く声が止んだかと思うと、耳を澄ませていなければ聞き逃してしまうような小さな声でセリカが問いかけてきた。
「……あんた、何者なの」
「僕? 僕は――ムゴッ」
「それはアイリーンから説明してもらった方がいいかもな」
「っ、あっそ」
尋ねる声にそのまま答えようとしたところでシオの尻尾に口を塞がれてしまう。
その横で、シオが代わりに口を開くと、セリカは恨みがましい目線を向けたのち顔を俯かせてしまう。
レイもまたその方が良いか、と考えてそれ以上口にすることなく、家に帰るのだった。
川辺の丘の家に辿り着く頃には、夜も更け、家の前ではアイリーンがそわそわした様子で待ち構えていた。
レイとシオの姿を見て安心した様子を浮かべたのも束の間、セリカも一緒であることを目にして駆け寄ってきては、これまで同様に気遣うようにセリカを伺う。
「お、おかえりなさい、ご飯できているわよ」
「………………ただいま」
「――――っ!?!?」
これまでと同じように、黙って家に入ろうとするセリカの手を、レイは離さなかった。
離さないでいると、セリカはそれを乱暴に払いのけようとはせずにどこかバツの悪そうな様子で逡巡した後、一言呟いた。
信じられない、とばかりに歓喜の声を上げるアイリーンがたまらずセリカを胸に抱くが、セリカもまた、嫌がる素振りもなくそれを受け入れるのだった。
その日は、どこか気まずい、それでいて温かな夕食を囲んだレイとシオなのであった。
ブクマ、評価等ありがとうございます。




